第二十七話 補佐する者としての矜持 (アストゥト視点)
「神も、神に連なる者も大嫌いだ。俺はその全てを憎み、壊す」
「おやおや……これは随分と絶望が深い」
口元に笑みを浮かべてはいますが、そこまでの余裕はありません。『勇者』を前にして、私はらしくもなく……恐怖、のような物を感じておりました。
これまで幾度もダンジョンマスターを狙う者達と対峙し、多くの死を経験してきたというのに、私はそれまで恐怖を感じたことはありません。いえ、『感じるはずがない』のです。
だって、私は『そういう存在』。『物』として使い捨てられ、再生を繰り返す。
生きているわけでも、ダンジョンマスターに忠誠を誓っているわけでもない。
ダンジョンマスターを打ち取らんとする輩から敵意を向けられようとも、どこか冷めた目で見ておりました。私が真に忠誠を誓う存在は創造主様ですから、仮初の主が倒されようとも『仕方がない』という言葉で済ませてきたのです。……勿論、戦いで手を抜いたわけではありませんけど。
ですが、ダンジョンの魔物達はダンジョンマスターの影響を受けるもの。また、己の意思なく、人形のように主の命に従うものでもあるのです。それこそ、我らを敗北に導いた原因でした。
守る価値を感じない存在を危険に晒されたところで、全力で抗うはずはないでしょう?
人が持つ一途な思いや強い願いの前に、敗北することも少なくありません。能力差が明確な場合はともかく、拮抗している場合は『何らかの執着を持つ者』の方が強いのです。
これまでは私自身がそれらを持たないことを何とも思わず、自身が敗北することによって、襲撃者を見逃してきたと思っておりました。我らは『命無き者』だからこそ、『命を賭してでも、勝利に執着する者』ほど、己が存在や仮初の主に執着しておりませんので。
ですが、今。私は目の前の『勇者』を脅威に感じておりました。……彼がこのダンジョンに暮らす魔物達を殺したことに憤り、聖を殺させたくはないと思っているのです。
それは非常に不可解で、愚かな感情なのでしょう。聖が倒されようとも、新たなダンジョンマスターは創造主様より選ばれるでしょうし、このダンジョンの魔物達とて新たに生み出されるだけ。
それを嫌というほど判っているはずなのに、私は……『彼らを失いたくない』と、『今ここにある時間が愛おしい』と思ってしまった。だからこそ、脅威と認識した目の前の『勇者』を恐ろしく感じてしまうのでしょう。『勇者』は私が失いたくない者達を壊す者ですから。
それほどまでに『勇者』は強い。けれど、これまで私の屍を踏み越えてきた者達と圧倒的に違うのは……あまりにも強い『絶望』。何らかの望みを叶えるためにダンジョンへ挑む者が大半だというのに、この『勇者』からは野心のようなものを全く感じないのです。
ただただ、『神と神に連なる者達が憎い』。本当に、それだけ。そうなるまでに一体、何があったというのか……。
「俺の観察は済んだか? ……ああ、同情なんて要らないぞ」
黙したままの私の視線に思うことがあったのか、『勇者』は不快そうに続けました。情けや哀れみを向けるな、ということなのでしょうが、その対象が私――『勇者』曰く、神に連なる者――であったことも原因なのでしょう。
「失礼。感情がない、というわけではないのですね」
「まあ、それに近い状態だよ。だが、あんたに哀れまれるのは御免だ」
「おや、初対面だと思うのですが」
落ち着き払った私の態度にさえ、思うことはないのでしょう。『勇者』は本当に……『神と神に連なる者』という基準で、憎しみを向けているようです。
それを証拠に、初対面だと言った私に頷いて見せました。どうやら、かつてこのダンジョンに挑んで殺された者の生まれ変わり、というわけではなさそうです。
ですが、『勇者』の言葉は私と彼の同行者達を混乱させました。人は何らかの理由があってこそ、相手に対して憎しみを抱くはず。その認識が覆るほどの『何か』を、『勇者』は抱えているのでしょうか? 本当に、この『勇者』の意図が読めません。
けれど、『勇者』はその理由を口にする気はないようです。
「そんなことなんて、どうでもいいだろう? ダンジョンは神の手に成るもの。それだけで、俺がダンジョンマスターの討伐を望むには十分だ」
「ですが、このダンジョンは割と人々に愛されていると思うのですが」
それは事実です。『殺さずのダンジョン』は初心者達の修練の場であり、命を失うことなく富を得られる場だと認識され始めているのですから。
聖の提案した娯楽施設としての在り方は確実に、そして好意的に受け入れられ始めているのです。そのダンジョンを失わせれば、利用者達から抗議されることは確実。
私としては『そのことを理解しているのか?』という確認の意味の問い掛けでしたが、『勇者』は瞬きをすると――
「抗議されるだろうな。闇討ちとかあるかもしれない。だけど、それがどうした?」
あっさりと認めた上、軽く肩を竦めてみせたのです! これには『勇者』の同行者達も驚き、彼へと鋭い視線を向けました。特に少年は王族のようですから、『勇者』の発言を聞き流せなかったのでしょう。
「な……貴方はそれを判っていてなお、ダンジョンマスターを討とうというのか!?」
「そう言ったはずだ。話し合いをしたいとか言っていたが、お前は甘過ぎる。だいたい、自力で辿り着けもしない輩相手に、ダンジョンマスターが話し合いの席に着いてくれると思うのか?」
「っ……!?」
向けられた鋭い視線に、その言葉に、少年は黙り込んでしまいます。そんな二人の姿に、私は『勇者』の考えていることが益々判らなくなりました。
『勇者』の言葉は中々にキツイものですが、正論です。わざわざ『助言』を与えてやる必要など、ないはずなのです。まあ、この少年が甘いことは事実なので、『勇者』の言葉を助言と受け取らなければ、そのうち理想を抱えて死ぬ破目になるでしょう。それは私でさえ、たやすく予想できる……確実に訪れる未来なのですから。
それをあえて告げるということは、『勇者』なりにこの少年が気に入っているということでしょうか。その優しさが当人達――口にした『勇者』も含む――に理解できているかは別として。
「ま、どうでもいいさ。おい、お前らはこいつの護衛なんだろう? 俺は邪魔になるならば、敵同様に切り捨てる。それが嫌なら、邪魔にならない場所で守ってろ」
「あ、ああ……」
「わ、判った」
唇を噛み締めた少年を引き摺るようにして、二人の騎士達は壁際へと移動していきます。それを見届けた『勇者』は私に視線を戻して、口元を笑みの形に歪めました。
「じゃあ、始めようか」
「そうですね。邪魔者を退けてくださり、ありがとうございます」
「お前のためじゃない。誤解するな」
華やかな雰囲気が似合うであろう美貌も、今は恐怖を抱かせるだけ。……聖が『怖い』と言った『勇者』の目は、どこまでも深い絶望に染まり。私という獲物を前に、暗い蒼に輝いておりました。




