第二十話 足掻く者と絶望する者
――王城・とある一室にて
「そうか、姉上はやはり愚かなままなのだな」
「はい……。いかがいたしましょう? このままでは、本格的にダンジョンマスターを怒らせてしまいます。いくら『勇者』が規格外に強かったとしても、所詮は人間。そもそも、今のダンジョンマスターが倒されたとしても、また新たなダンジョンマスターが生まれるだけですわ」
報告をしてきた侍女を前に、少年は苦い顔をする。彼こそ、アマルティアが口にしていた弟王子であり、王位継承の儀式に疑問を抱いた王族だった。
アマルティアは『王族の在り方に従わない』と見下していたが、彼は聡明だからこそ、十歳という年齢でありながら、そのような疑問を抱いたのだ。ただ、子供特有の正義感や素直さを持ち合わせているため、それを口に出すべきではないという『常識』に納得していなかった。
切っ掛けは、兄王子の試練に同行した騎士の死。命を賭して役目を全うした誇り高さを称えることは理解できても、『その死を悼み、悲しんではならない』という周囲の空気に納得などできるはずもない。死した騎士の家族さえもそれに倣う風潮に、少年――アルドは憤っているのだった。
試練に勝利した王族への遠慮なのか、その功績が霞むことを恐れたのかは判らないが、アルドにとっては非常に歪な風習に見えていた。兄王子が無事に試練を終えたことは喜ばしいが、その顔に何とも言えないやるせなさを見てしまった。それも、そのように思う一因なのだろう。
どれほど綺麗事を言おうが、同行者を踏み台にしてダンジョンマスターを倒し、その功績を次代の王たる王族が独り占めすることは事実。いつかはその報いを受ける日が来る。同行者の死を悲しみ、そのような儀式を続ける王族を批難する者がいても不思議はないのだから。
「……。姉上は『勇者』の独断のように見せかける気だと言ったな? ならば僕がそれに同行し、万が一の場合は僕の首を捧げて、ダンジョンマスターの怒りを静めてもらおう。その際、お前達は父上に今の話を報告しろ。いいか、姉上の計画も含めた全てだ」
「お待ちください!」
アルドの言葉に、侍女が悲鳴のような声を上げる。護衛の騎士もぎょっとして視線を向けるも、その対象たる少年に恐れは見られない。
「僕は『王族としての在り方』とやらに馴染めない出来損ないだが、これでも継承権を持つ第三王子だ。ダンジョンマスターとて、王族の首があれば許してくれるだろう。少なくとも、僕はエリクの件に関しては感謝してるんだ。何より……僕自身がダンジョンマスターと話がしてみたい」
はっとする侍女達に小さく笑うと、アルドは続けた。
「『殺さずのダンジョン』なんて、これまでにはなかったことなのだろう? だから、そのようなダンジョンを造ろうと思った理由を聞いてみたいんだ。『殺さずのダンジョン』は少しずつだが、皆に……特に民間人に受け入れられている。そのようなダンジョンのマスターを討伐すれば、王家は確実に恨まれるだろう。今は良くても、兄上の子が試練に挑む時は確実に訪れるのだから」
それは王が抱いている危惧でもあった。いや、王族達や王位継承の儀式を続けてきた者達全てが漠然と抱いている不安であろう。この国が王位継承の儀式を続けていく以上、それは逃れられない未来なのである。
「ダンジョンとの付き合いを変えるならば、今しかない。命を落とすことになるかもしれないが、僕の死は無駄にはならないだろう。兄上達は立派な方だ、僕がこの役に相応しい」
心底そう思っているのか、アルドの表情は穏やかなまま。寧ろ、彼を主と定めている者達の方が、よほど悲痛そうな顔をしている。それは決意を固めた主に対する哀れみではなく、この年で聡明さを見せるアルドへの忠誠からくるものであった。
この少年を『甘過ぎる』と嘲笑う者がいることは事実だが、賛同者とて存在するのだ。現に、彼に王女の企みを教えた侍女は、此度の王位継承の儀式で命を落とした同行者の姉である。
口にすることが許されぬ本心を、この王族の少年が主張してくれた時。……彼女は初めて、弟のために涙を流せたのだ。それが当たり前なのだと……家族の死を悲しんでもよいのだと思うことができた。
そして、泣くだけ泣いた後、彼女の胸に宿ったのは、幼い王子への忠誠と感謝であった。慣習に捉われず、批難されてもなお、己が意志を口にできるアルドの強さにこそ、彼女は平伏したのだ。
その決意は今も彼女を奮い立たせ、主を失うかもしれない恐怖に打ち勝たせていた。
我らの嘆きなど些細なこと。主が命を賭して選ばれた道ならばこそ、邪魔をしてはならぬ。
どのような結果になろうとも、我らが主の思うがまま、その道を行かれるがいい。
「……判りました。ですが、我らにとっては貴方様こそが唯一の主にございます。殉じることはお許しくださいませ。唯一の主を失ってなお生き長らえる恥など、晒したくはございません」
「……。他に生きる道は選べないか」
「生き長らえれば、私は誰かを恨まずにいられません。弟に恥じない自分でありたいのです」
深く頭を垂れた侍女の顔を見ることはできない。そして、同意するように頭を下げた騎士達の表情も。けれど、その決意の重さはアルドに伝わったのだろう。呆れたように微笑むと、アルドは苦笑しつつも許可を出す。
「判った、許そう。だが、僕はあくまでも『勇者』に同行し、ダンジョンマスターと語り合うことが目的だ。僕の命が消えようとも、ダンジョンの者達を恨んでくれるな」
「勿論です。その場合、我らは貴方様の配下であったことを誇りましょう。貴方様は姉上様の愚行を知り、その命をもって国を守ったと……陛下にご報告させていただきます」
「頼んだ」
確率は半々、それでも彼らの表情に浮かぶのは笑み。忠誠を向ける配下の数こそ少なかったが、アルドは紛れもなく彼らの『主』であった。彼らからの忠誠こそが、死の恐怖を前にアルドを奮い立たせているものである。
「では、姉上が動き次第、『勇者』に接触しようか。その『勇者』が愚か者でなければ、姉上の本心など、たやすく見抜くだろうからな!」
※※※※※※※※※
「……で? あのお姫様の指示に従えって?」
目の前の男の視線に、アルドは思わず肩を震わせた。接触した『勇者』のあまりの冷たい瞳に、その全てを拒絶するかのような態度に、全身の体温を持っていかれたような気分になっているのだ。
『勇者』。そう呼ばれている人物は噂通り、非常に見目麗しい。だが、身に纏う雰囲気が彼の全てを台無しにしている。金の髪に青い目という色彩が良く似合う造形ながら、『勇者』は僅かな笑みさえ浮かべないのだ。
「俺は確かに、『神やそれに連なる存在が嫌いだ』と言った。だが、この国の駒になるなんて言っていない。勝手に召喚しておいて、お前達は何様のつもりだ」
冷たい目を向けてくる『勇者』に、アルドは身震いする。その言葉も痛いが、それ以上に感情の感じられない目が、言い知れぬ恐怖を湧き上がらせるのだ。
何だ、『これ』は。この絶望の権化のような存在を、僕達は『勇者』と呼んでいたのか!
力があるからこそ恐ろしい、というものではない。喩えるならば、まるで果てのない暗闇だ。神に愛された造形と色彩を持つこの『勇者』は、神を憎むゆえに、その存在を闇に堕としたらしい。
「……僕はダンジョンマスターと話がしたいんだ。だから、貴方にお願いしたい。どうか、姉の策に騙された振りをして、僕と共にダンジョンに向かってくれないだろうか」
頼む、と頭を下げたアルドに、『勇者』は意外そうな表情を見せた。
「へぇ……弟の方は礼儀を弁えているんだな。言っておくが、俺は守らないぞ?」
「構わない。ただ……貴方も一度はダンジョンマスターと話をした方がいいと思う。此度のダンジョンマスターは、これまでの者と大きく異なる。殺してから後悔しても遅いだろう」
アルドの言葉を受け、『勇者』はそれを鼻で笑った。
「そのダンジョンマスターとやらが善であろうと、悪であろうと、俺には関係ない。俺は神に連なる存在が嫌いだ。目の前に在るならば、滅ぼすのみ」
「……どうして、そこまで憎むんだ?」
幼いゆえの無謀さでアルドが問いかければ、『勇者』は瞳を更なる絶望に染めて苦く笑う。
「俺の『救い』を……『唯一』を奪い去ったのが、神の祝福だからだよ。……さあ、一緒に行くなら付いて来い」
それだけ言うと、『勇者』は背を向けて歩き出す。慌てて足を進めるアルドを気遣うことなく、『勇者』はダンジョンへと足を進めた。不思議と、その行動を咎める者はいない。ここは公爵家の離れであり、この『勇者』は監視されている存在だというのに……!
ただ、アルドはそれを不思議に思っても、何故か……『勇者』に尋ねることはできなかった。
――アルドからは背中しか見えないその姿、全てを拒絶する背が泣いているように見えたのだ。




