プロローグ
『ダンジョン』。それはダンジョンマスターを頂点とする魔物達の巣窟であり、異世界の叡智が眠るとされる迷宮である。
ダンジョンは世界中に存在し、各ダンジョンに一人だけ、主たるマスターが存在。其々が独立した発展を遂げている場所であり、その難易度も、支配者たるダンジョンマスターによって、大きく異なる。
――だが、挑んだ者に『富』と『名声』をもたらすことは、どのダンジョンも共通。
人々は生活のため、または名声を求め、様々な理由からダンジョンへと挑むのだ。……その代償が、『己が命』であったとしても。
ダンジョンで死した者は例外なく、ダンジョンマスターの支配下に下り、ダンジョンへと囚われる。死霊となってダンジョンを彷徨うも、朽ちた体のアンデッドとなって挑戦者に襲い掛かるも、全てはダンジョンマスターの采配次第。
それでも、ダンジョンを訪れる者は後を絶たず、時にはダンジョンマスターを称えるような言葉さえ囁かれていた。
『数多の死をもたらすダンジョンマスターは残酷だが、誰よりも平等な者』
『生まれも、地位も関係なく、ダンジョンを制覇した者にこそ、栄光を贈る』
挑戦者達に絶望と死をもたらす存在であり、命を賭して叶えたい願いを持つ者の最後の希望――それが『ダンジョン』というものなのだ。ゆえに、人々はダンジョンを恐れながらも共存し、その存在を消し去ろうと考える者はいなかった。
いや、正確には『ダンジョンをなくすことなど不可能』なのだ。
ダンジョンの最奥部に到達し、主たるダンジョンマスターを討伐しようとも、暫くすれば新たなダンジョンマスターの下、ダンジョンは復活するのだから。
そして……一年前、『北のダンジョン』に新たなダンジョンマスターが就任していた。
新たなダンジョンマスターは女性、名は『聖』。
異世界で死亡し、この世界の創造主にスカウトされてダンジョンマスターとなった『死者』。
ダンジョンマスターとは、異世界で死亡した者――『死後のお仕事』だったのである……!
そもそも、ダンジョンの存在意義からして『人々に無理なく異世界の知識などを授けたり、悪意の的となって争いを回避し、人同士のぶつかり合いからの滅亡を防ぐ』というものなのだから。
『ダンジョン内で得た叡智』ならば、それだけで価値がある……それまでの苦労も相まって、人々にそう認識される。
都合の悪いものは創造主の意図により拡散されないが、生活をより良くするようなものならば、長い時間をかけて徐々に浸透していくだろう。
未だ、幼い世界にとって必要なのは『切っ掛け』なのだ。その片鱗を手に入れられれば、後は人々の努力によって、この世界に取り込まれていく。それこそ、創造主の願いであった。
創造主が望むのは、『人々が努力し、自分達の力で手に入れること』。ダンジョンからもたらされた叡智は形を変え、やがて『この世界の知識』として根付いていくのだろう。
また、人々の共通の敵として存在することも重要なのだ。『共通の脅威が存在すれば、人は団結する』――言い換えれば、『争っている場合ではないと錯覚し、共闘する』。
種族や国といった括りで行なわれる戦争により、滅びた者達は少なくない。それらの過去を踏まえ、創造主は判りやすい『敵』を各地に作り出した。
もっとも、ダンジョンから攻めることは不可能――ごく稀に例外があるが、それは創造主が認めた場合である――なので、人が勝手に脅威と認識しているだけなのだが。
――だが、人が強欲なのは世の常である。
ダンジョンに挑むのは、切なる願いを持つ者だけではない。ダンジョンに眠る叡智だけではなく、宝を欲し、ダンジョンへと攻め込む国も存在するのだ。
欲深い輩の目を眩ませる意味でも、ダンジョンは有効だった。強欲だからこそ、一つの宝がもたらされれば、更なる宝を欲するのだ。
こういったダンジョンの存在理由は、基本的にダンジョンマスターのみが創造主より明かされる。別に秘密にしておく義務はないのだが、そういった情報は創造主権限により、人々に根付かない。
また、それらの事情が広まらない方が、国の上層部にとっても都合がいいのだろう。人々にとってダンジョンが『悪』に属するからこそ、度々の侵攻やダンジョンマスターの討伐が問題視されないのだから。
これらの情報を聞くと、ダンジョンマスターが聖人か何かに思えるだろうが、そんなことはない。寧ろ、俗物である。こんな役割りを頼む以上、それなりの『報酬』があるのだ。
そもそも、本人や異世界の創造主の承諾なしには、彼ら――正確には『彼らの魂』のみ――を連れて来ることが不可能だったりする。
そのため、創造主は『それなりの手段』を取るのだ。創造主にとって重要なのは『自分の世界』であり、ダンジョンマスター予定者ではないのだから。
勿論、拉致などではない。ぶっちゃけ、『物で釣る』という、昔から使われてきた伝統ある交渉術(意訳)を使うだけだ。……そこに『多少』騙すような要素が加わるだけで。
まあ、そういったことも含めての『伝統ある交渉術』なので、詳細を確認しなかったダンジョンマスター予定者側にも非はあるのだろう。多分。
何せ、創造主からの報酬は『何でも願いを一つだけきく』というもの。『死後のお仕事』というだけあって、きちんと交渉などがされていたりするのだ。
なお、手順は以下の通り。
『ダンジョンマスター誕生への道』(スカウト編)
・この世界の創造主が異世界にて、ダンジョンマスターになれそうな死者に目を付ける。
↓
・異世界の創造主と交渉し、了解が得られれば、本人へと接触・交渉。
↓
・仕事内容やダンジョンの存在意義などを説明し、引き受けた際の特典も提示してもらう。
※特典とは、ダンジョンマスターが希望する能力などであり、『最強の魔法使いになりたい』や『誰よりも強くなりたい』といった願いが主である。
……が、この『願い』は非常に曖昧というか、大雑把なものであるために『抜け』があり、『ダンジョンマスターの討伐が不可能』といったことにはならない。
あくまでも、ダンジョンとは人々のために存在するものなのだ。
↓
・引き受けてもらった後、魂のみダンジョンのある世界へ転移。そのままだと体がないため、創造主の手に成った器に魂を移し、馴染むまで待つ。
目が覚めたら、補佐役によってダンジョンの説明を受け、お仕事開始。
以上、ダンジョンマスター就任の裏事情である。人々は『ダンジョンは眠らない』だの、『ダンジョンマスターを討伐すると、ダンジョンから新たな支配者が生まれる』などと勝手なことを言っているが、現実はこんなもの。
ダンジョンに命を育む能力などなく、そこに存在する魔物は全て、ダンジョンマスターの手により想像された『物』。ゆえに、食事や排泄といった『生命活動に関わるもの』は必要ない。
というか、魔物達は外に出ることができないのだから、活きるための糧を必要としていたら、共食いが起きて自滅するだけだろう。
新たな器を与えられたダンジョンマスターとて、これに該当する。記憶も当然、死の直前までのものを有しているので、まさに『死後のお仕事』なのだ。人生の延長戦――生きているわけではないため――とは少々、言いがたい。
そして、『聖』もそんなダンジョンマスターの一人である。……そう、『数多くいる、もしくはこれまで存在したダンジョンマスター達と変わらない存在』であるはず、だった。
『嫌です。何その、怪しげな職業。ラノベやゲームじゃあるまいし』
『日本で生活していた以上、衛生面、安全面、娯楽面といった要素は同じレベルを求めるんですよ! いえ、必須事項です! 生活レベルを落としたり、不自由な暮らしが待っているかもしれない上、よく判らない職業に就けと? 奉仕労働をしろと?』
『他所の世界の神だからって、我儘が通ると思っちゃいけません。だいたい、そんなものより生活レベルの維持が重要でしょう! 憧れる要素はゲームやラノベで脳内補完できます。ですが! 日々の暮らしが不自由なんて、冗談じゃない。海外に行ってさえ、自国との差に苦しむというのに! 異世界なんて、更に苦労するのが確定してるじゃないですかぁ! ……他を当たってください。私は安らかに眠ります。満足できる人生でした。苦労が確定している延長戦は要りません』
創造主相手に、この言動。……自分で生活の糧を得た上での引き籠もり願望――自活していれば問題なし、という発想だった模様――がある『お馬鹿さん』は存外、冷静だった。
というか、単純に『現在の生活が死守できなきゃ、異世界なんて行かない!』と駄々を捏ねただけだろう。幼い子供を庇って事故死した割に、聖は奉仕精神が旺盛ではなかった。
元の世界において、生まれ育った国と他国との生活レベルに差があることを知っているからこその、抵抗。
引き籠もり願望があるゆえに、聖の着眼点はその一点に尽きた。死後の奉仕活動を仕事として望まれるならば、そこだけは妥協しないと言い切ったのだ。
……が、相手は創造主(神)である。聖に『銀髪ショタ』と言われる見た目ながら、生きてきた時間は人間とは比較にならないほど長い。
当然、彼の方が上手であって。
聖の世界の創造主の協力を仰ぐと、見事、聖の願いである『通販で快適生活! 料金は無料!』を実現させたのであった。
……聖の世界にパソコンやインターネットといった物が存在しなければ、さすがの創造主(=銀髪ショタ)も諦めるしかなかったろうが、運は彼に味方したらしい。
――そして、現在。
聖は補佐役のアストゥト(通称・アスト)や自分が創造した魔物達、そしてダンジョンで死亡し、魔物として蘇ったエリクや凪といった面子と共に、楽しくダンジョンを運営しているのである。
そう、『運営』。
聖はダンジョンを巨大迷路と認識し、スタッフ達(=創造された魔物の皆さん)と共に、楽しく娯楽施設『殺さずのダンジョン』の支配人に収まっているのであった……!
ただ、これは創造主(銀髪ショタ)も悪い。彼はあまりにも、聖の国を知らな過ぎた。
平和ボケした国に生息していた、引き籠もり願望を持つお馬鹿さん(=聖)を連れて来たところで、怨念渦巻く死のダンジョンなんて、作れるはずはないじゃないか。聖が居た世界には魔物さえ、いないのだから。
それ以前に、人を殺すのは犯罪なのだ。日本人としての意識が強い聖に『ダンジョンの挑戦者を殺す』と言う選択肢など、あるはずがない。
その結果が『娯楽施設』としてのダンジョンであり、当然、人が死ぬこともなかった。死にかけているのは、真面目な補佐役・アウトゥトの胃だけだろう。
まだ、『ゲームの世界に行ってみたい』とか言っている奴の方が、真面目にダンジョンマスターをやる可能性があったに違いない。
毛色の変わった奴を連れて来たかったのかもしれないが、こればかりは適正というものが強く影響する。完全に、創造主の人選ミスであった。
まあ……創造主も含めて賑やかにやっているようなので、一つくらい、こんなダンジョンがあってもいいのかもしれないが。
そんなわけで、本日も通称『殺さずのダンジョン』には多くの挑戦者達が訪れ、聖を始めとしたスタッフ達と共に楽しく過ごしていたりする。
これまでとは違った形ながら、『人々に必要とされるダンジョン』はいつだって、新たな挑戦者達を歓迎するのだから。




