第四十一話 『理解し合えない存在』(アストゥト視点)
「腕が……私の腕、が……? え……?」
片腕で傷を押さえるも、アイシャさんは呆けたような表情になりました。それも当然でしょう……彼女の腕は確かに切り落とされたというのに、血の一滴も流れないのですから。
いえ、血が流れないだけではなく、痛みさえもないのでしょう。彼女がデュラハン――所謂、アンデッドであることは今更ですが、本人に自覚があったかは別問題なのです。
アイシャさんは漸く、自分がすでに人ではないという事実に思い至ったようでした。
「当たり前だろうが。お前は我がダンジョンで死に、私の手によってデュラハンとして蘇った。もはやダンジョンの外に出ることは叶わず、人と慣れ合うこともない。生前の知り合いに化け物扱いされることもあるだろう。魔物化とはそういうことだ」
「まして、貴様は主たる閣下に牙を剥いた。異界の神の力を得、この世界から弾かれた存在になろうとも、『己が配下』と言ってくださった閣下に対してな! その意味も判らぬ愚か者に用はない。誰にも認められることなく、そこで朽ちていけ!」
ザイードは心底、怒っているのでしょう。彼は基本的に真面目ですが、今回ばかりはいつにも増して辛辣です。それほどに、怒り心頭だったということでしょうね。
「化け物……私が? じゃあ、誰が私を認めてくれるの?」
「ダンジョンの魔物としてなら、認められたかもしれませんね。ですが、もう二度と冒険者になることはない。死者が生者と共に過ごすことはありませんし、それ以前に、生者は魔物を敵と認識します。……特に、貴女のようなアンデッドは」
「私……私は! そんなことを望んでいない!」
「ですが、人としての時間はすでに終えてしまったのでしょう?」
現実を突き付ければ、アイシャさんは黙り込みました。
生きていれば反省し、やり直す未来も選べたでしょう。ですが、彼女の人としての時間はすでに終わっており、もうやり直すことなどできないのです。
それ以前に、彼女の体は。
「あ……あああああぁぁぁぁ……!」
嘆くごとに、アイシャさんの体がボロボロと崩れていきます。それは人……いえ、アンデッドというより、人形が土に還っていっているようでした。体の方も限界だったのでしょう。
「僕達は君に同情しません。相方だったリリィさんだけでなく、多くの人達の苦言や助言の一切を無視したのは君自身じゃないか。それに、力に驕って他者を見下していたのは、紛れもなく君の本心。自分勝手な正義を押し付ける君の本質ですよ」
「哀れなものだな。やり直せなくなってから漸く、気付くなんて」
ルイに比べれば、凪の言葉は随分と優しい。ですが、その表情を見る限り、哀れんでいるというよりも嫌悪を覚えているようでした。
……ああ、縋るように凪を見たアイシャさんもそれに気が付いたようですね。顔を強張らせ、僅かに後ろへと下がりましたから。
それでも諦めきれないのか、アイシャさんは俯いたまま悔しそうに呟きました。
「私も貴方達のような存在を作り出せていれば……!」
「無理でしょうね」
「無理だな」
「惨めになるだけじゃないかな」
私、凪、ルイの声が同時に響きます。私達は視線を交し合うと、代表するかのようにルイが口を開きました。
「いくら創造されようとも、慕われるかは別問題なんですよ。君はザイード様の怒りに気が付かないんですか? あれは補佐という『役目』だけが原因じゃない。僕達だって同じ。……ああ、これだけは言っておきたかったんだ」
そう言うなり、ルイは普段からは考えられないような冷たい笑みを浮かべました。
「僕も姉さんも君が嫌いなんです。君達だって、親しい人とそうでない人に同じ態度を取ったりしないでしょう? 自我があるから、僕達にだって感情がある。だからね、聖さんが通常のダンジョンを望むならば、即座に僕達は挑戦者達の敵となる」
「結局は、創造者の言いなりってことじゃない!」
「違います。『僕達自身が、彼女の願いを叶えることを望む』んですよ。だって、大事なのは聖さんと仲間達だから。挑戦者達との関係が崩れることを残念に思っても、躊躇うことはない。君達が大好きな言葉に置き換えると、聖さんは『最愛』にして『唯一』といったところかな」
「……っ」
アイシャさんはルイの変貌ぶりに驚いているようですが、私としては今更です。ルイ達姉弟は魔物……それも自分勝手に振る舞い、享楽的に生きる淫魔。元より、感情優先に生きる種なのです。
今回、ソアラがいつになく憤っていたのも、聖への言い掛かりが許せなかったからでしょう。
……ですが。
ルイは『仲間達も大切』と言い切っているのです。始まりこそ聖の影響だったでしょうが、今はルイ自身の意思……共に過ごす中で培われていったもの。
勿論、そういった感情を抱いているのは彼だけではありません。
「ご立派な忠誠心ね。だけど、逆はないのでしょう? 『最愛』の唯一になれないのに?」
それでも一矢報いたいと思ったのか、アイシャさんが嘲るように問い掛けます。対して、ルイはきょとんとなり、不思議そうに首を傾げました。
「何故、僕が『唯一』になる必要が? 凪、僕やアスト様が聖さんの傍に居たら、どう思う?」
「安心する。二人ならば、聖を必ず守るだろう。これは他の奴でも同じだが」
「そうだよね。貴族階級の女性当主と複数の補佐みたいな関係って、僕達には理想的かも」
「聖は風評被害云々と言っていたが、俺は事実でも全く構わなかった」
「な……」
「嫉妬させたいのかもしれないけど、無駄ですよ。僕達にとっての『唯一』が共通している以上、覚えるのは嫉妬ではなく安堵です。それに聖さん曰く、僕達は運命共同体なのだから」
驚くアイシャさんは未だ、我々を自分の価値観で捉えているようですね。聖が戦闘能力皆無である以上、ルイの言葉は的確です。そもそも、何故、独占欲があると思うのか……。
そこで、ふと気が付きました。『凪に対するルイの言葉が、随分と気安くなっている』ということに。
こういった変化も、日々の生活が影響しているのでしょう。凪もそれに気付いたのか、ほんの少しだけ嬉しそうにしています。さて、そろそろ話を終わらせましょうか。
「これまで存在したダンジョンマスターの中には、創造した魔物達を愛人のように扱う方もいらっしゃいました。我々は同個体の記憶を有していますので、そういったことに特に拘りはないのですよ。何度も言いますが、我々と貴方達には大きな隔たりがあることをご理解ください」
頭が痛いとばかりに告げれば、皆――ウォルター様やザイードも含む――が大きく頷きました。
アイシャさんは我々を理解などしていない……いえ、する気などないのでしょう。まあ、同じ人間に対しての理解さえ見せない彼女に、何を言っても無駄だとは思いますけれど。
「無駄……そう、私のしたことは無駄だったのね……」
ほんの少しの傷さえつけられない。そう理解したのか、アイシャさんは表情を失くしました。体の崩壊は続いており、もはや彼女の全てが崩れ落ちるのは時間の問題です。
――そして。
「……ィ」
最後に小さく呟くと、アイシャさんは完全に崩れ落ちました。その途端、ずっと見守っていてくださったであろう創造主様の声が響きます。
『皆、すぐにこっちに戻すから! 皆が戻り次第、そこを消滅させるよ!』
声と同時に、視界が揺らぎました。私は最後に、ただの土塊となったアイシャさんへと一度、視線を向けます。彼女にとって『二度目の死』は、一度目同様に絶望に彩られていたことでしょう。
「最期に名を呼ぶくらい大事だったら、離れない努力をすれば良かったのですよ」
彼女が最期に呟いたのは、相方であった少女の名前。反省や後悔をしないように見受けられたアイシャさんですが、相方のことだけは別だったのかもしれません。
「次があるかは判りませんが……今、この世界の命として存在していた貴女に、お悔やみを」
同情する気はありませんが、貴女の末路は口を噤んで差し上げます。リリィさん達が知って悲しむなど、聖も望まないでしょうからね。