第二十六話 勇者襲来! 其の三
――ダンジョン内にて(『勇者』視点)
「なんだ、あまり凶悪な奴はいないんだな」
一振りして剣についた血を落とし、周囲に視線を向ける。獣人やゴーストといった者達は対処できない者からすれば脅威なのかもしれないが、自分には通用しない。
……いや、意図的に弱い魔物達ばかりを向かわせている可能性もあるか。
数をこなさせることでこちらを疲労させ、本当に強い魔物達はダンジョンマスターを守らせる。この世界のダンジョンは、ダンジョンマスターを倒せば一時的に『眠る』らしいから、自衛のためにそういった手段を取っている可能性もゼロではない。
そもそも、このダンジョンのマスターの情報は未だ、出回っていないのである。
数こそ少ないが、『殺さずのダンジョン』を攻略している者達は存在すると聞いた。ならば、彼らがダンジョンマスターと懇意になったか、ダンジョンの現状維持を望むあまり、情報を流さないようにしているのだろう。
まあ、そういった状況こそ、このダンジョンを『利用』――悪しきものとして認識させたり、王位継承の儀式と称して使う――している者達から危惧されているのだが。
確かに、これまでの認識を覆されてしまっては、大問題だ。平和なダンジョンの存在が民間に広まってしまえば……民に必要なものと判断されてしまえば。たやすく『悪』に仕立て上げることができなくなるばかりか、ダンジョンマスターの討伐を惜しむ声も上がってしまう。
それでは困るからこそ、国の政を担う者達はこのダンジョンをこれまでの印象に戻そうと必死なのだろう。それらがあまり上手くいっていないのは、ダンジョンを利用する者達が邪魔するゆえ。
もっとも、国の意向に逆らってダンジョンを守ろうとしている者達とて、純粋に善意からではない。たやすく価値があるものが手に入るばかりか、命を失う危険を冒さずに済む宝の在処を手放したくないだけだ。
人も、神も、所詮は自分のことしか考えない勝手な存在なのだ。だからこそ、召喚しておきながら俺を危険視する者達からの視線に、暗い笑いが込み上げる。
実に馬鹿馬鹿しく、愚かな者達。俺も含めた全てが滅んでしまえばいいと、心底思う。
「『殺さずのダンジョン』か……。まあ、良心的と言えば、良心的なんだろうな。自分達は倒されても、挑戦者達は殺さないとは」
視線を向けた先に横たわる魔物の『死体』を一瞥し、俺は何とも言えない違和感を覚えた。そう、『死体』。俺が倒した魔物達はアンデッドではなく、『俺の手によって死んでいる』のだ。これは俺が特別というわけではなく、このダンジョンに挑んだ全ての者達が通ったはずの道。
「……。どういうことだ? 俺がここに来ると察して、通常とは異なった仕様にでもしているとでも? そうでなければ、説明がつかない」
奇妙な場所ではあると思う。だが、これでは『ダンジョンの挑戦者に限り、死なない』というものであり、一方的にダンジョンが蹂躙されるだけじゃないのか?
暫し、己が思考に沈んでいた俺の意識を引き戻したのは――一応、同行者といえる子供から発せられた疑問だった。いや、批難の声というべきか。
「貴方は……貴方は一体、何がしたいんだ!? いくらダンジョンの魔物達だろうとも、こんなに一方的で、殺戮とも言えるような真似をして……!」
「綺麗事しか言わないお坊ちゃんは黙ってろ」
「「な!?」」
護衛の騎士が即座に声を上げるが、俺からすれば綺麗事以外の何物でもない。
「人と人の争いに善悪はあるか? ただの殺し合いだろう? そもそも、ダンジョン側から攻めることはないというのに、王位継承権を得るための儀式と称して、ダンジョンの中核たるダンジョンマスターを殺害する奴らが、何を言ってるんだ」
「それ、は……」
子供と騎士は反論できないと悟ったのか、黙り込む。当然だ、こいつらは王族と騎士。俺が口にした内容が勝手なことだと……それを自分達の国がしてきたことだと知っているのだから。
ただ、こいつらはその中でも善良な部類なのだろう。酷い奴になると、正義という言葉は自分達のためにこそあるのだと言わんばかりに、『その何が悪い!』と怒鳴り返してくるだろうから。
「俺が殺したのは、俺の邪魔をした奴ら。雑魚に用はない、俺のお目当てはダンジョンマスターだけだ。さあ、お前達がしてきたことと何が違う? ……それにな、俺はダンジョンで死んだ奴は自業自得だと思っている。どんな理由があろうとも、な」
「え……?」
溜息を吐きながらそう口にすれば、子供は呆けたような顔になった。……ああ、こいつも判っちゃいないのか。俺は『善も悪もない』と散々、口にしているのに。
「自分達の都合で殺しに来た以上、殺される覚悟もしておくべきだ。お前は『王族に同行し、命と引き換えに得た功績を、同行していた王族に捧げる』、『悲しむことを許されない』という二点に不満を抱いていたようだが、それ以前の問題だろう? 死ぬ覚悟ができていない奴が同行したのか? 命を賭けたのは何のためだった? ……お前の主張はそれを根底から覆すものだと、気づいているか? 長年、そうやってきたんだ。何の代案もなく不満を口にしたところで、周囲に受け入れられるはずはない。理想しか見えていないお子様の、ただの我儘だろうが」
「……っ!?」
子供の目が大きく見開かれた。そんな姿に、これまで子供が『甘い』と言われることはあっても、それだけで済まされてきたことが窺える。ついつい、溜息が零れてしまう。
判っている。これは……この子供だけのせいではない。年の割に聡明だろうとも、所詮は大人達に守られた子供なのだ。本来ならば周りの大人達こそが、この優しい子供を納得させる言葉を聞かせなければならなかったはず。
だが、それは成されなかった。恐らく……大人達はダンジョンや王位継承の儀式に対し、何の疑問も抱いてこなかったのだろう。『伝統だから』、『決まりだから』という薄っぺらい認識しかもたず、ただ流されてきた弊害。考えることを放棄して流れに従うのは楽だろうが、異を唱える者が出た時は諫める言葉が出て来ない。
「俺は自分のやっていることに言いわけをしない。だから、俺が殺されようとも恨まない。俺を動かすものが絶望ならば、それは誰にも否定させない。それが俺自身の選択だからだ。……判るか? お前は功績を主に捧げて死んだ奴のために憤っただろうが、そいつの願いを知らないだろう? 何の憂いもなく、達成感のままに死ねたのなら、そいつは自分の人生の勝者じゃないか。その勝利を否定する権利が、お前にあるのか」
「あ……僕、は間違っていた……?」
「間違っていたかどうかなんて、死んだ奴の望みを知らない限り、判断しようがない。だけどな、ダンジョンで死んだ奴らを無条件に哀れむのだけは止めてやれ。中には、全く後悔していない奴だっているだろうからな」
それは俺自身が証明していることでもあった。他者にどう思われようとも、俺には関係がない。ただ、自分の口で否定できる俺と違って、死者には否定しようがないだろう。
この子供は他者を労わる優しさを持っているからこそ、善意を暴走させてほしくはなかった。思い込みのままに突っ走れば、後に待つのは異端扱いと……死なのだから。王位継承の伝統を乱す者だからこそ、その立場が危ういだろう。
「……。そう、だね。傲慢だった。不幸という一括りにしていいものではない」
「そのようなことはございません!」
「そうです! 殿下のお言葉が救いとなった者とて、いるのですから!」
子供が項垂れると、我に返った騎士達が即座に慰める。だが、こいつらとて、判ったはずだ。『代案もなく綺麗事を主張し続ければ、主たる少年は消される』と。こいつらが口にしたことが事実ならば、もう少し賢く立ち回らせてやってほしいものだ。
「貴方は不思議だな。全てを拒絶するくせに、時に、教師のような言葉を与えるなんて」
苦く笑って話しかけてくる子供を一瞥すると、俺は再び足を進める。
「買い被り過ぎだな、俺は綺麗事が嫌いなだけだ。俺の言葉とて、無視してくれて構わない。……ああ」
足を進めた、視線の先。そこにこれまでとは違う存在の姿を認め、俺は暗く笑った。
「漸く、お出ましか」
「……ようこそ、と申し上げるべきでしょうか? 挑戦者殿。随分と暴れたようですね」
黒い髪に赤い瞳、そして整った容姿。貴族にも見えるその姿の中、纏う雰囲気だけが見た目を裏切っている。
「アストゥトと申します。此度の来訪、歓迎いたしますよ」
「……そうか。自分から殺されに来てくれるなんて、ありがたいな」
「死ぬつもりはございませんので。これでも多忙な身なのです。厄介事はさっさと片付けてしまいたいのですよ」
そう言って薄っすらと笑みを浮かべる男――アストゥトを前に。俺は初めて、楽しげな笑みを向けた。




