第三十八話 『【聖女】の誤算と救われぬ者』
老婆が『聖女』と呼ばれていた存在だったと判明した途端、私のテンションは上がった。
いや、だってさぁ……凪の一件では、やられっ放しだったんだよね、私達。ガツッと〆てくれたのは創造主様なので、私達は実質、何もやっていない。
そこに手の届く存在となった怨敵が再度、仕掛けてきた。
今度は私達のターンってことですよ!
そもそも、こいつは典型的な力押しタイプ。その力の源たる女神が罰を受けて干渉できない状態である以上、恐れる必要はないだろう。こちらにはこの世界の創造主である縁もいるしね。
「ふ、ふん、強がるのもいい加減になさいませ。あの子には私が持っていた、かのお方の力の片鱗を授けたのですよ? 貴方達も身をもって知っている、圧倒的な力……片鱗とはいえ、『神の力』なのですよ! 現に、貴方達には打つ手がないでしょう!? そこに居るダンジョンマスターでさえ、ろくに傷を癒せないではありませんか」
私達の反応に唖然としていた『聖女』――名前を知らないので、渾名的にこれでいいと思う――は我に返ると、蔑むように告げてくる。
皆もはっとして、ウォルターさんへと視線を向けた。当のウォルターさんも悔しそうだが、反論できない模様。
『致命傷に成り得る傷』――その事実は皆を苛立たせ、同時に警戒心を高めたようだ。体に強度があるはずのダンジョンマスターでさえ、この有り様。
それを目の当たりにすれば、皆の反応も仕方がないことだろう。
……が。
私のお返事は『聖女』の予想に反して『否』だった。
「いや、できると思うけど?」
『は?』
皆の声が綺麗にハモる。あれ? そんなに意外かなぁ?
「はっ! 強がりを言うものではありませんわ!」
『聖女』が即座に声を上げるけど、それは綺麗にシカトし、私は凪を手招きした。
「多分、大丈夫。凪―、ちょっとウォルターさんに治癒魔法をかけてくれない? できれば元の世界に居た頃……神官時代に使っていた治癒魔法がいいんだけど」
予想外の指名に、凪は軽く驚いたようだった。だが、即座に顔を曇らせる。
「聖、治癒魔法はすでにアスト達が試しているぞ? それに、いくら俺が元神官でも治癒魔法が特化しているとは限らないんだ。一応、治癒魔法は使えるが……特殊な傷を癒すような効果はない」
「ううん、そこは関係ないんだ。重要なのは『凪が神官時代に使っていた治癒魔法を使えるか』ってことと、『女神の力の幾ばくかを取り込んでいる』ってことだから」
「なに……?」
意味が判らないのか、凪は首を傾げている。皆も同様。やがて、代表するかのようにアストが疑問を口にした。
「聖、詳しく説明してくれませんか? その二点がどう影響してくるのか、詳しい解説をお願いします。凪もよく判っていないようですし」
「了解! アイシャの変貌とか力って、要はあの女神の力のせいなんでしょ? だったら、『女神の力を有している凪』が望み、『女神との繋がりが強い治癒魔法』を使えば、治るんじゃないの? あの女神は今、妨害できない状態なんだから、凪の意思が勝ると思う」
「はい?」
「だからね? ウォルターさんを傷つけたのは『あの女神の力』でしょ? それを癒すのも当然、『あの女神の力』じゃないかな。凪は魔人として生まれ変わったけど、『あの女神の力を有している魔人』じゃない。大雑把に言えば、女神自身が治癒を行なうような状態になるはずだよ」
「な……そんなことがあるはずは……」
『聖女』は驚愕の表情で否定しようとするが、彼女も凪のことは知っているため、言葉が出てこないようだ。そこを私が更に畳みかける。
「情報収集不足だね、『聖女』。あんたがあの女神の力に縋る以上、こちらには最強の対抗策があるんだよ。ウォルターさんの怪我が治りにくかったのも、『人の魔力』が『女神の力』に討ち負けただけでしょうが。この世界の創造主が極力、世界に関わらないようにしていることの弊害だよ」
「なるほど、『この世界の治癒魔法は創造主の力を借りるものではないから、治癒できなかった』と。『異界の創造主の力によって受けた傷だからこそ、我々如きでは対抗できない』……聖はそう言いたいんですね?」
「アスト、正解! つまり、女神の力を取り込んでいる凪が治癒すれば当然、治る! ……と思う。あの女神の力で付いた傷だし、まだ元の世界では絶対的な信仰をされているだろうから、縁でもちょっと厳しいかもね。だから、治癒を任せるのは凪がベスト。あの女神の対抗にして、最強の切り札は凪だよ」
そこまで言えば理解できたのか、皆が納得した表情になる。『聖女』は……ああ、呆然としているね。まさか、こんな解決策があるとは思わなかったんだろう。
自活可能な引き籠もり予備軍を嘗めてはいけない。できる限りお家に居るには、それなりに金が要るのだ。
素敵な未来のためならば、一時の苦労など些細なこと。良い労働条件や給料を獲得すべく、一途に頑張れる生き物なのである。
なお、その過程で様々な知識(意訳)が増えていく。個人的な趣味の副産物が、ダンジョン運営に活用されたのは言うまでもない。
バーカ、バーカ、アストには二十一歳児扱いでも、元の世界では成績優秀だったんだよ!
戦闘能力皆無ならば、頭脳戦では役に立ってみせる! 私はダンジョンマスターだもの!
そんなことを考えている間にも、凪は治癒魔法を試してくれたらしい。その結果――
「閣下……! 凪、ありがとうございます!」
「礼は聖に。効いて良かった」
「おお! 聞いたことのない詠唱だったが、見事な治癒魔法だな!」
ウォルターさんはめでたく全快した。ザイードさんは喜びを露にし、凪へと感謝を述べている。微笑ましい光景と安堵からか、皆の表情も明るくなったようだ。
「そういや、俺達が『聖女』と戦った時って……跳ね飛ばされて壁に叩き付けられた怪我が大半だったな。まあ、直接『女神の力』なんてものを食らっていたら、あんなものじゃ済まなかっただろうけど」
「まともに食らったゴースト達は消滅したけれど、人間を介した力だったせいか、再生可能な状態でしたからね。だけど、脅威であることは事実です。……ダンジョンマスターには『死』が存在しますから。ウォルター様があの程度で済んだのは、創造された魔物達よりも体に強度があったお蔭かもしれません。この世界の創造主様に作られた器であることが、消滅を免れた一因でしょうね」
エリクとルイの言葉に、記憶を探る。……ああ、確かに皆は『女神の力による怪我を負っていない』。というか、あれは一発でも食らったらヤバそうだから、直撃は避けたんじゃなかったか。
「こんな……こんなことって……」
『聖女』は認めたくないのか、呆然としている。そんな彼女の姿に、復讐の時は今だと悟った。
よっしゃぁ! あの時の恨みを徹底的に晴らしてくれる! いざ!
「あんた、力押しの脳筋じゃん。しかも、自分の力じゃなく、神の力を行使してるだけ。だから、この程度のことにも気付けないんでしょうが」
『聖女』は女神との距離が近過ぎた。それゆえに、神の力を揮うことができたけど……逆に言えば、『圧倒的な力を揮うからこそ、考える必要がない』という事態を招いた。考えなくても、力押しで何とかなってしまうから。
だけど、それは思考の停止と一緒。私が『【聖女】が相手なら怖くない』と思う理由はそこだ。
彼女にとって、私やサージュおじいちゃんのように『努力で乗り越える』ということが当たり前の人々は、彼女の天敵に等しかろう。力押しでしかない『聖女』の攻撃なんて、いくらでも粗があるんだもの。
「私達に神に対抗する力はない。だけど! 人間のあんたが相手なら、立場は同じ! 力押しの脳筋なんざ、いくらでも付け入る隙があるに決まってるじゃない!」
「加護を受けた私が、貴方達と同列ですって!?」
即座に反応する『聖女』。そんな彼女に、私はにやりと笑って、ずっと言ってやりたかったことを口にした。
「いくら加護持ちでも、ろくなことを思いつかないあんたが馬鹿なんじゃない! 加護持ちなのに負けるなんて、一番女神の顔に泥を塗ってるのはあんたでしょうが! 二十一歳児にすら負ける、粗末なおつむであることを恥じたらどう!?」
「ぐ……っ!」
どやぁっ! とばかりに言い切れば、反論できずに沈黙する『聖女』。皆が微妙な顔になっているけど、私の気分は爽快だ。我、見事に復讐を遂行せりっ!
「聖……なんて正直な」
「いいじゃん、アスト。私は自分を含め、縁や皆を馬鹿にされたことを忘れていない」
アストは呆れ顔だが、フォローする気もないようだ。私を叱る素振りも見せないので、内心は『でかした!』くらいは思っているのかもしれない。縁も馬鹿にされてたしね。
「ふ……ふふ……! それでも、あの子は脅威でしょう?」
俯いたまま、『聖女』が呟く。皆の視線が集中する中、『聖女』はゆっくりと顔を上げた。
「生み出されてしまった『人形』は、元はこの世界の住人でありながら、異界の神の力を取り込んだ『異形』。その憎しみはダンジョンマスターどころか、己を否定する全てに向けられる……! ふふ……彼女の見当違いの憎しみも、驕りも、自分勝手さも、とても都合が良かったのよ。さあ、今度はどんな手を打ってくれるのかしら?」
不気味に、けれど勝利を確信して笑う『聖女』。彼女の言葉を受け、私は――