第一話 『第一話 ダンジョン良いとこ、一度はおいで♪ ~ただし、営業中に限る~』
ダンジョンへの入り口を視界に収め、数名の騎士達は決意を秘めた表情で互いを見やった。
「いいか、お前達。情報によれば、ここは『殺さずのダンジョン』と呼ばれるダンジョンであり、その名の通り、現ダンジョンマスターが現れてからは死者を出していないらしい。だが、油断は禁物だ。ダンジョンと名の付くものが、安全であるはずがない」
「報告書によれば、そうなっていますね。ですが、怪我人は出ていると聞いております。ですから、我々が調査に赴くことになった……そうでしょう?」
上官らしき騎士の言葉に、一人の騎士が報告書を片手にそう返す。口調は軽いものながら、彼もまた、ダンジョンを前に緊張しているらしく、その表情はどこか固い。
部下を安心させるように上官である騎士は頷くと、仲間達を見回した。
「ああ、そうだ。報告書ではそうなっている。だが、安心はできん。現に、勇者と呼ばれた異世界人はダンジョンに取り込まれて以降、戻って来ない。……まあ、彼の場合は己の意志である可能性が高いのだが」
『……』
『勇者』という言葉に、該当人物を知る者達は唇を噛んで俯いた。『勇者』は国の身勝手さ、そして傲慢さの象徴であり、彼が遺した傷跡は決して浅いものではないのだから。
『勇者』と呼ばれていた青年は、第二王女を甘やかし続けた責任を問われかけていた公爵家によって、異世界より召喚された。唐突に日常を奪われた哀れな存在、と言っても過言ではないだろう。
だが、それだけでは『国の身勝手さ、傲慢さの象徴』などとは呼ばれまい。
正しくは『彼のみが真っ当な姿で現れた、成功例』だからこそ、召喚の真実を知る者達はそう呼ぶのだ。
召喚術とは、非常に成功率が低い――召喚される対象のことを全く考えない術のため、人の形をしていないことも多い――術であり、その非道さに、嫌悪を示す者とているのだから。
彼はそのことをよく理解していたのだろう。見目麗しい容姿と高い戦闘能力を持ちながら、己が名前すら名乗らず、人と常に距離を置いていた。
そんな『勇者』を、ダンジョンマスターへの報復に利用しようとしたのが、第二王女アマルティア。
愛らしい容姿ながら、その性格は傲慢という一言に尽きる王女は、自分の状況を一変させる――他国の王族との婚約が解消され、何でも言うことを聞く側仕え達を遠ざけられた――に至ったダンジョンマスターを恨み、討伐を目論んだのだ。
――ところが、事態は想定外の方へと転がっていった。
『勇者』に同行した第三王子によると、ダンジョンマスターは非常に話の判る人物であったらしく、『勇者』の不遇に心を痛め、受け入れることを提案した、らしい。それだけでも信じがたいのに、『勇者』もそれを喜び、願ったという。
だが、『勇者』は愚かではなかった。自身の状況を顧みたのか、第三王子達を城に送りがてら王へと召喚術の非道さを訴え、禁じることを提案したのだ。
提案というには少々、物騒だったかもしれない。だが、そのようにしなければ、国は召喚術の真の危険性に気づくことはなかっただろう。
『異世界からすれば、ただの誘拐だ。怒らないはずがない……報復は覚悟すべきだったな』
まったくもって、その通り! そう思った者達はどれほどいたことか。
『勇者』の戦闘能力を脅威に感じるならば、その強さが自分達に向かうことも考慮しなければならなかったはず。日常を奪われた異世界人達が、召喚した国に対して怒りを覚えぬはずはない。
躊躇わず剣を振る『勇者』の姿に……『召喚術の被害者』の訴えに、人々は漸く理解した。『召喚術など、残すべきではない』と。
如何様な理由があろうとも、双方に安全性が確約されていないならば、味方どころか脅威に成りえるのだと、漸く、思い至った。
何より、人々を驚かせたのは、暗く深淵のような目をしていたはずの『勇者』の変貌。
『俺はこれからダンジョンで暮らす。今後、ダンジョンマスターに挑む者は覚悟しろ! あの人を殺そうとする奴は【俺が】許さない。魔物達が殺さないならば、俺が殺せばいいだけだ』
『あの人の傍で生きること。それが俺【達】にとっての、幸いだからだ』
何故、そこまで――と、誰もが思ったことだろう。だが、誰一人、『勇者』に言葉を向けることはできなかった。
『勇者』に恐怖を覚えたことは勿論だが、ダンジョンマスターは『勇者』の召喚に関わっていないばかりでなく、ダンジョンを襲撃してきた『勇者』の身の上さえも案じたのだから。
その時点で、国に属する者達が比較対象になれるはずはない。国に属する者は憎悪の対象にしかならないが、ダンジョンマスターは保護することを提案してくれたのだ。
『勇者』からすれば、国が醜悪極まりない存在である以上、ダンジョンマスターこそが救いの手を差し伸べてくれた恩人に見えたに違いない。
それでも一切の言い訳をせず、召喚術の禁止に同意した王の姿に満足したのか、『勇者』は第二王女アマルティアの処罰と、罰則を伴う召喚術の廃止を言い渡し、何処かへ消えていった。
彼の残した言葉を信じるならば、『勇者』はダンジョンに居るのだろう。人のままなのか、魔物となっているのかは判らないが、あの暗い目をしていないことだけは確かだと、多くの人達は思っていた。……同時に、『どうか、幸あれ』とも。
「もしも、『勇者』に会えたならば……私はせめて一言、謝罪がしたい。陛下に忠誠を誓う騎士として、彼に対する行ないは非道というのも生温かったはず。相手が公爵だろうとも、誰かが彼と言葉を交わし、力となっていたら……と。今更ながらに思ってしまってな」
上官たる騎士の言葉は、この場に居る者達の総意でもあった。身分が上だから、国に従うのが騎士だから……などという理由で、『彼の存在を記憶の端に追いやった』。直接の関わりがなかったとはいえ、自分から関わろうとしなかったことも事実なのだ。
「俺達、事なかれ主義が過ぎましたね。エリクのことだって、アマルティア姫を抑え込めていれば、少なくとも殺されることはなかったはず」
「それは……っ」
「判ってますよ、俺達ではどうしようもないことだったって。ですが、一人は無理でも、束になって陛下に直接訴えていれば……エリクだけでなく、手を下した騎士達だって、今も騎士でいられたはずなんです」
他国に婚約者がいる王女に纏わり付かれていたエリクは、醜聞を案じた騎士達の独断により、ダンジョン内で殺された。そして、ダンジョンマスターからの訴えを受け、手を下した騎士達も処罰されたのだ。
命こそ取られなかったが、近衛に上り詰めた人間が辺境に飛ばされるなど、屈辱でしかあるまい。しかも、忠誠心による行動だったのだから。
「アマルティア姫は以前より、随分と問題視されていた。陛下も悩まれていたのだ。結果的に、彼らの願いは叶った。それだけで満足かもしれん」
「ですが、エリクは死んだ。……やりきれませんよね」
そう、『アマルティアを処罰する』という願いは叶った。しかし、代償も大きかった。
第二王女はもう好き勝手などできまい。だが、その代償は……エリクという一人の騎士の死であり、忠誠心溢れる近衛騎士達の未来。同じ騎士としては、やりきれまい。
「エリクは魔物として、ダンジョンマスターに仕えることを望んだと聞いている。ダンジョン内で会えたら、彼とも話がしたいものだ。こちらの言葉を聞いてくれるかは別として、私は一目、エリクの姿を見たいのだよ。……私が『騎士を目指さないか?』と誘ったのだから」
「……っ」
上官である騎士が深い後悔に苛まれている理由を知り、騎士達の悲壮さも増す。そんな空気を振り払うように、上官である騎士は表情を改めた。纏う空気が一変したことを察し、騎士達も即座に気持ちを切り替える。
「懺悔をするのは後でいい。今は任務を遂行することだけを考えよう」
そう言うなり、ダンジョンへと歩みを進める。そして、閉ざされた扉に気付くと、上官である騎士は訝しげな顔になった。同行していた騎士達も同様で、警戒心を募らせる者までいる始末。
重厚な扉は頑として開く気配を見せない。報告にない有様に、騎士達は揃って首を傾げた。
やがて、扉に刻まれた文字に気が付くと、各自の視線が刻まれた文章を追う。
※※※※※※※※※
『改装のお知らせ』
『毎度、ご利用いただき、誠にありがとうございます。【殺さずのダンジョン】こと、北のダンジョンのダンジョンマスターです』
『この度、挑戦者の皆様により楽しんでいただくべく、改装工事を行なうこととなりました』
『改装期間中は一時的に、ダンジョンを閉鎖させていただきます。改装期間中と知らず、足を運んでくださった皆様、大変申し訳ございません』
『また、ダンジョンの再開は一月後を予定しております。この文章をご覧になった挑戦者の皆様、宜しければ、同業の方達にもお伝えくださいませ』
『再開後はサービスの充実をはじめ、挑戦者の皆様に楽しんでいただけるようなイベントを予定しております』
『皆様にはご不便ご迷惑をおかけいたしますが、スタッフ一同、皆様にご満足いただけるよう、全力で取り組む所存ですので、どうか今後ともご愛顧を賜りますよう、心よりお願い申し上げます』
※※※※※※※※※
「……。改装、中?」
「え、ダンジョンって、店か何かでしたっけ?」
「さ、さあ?」
ダンジョンマスターからのメッセージに、騎士達は揃って混乱に陥ったようだった。ダンジョンが改装中のお知らせを出すなど聞いたことがないのだから、当然の反応だろう。
しかし、ここは死者を出さない『殺さずのダンジョン』。元より規格外のダンジョンなのだから、規格外と称される要素が一つ二つ増えたところで、今更である。
現に、騎士達は困惑した『だけ』だった。日頃、どのような報告を受けているかが知れる。
「ええと……その、出直しますか」
「あ、ああ」
気まずげに互いの顔を見やって、頷き合う。いくら粘ったところで、『改装中』はダンジョンマスターのお達しである。ダンジョンを支配下に置く人物が『今は入れません』と言っている以上、入り口をふさぐ扉は絶対に開くまい。
シリアスに決めていた彼らとしては、非常に居た堪れない場面であろう。まさに『誰も悪くない、タイミングが悪かった』だけ。
「……来月、また来ましょうね」
誰かが呟いた一言が、空しく風に溶けていった。




