第十八話 ダンジョンからの抗議 其の二
被害者であるエリク直々に言われたアマルティア姫は、びくりと肩を震わせる。そんなことでエリクが追及の手を緩めるはずはなく、アマルティア姫の瞳には涙が溜まっていった。
視線を彷徨わせるアマルティア姫には、誰も救いの手を差し伸べない。差し伸べられるはずはないのだ……エリクの言っていることは事実なのだから。
アマルティア姫を諫める人がいなかったわけではない。アマルティア姫自身がその言葉を無視し続けた。それがこの場に繋がっているのだから、彼女は自業自得である。
「何を驚いているんです? ここまではっきり言われなかったのは、貴女が王女だからですよ。いえ、それでもできる限り理解させようとした人達はいたでしょう。それを散々、無視しておいて……まだ耳を塞ぎ続ける気ですか?」
『あ……い、いいえ、私はそんな……』
何とか言い訳をしようとしているのか、涙を流しながらも必死に口を動かそうとするアマルティア姫。そんな彼女の姿は非常に庇護欲を誘うものではあったが、彼女の行ないを知る者からすれば、演技でもしているのかと思えてしまう。
あざといのだ、彼女。自分の見た目や立場を最大限に利用することを、絶対に『知っている』。
寧ろ、泣きながら謝罪し続ける方が幼さと無知さが強調されるとはいえ、まだ誠実に見えるだろう。……責められる恐怖以外を感じていなかったとしても。
「貴女の婚約は国同士の取り決めです。それなのに、周囲の人間に諫められるほど他の男を追うなど! ……貴女の勝手な振る舞いのせいで、どれほど外交を担っている方達が肩身の狭い思いをなさったことか、考えたこともないのでしょう?」
『でも! それはお父様が勝手にお決めになられたことで、私は承諾などしておりません!』
「王女であろうとも、陛下の一臣下です。身分を振り翳しておいて、ご自分はそれを無視なさる気ですか? ……ああ、私がこの場ではっきりと言っている以上、もう『知らなかった』という言い訳は使えませんよ? 勿論、理解なさっているとは思いますが」
『⁉』
冷たく笑うエリクの指摘に、アマルティア姫は口を噤んだ。エリクはただ彼女を責めていたわけではない。これまで迷惑をかけられ続けてきた経験を活かし、彼女の逃げ道を塞いだのだ。
しかも、ここは『ダンジョンマスターからの抗議の場』。アマルティア姫を甘やかし続けていた者達だろうとも、これ以上庇い続けることはできまい。
『エリクよ、そなたは……』
王様はエリクの思惑が判ったのか、はっとしてエリクへと顔を向けている。そんなかつての主へと向かって、エリクは優雅に一礼した。
「これが最後の忠誠とさせていただきます。これ以降、私の忠誠はダンジョンマスター様のものとなる。……どうか、私の言葉を無駄にしてくださいますな。守るべくは国にございます。貴方に忠誠を誓っていた私も、確かに存在していたのですから」
『そう、か。そなたの忠誠を嬉しく思う。アマルティアに関しては、もはや何も案ずることはない。これまでのアマルティアの行動から、両国で婚約解消の話が進められている。いくら何でも、これほどの愚か者を他国に託すわけにはいかん。……アマルティアよ』
『は、はいっ!』
エリクの言葉に僅かに目を潤ませた王は、何度も頷きながらその行動に感謝した。国の頂点に立つ存在だからこそ、エリクに頭を下げるわけにはいかないのだろう。その代わりとばかりに、アマルティア姫の今後を口にする。……それを聞いた貴族達にも安堵が広がるあたり、彼女の行動は相手の国を怒らせかけていたのかもしれない。
そして、王様はエリクに向けていたものとは全く違う厳しい声と表情をアマルティア姫に向けた。先ほどまでのエリクの言葉がショックだったのか、アマルティア姫は未だにびくついたままだ。
『嬉しかろうな、婚約の話が消えて! だがな、お前は今後、どうするつもりだ? とてもではないが、他国になど嫁がせるわけにはいかん。かといって、年と身分が吊り合う者達は軒並み、すでに婚約者がいる身。お前を貰ってもいいという物好きがいればいいがな?』
『そ、そんな……お父様、お許しください!』
『ならん! お前の【本性】など、とうに知っておる! ゆえに、他国に嫁がせてもやっていけると思っておったが……ただの悪女ではな。気づく者は気づいているぞ、見縊るでない!』
アマルティア姫は顔を強張らせ、カタカタと震え出した。王様の言葉だけを捉えたならば……『アマルティア姫が本当に、恋物語に憧れているだけであれば』、ここは素直に喜ぶはずである。それなのに、彼女の反応は喜びとは程遠い。何より、王様の言葉が示すものは――
「悪質ですね。エリクは王女の本質に気づいていたからこそ、迂闊な行動を取れなかったのでしょう。まったく……幼くとも、悪女にはなれるものですね」
アストからの耳打ちに視線を向ければ、アストは顔を顰めて不快感を表していた。そんなアストに、ちらりと浮かんだ疑惑を確信に変える。
「やっぱり、あの王女様って腹黒いと思う?」
「無知を装った悪女でしょう、あれは。人を玩具にして遊ぶタイプですよ」
こそこそと小声で会話する私達に気づいているだろうに、エリクは何も言わなかった。私達にも告げないあたり、それが彼なりに王様へと向けた最後の忠誠なのだろう。
おいおい、この王女様、最悪じゃねーか。 絶対に、物語のような恋に憧れているだけじゃなかったろ!? しかも、全ては計算ずくの可能性があるのかよ!
エリクのことを本格的な婚姻前のお遊び程度に考えていたか、婚約者が惜しくなったかは判らないが、彼女は何一つ、自分が背負う気はなかったに違いない。何より、彼女の本性は見た目通りのものではなかったのだ。いや、『自分で言っていたことさえ、建前に過ぎなかった』のか。
これは王様も対処に困るだろう。婚約話がある以上は大々的に断罪もできず、かといって野放しも困る。しかも、アマルティア姫自身が周囲を騙しているから、性質が悪い。
そんなアマルティア姫の本性を暴き、問題を解決させた切っ掛けが、エリクからの断罪。エリクは正しく、最後のお役目を果たしたわけだ。そういえば、エリクは『馬鹿女』とか、王女のことを散々に扱き下ろしていた気がする。あれは彼女の本性を差してのことだったのか。
無知を装い、恋物語に憧れる王女――その恋に殉じる気など、欠片もない。周囲の混乱も、他者の苦悩も知りながら、『自分が引き起こした』という快感に酔いしれる悪女。
大変、悪質です。エリクが困る姿さえ、楽しんでいたんじゃないかい? この王女様。騙されていた者達もいるだろうし、意図的に甘やかした者達もいただろう。それを逆手に取って『遊んでいた』のが、第二王女・アマルティア。
しかし、上には上がいる。王様にはそんな彼女の演技などお見通しだった。いや、その本性を知るからこそ、他国へと嫁がせることにしたのだろう。『アマルティアならば、上手く立ち回れる』と。悪女な一面を長所と捉え、送り出そうとしていた。婚約話があちらからの要請で断れない場合、そういった面は武器になると考えたのかもしれない。
しかし、アマルティア姫は王様の想像以上に愚かだった。そう気づいてからは王様とて、婚約話に頭が痛かっただろう。寧ろ、誰よりも断罪の機会を待っていたに違いない。それを証明するのが、今なお続けられているアマルティア姫への言葉。
『もっと喜べばいいではないか。ああ、此度のことがあるゆえ、そなたの周囲の者は一新する。これまで通りにはいかんぞ? アマルティア』
『……っ』
映像の中のアマルティア姫は震えるばかり。彼女はずっと自分が強者であったがゆえに、敗北を知らなかったのだろう。だからこそ、王の言葉が……『自分以上の者からの言葉』が恐ろしい。
それじゃ、そろそろ終わりにしようかな。エリクも目的を果たしたようだし、私達もこれ以上の会話は望まない。元の場所に近づけば、エリクは察して場所を譲ってくれた。
「それでは、エリクの件については対処していただけるのですね?」
『ん? ああ、すまないな。勿論だ』
王様は力強く頷く。そんな姿に、彼の憂いが晴れたことを知った。……エリクの人間としての心残りはなくなったのだ。これからは、私達がエリクの仲間である。
「それでは失礼させていただきます。エリクはすでに我らが仲間……守り慈しむのが当然なのです。貴方達からの同情など不要ですので、やるべきことをなさってくださいね」
そう告げ、そのまま通信を切る。視線を向ければ、エリクが何とも言えない表情で私を見つめていた。そんなエリクに対し、私は笑って手を差し伸べる。
「私のダンジョンにようこそ、エリク。ここに暮らす魔物達を、私は家族と思っている。勿論、私の手でデュラハンになった貴方もそれに該当するよ。歓迎するわ」
「っ! はい……はい! 宜しくお願いします!」
泣きそうな笑顔で手を握り返すエリクの背後では、アストが苦笑して私達を眺めている。何だかんだ言っても、アストはここの魔物達には優しい。軽く頷いてくれるあたり、エリクの受け入れも了承してくれたのだろう。
――その日、ダンジョンで起きた事件は収束し。私達は新たな仲間を得た。