第三十九話 『自分勝手な者達の宴 其の一』
――アイシャが隔離されているダンジョンにて
『聖女』曰く『人形』――アイシャは敵を探して、ダンジョン内を彷徨っていた。
閉ざされた場所であることは判っていたが、自分が放置されるとも思っていない。そんな確信があったからこそ、彼女は血塗れた剣を片手に『敵』を探す。
「焦る必要はないわ、私は強いもの。ダンジョンマスターにさえ傷を負わせ、彼らに撤退を余儀なくさせた。私を野放しにできるはずはない……きっと、討伐にやって来る」
そこを勝利すればいい。アイシャはそんな風に考えていた。
彼女は単純にも、自分が力を得たとしか思っていない。姿が生前と変わっていない上、自我もあることから、魔物化をあまりにも軽く考えているのだ。
――勿論、現実はアイシャの認識と異なっている。
彼女はもはや、ダンジョンの外に出ることができない。それどころか、ダンジョンに括られる存在であり、命の輪に還ることができるかすら怪しかった。
通常ならば温情が与えられ、いつかは解放される可能性もあっただろうが、今の彼女は異世界の創造主の力と交ざり合った異質な存在……創造主の干渉さえ受け付けない『異端』なのである。
ただでさえ危険視されて当然なのに、最も厄介なのはその思考。創造主であるダンジョンマスターを平然と傷つけ、自分の強さに酔うアイシャはまさに、『最悪の化け物』であった。
余談だが、魔物化された者達の大半に自我がないのは、創造主による温情だ。
人の精神は『異端』になって平然としていられるほど、逞しくはできていない。見知った者達に化け物扱いされ、異形である現実を突き付けられながら存在するのは、時が経てば経つほど苦しくなる。
アイシャはそういったことに思い至らずにいるからこそ、高揚した気分のままでいられるのだろう。……その分、気付いた時の絶望は深いだろうが。
創造主たる縁の懸念はまさにそれであった。アイシャのことは自業自得だと思っているが、彼女が絶望し、形振り構わず憎しみをぶつけだした時を想うと、野放しもできない。
『野放しにできない』という認識は同じであっても、アイシャと創造主側の者達との間には大きなずれがあるのだ。まあ、『聖女』に言わせれば、『宝物である女神の護符を用いて、アイシャの望みを叶えてあげた』となるのだが。
やがて、アイシャは目的の者達の存在を感じ取り、笑みを浮かべた。その笑みさえ、彼女が人であった頃とは違う邪悪なもの。
……そこに気付くことなく、アイシャは足を進める。新たなる勝利に酔いしれるために。
※※※※※※※※※
――時は暫し、遡る。(聖視点)
「生み出されてしまった『人形』は、元はこの世界の住人でありながら、異界の神の力を取り込んだ『異形』。その憎しみはダンジョンマスターどころか、己を否定する全てに向けられる……! ふふ……彼女の見当違いの憎しみも、驕りも、自分勝手さも、とても都合が良かったのよ。さあ、今度はどんな手を打ってくれるのかしら?」
毒を含んだ声音で『聖女』は言葉を紡ぐ。そんな彼女に対し、私は――
「特別な行動をする必要なんてないけど。放置でいいんだよ、あれ」
『は?』
さらっと答えを口にした。その途端、皆の疑問の声が綺麗にハモる。
「あんた、馬鹿でしょ。人の体にとって神の力なんざ、毒でしかないの。とんでもない負荷がかかるんだよ。現に、受けていた加護が止んだ途端、あんたはその姿になった。それ、本来かかるはずだった負担が一気に来たってことでしょうが」
「!?」
老婆になった『聖女』を指差し、私は肩を竦めた。
「創造主が作った器である私の体でさえ、ほんの一時の貸し出しで寝込むほどなの。あの子、そのうち絶対に自滅するよ」
「でも、聖さん。彼女は平気そうでしたよ?」
アイシャと対峙した一人であるルイの発言を受け、他の人達は困惑気味だ。
私の言っていることは経験から導き出された予想だけれど、ルイの言っていることも事実であるため、どちらを信じていいか判らないのだろう。
……が、私には双方の言い分に納得できる答えの予想もついていた。
「だってあの子、今はアンデッドじゃん。体調不良なんて判らないだろうし、自覚症状もないと思うよ? 『聖女』よりも遥かに劣るとしても、『神の力』とやらを使い続ければ壊れるんじゃないの? いくらアンデッドの体でもそこまでの強度はないでしょうよ、加護もないんだし」
「ああ、そういうことですか……」
納得したようなアストの声に、皆も其々頷いている。『聖女』も漸くその可能性に思い至ったらしく、顔面蒼白だ。そんな『聖女』の顔を、私は呆れを隠さず覗き込む。
「ねえ、『聖女』? あんたは自分の姿を、加護が失われたせいだと思い込んでいた。体に負荷がかかることを知らなかったんでしょう? だけど、私は自分の体験として知っている。だから、『あんた自身は怖くない』の。前の時だって、私達が恐れたのは『神の力』だったんだもの」
兄貴(私の世界の創造主)だって言っていたじゃないか……『神の力ってのは、人にはどうしようもないものだ』と。 それを『聖女』経由のものとはいえ、一時抑え込んでみせたからこそ、サージュおじいちゃんの世界の創造主様は大絶賛だったのだから。
「だが、自壊するまでには時間がかかる。そこまで待ってやる必要はないと思うぞ」
不意に響いた声にそちらを向けば、どこか憮然とした表情のウォルターさん。
「本人が望んでいるのだ。望み通り、戦ってやろうではないか。不意を突かれたとはいえ、このままではあまりにも不甲斐ない。あのような卑怯者であれど、私が作り出した配下よ。壊れる時など待たず、あの思い上がった小娘を叩き斬ってくれる!」
「お供します、閣下」
その目に浮かぶのは『怒り』。戦うことを好み、強さを尊ぶ軍人気質のダンジョンマスターだからこそ、ウォルターさんは自分の手で決着をつけたいようだ。
ザイードさんもウォルターさんに共感しているらしく、いつの間にかその手には細身の双剣が握られていた。
「俺も行きたい。女神の力を取り込んでいる俺なら、致命傷を与えられるかもしれん」
先ほどの治癒の効果を見たせいか、凪が名乗りを上げる。
「あ、僕も行きたいです。彼女の言動には少々、思うことがありましたから……最期に言っておきたいんですよね。エリクさん、姉さん、聖さんをお願いします」
「ああ、判った。相手が一人だから、あんまり数が居ても仕方ないしな」
「気をつけてね? こちらは任せて」
ルイの言葉に含まれる感情を感じ取ったのか、エリクとソアラは顔を見合わせると、ルイの言葉に頷いた。やっぱり、ルイはアイシャの言動に怒っていた模様。
「それでは、私も同行いたしましょう。……聖、間違っても貴女は来ないように! 用がある場合は、他の者を寄越すのですよ」
「戦闘能力皆無だから、行かないってば」
最後にアストが同行の意を示すと、即座に私へと向き直り『余計なことをするんじゃありませんよ』とばかりに念を押す。……信頼がないようだ。あの、私にできることってないからね!?
そんな会話が交わされる中、私達の様子を見ていた縁も覚悟を決めたようだった。
「判った、君達に頼もう。だけど……送り込んだら、暫くはこちらに戻せないと思って欲しい。万が一、彼女が無理矢理ついて来てしまったら、厄介だからね」
「あ~……そのまま逃亡される可能性もあるのか。外で自壊されても、困るものね」
「うん。今は隔離されている空間にいるからこそ、世界にまで影響が出ていないんだ。だけど、あの隔離空間には影響が出ているらしい。ほら、見て」
縁が指差した先に、あの手合わせを行なっていたダンジョン内が映し出される。だけど、その映像は随分と粗いノイズ混じりだ。
「何これ!?」
「多分だけど、アイシャの影響だろうね。あの子には今、二人の創造主の力が宿っているようなものだから……」
「あ、そっか。『ダンジョンマスターに創造された魔物』って、物凄く大雑把に言うと、縁の力で作られているようなものだものね!」
ダンジョンマスターが魔力で作り出してはいるけれど、それを可能にしているのは創造主である縁。縁が望んでいるからこそ起きている『奇跡』と言えば判りやすいかも。
「そう。外で『生きている』魔物と違って、『本来ならば存在しない創造物』だよ。だから、基本的に僕が何とができるはずなんだ……『この世界に属している限り』は。それができなくなっているのは、異界の女神の力と交ざり合ってしまっているから。周囲にこれだけ影響が出ているってことは、あの子にも何らかの影響が出ているかもしれないね」
縁は厳しい表情で『影響が出ている』と指摘しているけど、映像のアイシャは平然としているように見えた。
おいおい……その話が事実なら、自壊するのはもう時間の問題だろう。しかも、自覚が出るのは本当に最後の最後じゃあるまいか?
「それでは行って参ります」
アストの言葉を最後に、対アイシャ要員達の姿が消える。不安がないわけじゃないけれど、縁とこの世界のためにも彼らに頑張ってもらうしかないだろう。
「要は、アイシャに力を揮わせて、自滅を促すってことだよね」
「そうねぇ……でも、あの子は力に酔ってそうだもの。必要以上に嬲って強さを誇示しそうだし、ある程度の時間を耐えきれば、すぐに自壊しそうねぇ」
確かに、その可能性が高そう。だけど、同情はしない。この結果をもたらしたのは、周囲の人達の言葉を無視してきたあの子自身。
安易に力を求めた代償は『世界にとって害悪』とされること、そして……『消滅』という未来なのだから。




