第四十話 『自分勝手な者達の宴 其の二』
――アイシャが隔離されているダンジョンにて(ルイ視点)
僕達の姿を見た途端、アイシャさんはにんまりと笑った。その笑みに、もはや彼女が人間ではないと痛感する。
いや、『人間』というよりも、性格そのものが変わってしまったのだろう。
少なくとも、以前の彼女はあんな笑い方をしなかった。
方向性こそ間違っていたけれど、友人のために憤る姿に嘘は感じられなかったのだから。
「力に飲まれた人間というのは皆、あのような顔をします。優越感、他者への見下し……自分が強者だと思い込んでいるゆえに、秘めていた醜い部分が表面化するのでしょうかね」
「アスト様は彼女のような人をご存知なのですか?」
妙に実感の籠もった言葉のように聞こえ、好奇心のままに尋ねると、アスト様は暫し沈黙し。
「……『与えられた力を誇示し、優越感に浸り、他者を見下す者』。これまで存在したダンジョンマスター達の中には、そういった方がそれなりにいらっしゃいましたから」
実に納得できる答えをくれた。……ああ、確かに。僕の中にある記憶を探ってみても、そういった方はいた。寧ろ、ダンジョンの支配者として存在するせいか、それなりに多かったと思う。
「聖さんと過ごす日々に慣れていたせいか、忘れていました」
聖さんが人間だった頃のことは知らないけれど、きっと今と変わらなかっただろう。そうでなければ、凪があれほど懐くはずがない。
不可思議な子供だった凪を不気味に思うことなく、当たり前のように庇った聖さん。
魔物達に自我を望み、共に楽しく暮らそうと手を差し伸べてくれた聖さん。
凪だけでなく、創造された魔物達が聖さんを慕うのは……『初めて手を差し伸べてくれた人だから』。
そんなマスターなんて、今迄いなかった。決して、自分を創造した主というだけではない。
――同個体の記憶を有するからこそ、彼女が向けてくれた好意がとても嬉しかったのだ。
きっと、自我を与えられた僕達が初めて覚えた感情は『喜び』だ。そして、そんな聖さんの影響を受けたからこそ、僕達は今、ダンジョンで挑戦者達と上手くやっていけているのだと思う。
自我を持つ僕達からすれば、人間である挑戦者達は弱者に思えてしまう。それでも見下したり、優越感に浸ったりしないのは、間違いなく聖さんの影響だろう。
もしも、自我を与えられただけだったら……僕達とて、今のアイシャさんのようになっていたのかもしれない。
「僕達も自我を持つだけだったら、あのようになっていたのかもしれませんね」
「耳に痛い言葉だな」
凪も僕達の会話を聞いていたらしい。
「俺は力を疎んではいたが、同時に利用してもいた。自分の運命を憎むのではなく、何らかの野心を抱いていたら……彼女のようになっていたかもな。神の力に宛てられて破滅する人間達を数多く見てきたが、哀れんだことはなかったよ。俺は自分の不運を嘆き、元凶を憎むだけだった」
「まあ、凪の場合は仕方ないのかもしれませんね。その憎しみこそが唯一、凪の正気を繋ぎ止めるものだったのだと思いますよ? その果てに、今がある。それでいいじゃないですか」
そう言うと、アスト様は銃を構えた。視線を向けると、アイシャさんがウォルター様達と対峙している。『初手は譲ってほしい』――そう言われていたからこそ、僕達は今『は』動かない。
「あら、マスターさん。補佐を引き連れて討伐に来たの?」
本来ならば、己の創造主たるウォルター様にそんな口などきけるはずはない。それ以前に、二人が彼女に向ける殺気は本物だ。手練れであっても、軽口など叩けない。
「余裕だな、アイシャよ。力に縋っているだけのくせに、他者への侮辱は忘れんとは、見下げ果てた性根だな。本来のお前など、冒険者達にさえ、まともに相手をされないだろうに」
「煩い! 強ければ……強い者が正しいのよ。私は強いわ。それで十分」
ウォルター様の言葉に、アイシャは醜く顔を歪めた。言い訳のように言葉を紡ぐのは、彼女自身、どこかで指摘されたことが事実だと判っているからだろう。
そんな彼女の姿に、僕の心は益々、凍えていく。
――ああ、なんてくだらない生き物! 醜く、愚かで、生きる価値のない化け物!
そんなことを考えていると、不意にアイシャの視線が僕を捉えた。不快感に、思わず顔を顰める。
「あら……ルイさんも来てくれたの? どう? 少しは私を認める気になったかしら?」
「口を閉じてくれませんか? 耳障りな雑音でしかないのですから」
「な!?」
僕がそんなことを言うとは思っていなかったのか、アイシャさんは酷く驚いたようだった。だが、それこそ彼女が僕の見た目しか見ていなかった証のように感じてしまう。
「何を驚いているんです? 僕は魔物です。それも、特に己の感情に素直と言われている淫魔。貴女には嫌悪感しかありませんし、優しくする義理もない」
「ふ、ふうん、それが本性なの? お優しいダンジョンマスターの言いなりになって、普段は優しい人を演じているというわけね。素晴らしい奴隷根性……きゃ!?」
声を上げた彼女の頬に、一筋の朱が流れる。それを成したのは――
「申し訳ございません、ウォルター様。害虫の鳴き声があまりにも不快で、我慢できませんでした。お叱りは如何様にも」
わざとらしい笑みの中、笑っていない目で銃を撃ったアスト様だった。
視線を向けると、凪の掌が仄かに光っている。アスト様がやらなければ、凪が魔法を撃つつもりだったらしい。
「あそこまで言われて、何もしない方が問題だ。君達は腑抜けではないからな。ザイードとて、君達の立場ならば黙っていまい。なあ? ザイード」
「当然にございます」
怒るどころか、満足そうな表情のウォルター様。同意を求められたザイード様とて、誇らしげに頷いている。
そんな二人の姿に、彼らの間にも確かな絆が築かれていると知った。僕達とは違うのかもしれないが、彼らは自分達の在り方に満足しているのだろう。
「……によ。何なのよ、どうして力ある存在となった私を認めないの!? ダンジョンマスターじゃないから!? 人間だったから!? それとも……」
「そのどれでもない。お前自身に価値がないからだ」
「っ!?」
激高しかけたアイシャさんの言葉を遮り、ウォルター様が呆れた表情で言い切った。
「私の強さは、私自身が得たものだ。ダンジョンマスターの地位こそ得たが、その立場に恥じぬよう努力してきたつもりだ。そうでなければ、従ってくれるザイードや魔物達に申し訳が立たん」
「その人だって、創造主から付けられたんでしょう!?」
「その通り。……だがな、背中を預けられる友となれるかは私次第だ。ああ、彼らにしても同じだぞ? 聖は本当に、彼らを大事にしているようだからな。そうでなければ、自我がある魔物達が守るまいよ。手を抜くことはできるのだから」
『何もしなければ、何も得られない』
ダンジョンマスターの在り方は非常にシンプルなのだ。与えられた物だけで満足すれば良し、分不相応に驕れば、討伐されるだけ。
明暗を分けるのは、『どれだけ配下の魔物達やダンジョンに心を砕いたか』。たとえ魔物達に自我がなくとも、己の駒として気にかけていれば、挑戦者達にとっての脅威と化す。
ウォルター様だけでなく、今回手合わせをしたお二方は己が配下達を大切にしていた。いや、誇っていると言ってもいい。
そのような方達だからこそ、皇国のダンジョンにおいて今なお、討伐されずにいるのだろう。
自我がなくとも、魔物達は主を守る。その本能があるゆえに。
そして、魔物達を強くするのはダンジョンマスター。魔物達の主にして、唯一の『守護者』。
「何で……私、は……私だって……! ……。いいえ、認めない。貴方達を倒せば、私は多くのダンジョンマスター達にさえ一目置かれる存在になるのだから!」
俯いていたアイシャさんは顔を上げると、手にした剣をウォルター様へと向けた。その目は憎しみに染まり、どこか危ういように感じる。……正気を失いかけているのかもしれない。
「チッ、どこまでも反省できぬ娘だな。ザイード、いくぞ!」
「はっ!」
アイシャさんの言葉が合図だったかのように、彼らは戦い始めた。単純な強さならば、ウォルター様達の方に軍配が上がるはず。
けれど、明らかに彼女よりも強い二人が同時に切りかかってさえ、アイシャさんは潰れなかった。
「身体能力が飛躍的に向上しているようですね。剣にも魔力を纏わせ、威力を上げているようです。一度でも刃を受ければ、致命傷になりかねません。ですから、お二人とも全力で応戦しているのでしょう。彼女の攻撃を上手くいなし、避けているのは、流石としか言いようがありません。……凪、貴方は戦闘に加わらず、怪我を受けた際の治癒をお願いします」
「判った。だが、アスト。あれではアストとルイも、迂闊に手が出せないんじゃないか?」
アスト様の言葉に頷くも、凪の言葉も事実だった。三人とも剣を使っているせいか、距離が非常に近いのだ。
しかも、動きが早い。これでは僕の魔法どころか、アスト様の狙撃すら危うい。
それでも何とかなっているのは、ウォルター様とザイード様の息が合っているからだろう。『背中を預けられる友』……その意味が判った気がした。
「……ウォルター様達はこうなることを見越していたのかもしれません。攻撃を受けた時、体勢を立て直すためのサポートを私達に担わせ、凪を治癒担当にする。やはり、己が配下として創造した以上、ご自分でけじめをつけたいのでしょうね。唯一、同じ舞台に上がることを許されたのがザイードなのでしょう」
――あの方は誇り高いダンジョンマスターですから。
そう続いたアスト様の言葉に、僕と凪は揃って彼らに視線を向けた。
……アイシャさん、君は本当に愚かだね。こんな状態になってまで、君に対して責任を取ろうとしてくれている『主』と『仲間』がいるのに。それに気付かず、自分の主張を振り翳すだけなんて。
「ほらほら、どうしたの? 二人がかりなのに情けないわよっ」
アイシャさんは勝利を確信しているのか、饒舌だ。――だが。
「ザイード、やれっ!」
勢いを完全に殺しきれず、アイシャさんの剣を受けたウォルター様。だが、肩から血を滲ませたウォルター様は臆することなく叫び、その言葉を受けて背後から現れたザイード様は。
「え? き……きゃぁぁぁっ」
――主の期待に応えるべく、アイシャさんの片腕を切り落としたのだった。