第三十七話 『悪意は芽吹き、世界を揺らす』~ただし、恐れられるとは限らない~
『聖っ! とりあえず、皆を君のダンジョンに転移させるよ!』
これまでのことを見ていたらしく、縁の決断は早かった。勿論、私もそれに同意だ。
「アイシャはどうするの?」
『一時的にその場を閉じて、隔離する。だけど……彼女は存在が歪んでいる。僕の干渉を受け付けないんだ。だから、破られる可能性もある』
「何それ? アイシャは確かにこの世界の人間だったはずだけど」
『とにかく、転移させるね!』
困惑する私に答えることなく、縁は転移することを優先させた。縁がここまで焦っているところを見ると、アイシャは私の想像以上にヤバい存在になっているのかもしれない。
そう思った瞬間、視界がぶれて、私は馴染みのある部屋に戻っていた。傍にはソアラを始めとする手合わせに参加していた皆と、怪我を負ったウォルターさん。
……。
いやいや、治癒魔法を使わなきゃ拙いでしょ!? 何で、誰もウォルターさんの怪我を治していないのさ!?
「ちょ、アスト! 早くウォルターさんの怪我を治して!」
まずはそこからだ。だが、返ってきたのは予想外の言葉。
「……効かないんです」
「は?」
「治癒魔法ならば、すぐにかけました。ですが、効かない……いえ、これは正しくありませんね。治癒魔法の効きが弱い、と言った方がいいでしょうか」
「え、手合わせってそんなことが起こるの……?」
疑問を口にすると、アストは首を横に振る。
「いいえ、それはありえません。過去に手合わせが行なわれた場合も含め、『そのようなことはありえない』のですよ、聖。手合わせで死んだ魔物とて、生き返っているでしょう? 手合わせはあくまでも手合わせであり、実践とは異なっているのです」
「『怪我を負わない』という状況ならば、まだ納得できるんですよ、聖さん。ですが、僕もこのような事態は記憶にありません。創造主様の言葉通りならば、彼女に何らかのイレギュラーが起きているはず」
アストに続き、ルイも『あり得ない』と言い切った。自我のなかった頃の記憶を探ってみても、今回のような事態はおかしい模様。
私達が話している間に、ソアラはウォルターさんの手当てをしてくれている。普通の手当てに加え、治癒魔法をかけ続けて少しでも癒そうとしているのだろう。
「ウォルターさん。彼女に何か、特別なことをしました?」
問い掛けると、ウォルターさんは暫し、記憶を探るように目を眇め。
「いいや、特別なことはしていない。そもそも、『あれ』の元になった人間は性格に難ありでな、自我さえ許してはおらんよ」
「そうですか……」
と、なると。
彼女……アイシャはうちのダンジョンで問題を起こしてから皇国のダンジョンに挑む過程で、何らかの行動をしたのだろう。魔法のある世界なので、禁呪紛いに手を染めても不思議はない。
「私は魔法のない世界出身なのでよく知りませんが、異世界の知識を使った禁呪みたいなものが編み出されている可能性ってありませんかね? 縁……この世界の創造主も『彼女は存在が歪んでいる』って言ってましたし」
ゲームとかなら、割とあり得る展開だよね。だけど、皆は揃って首を横に振った。代表するかのように、アストが口を開く。
「創造主様がお許しになりません。いいですか、聖。異界の叡智を得て、それを可能にする魔力があったとしましょう。その場合、術者はこの世界の住人……『創造主様の支配下にある者』なのです。創造主様は基本的に、自分が世界に影響を与えることを良しとはしません。ですが、世界を壊しかねない術ならば、『発動を認めない』という選択をなさるでしょう」
「ええと、要は『創造主が白と言えば、黒い物でも白いことになる』って感じ? 条件を満たしていても、最後の抑止力である創造主が認めなければ意味がない」
「その通りです。異世界の技術は素晴らしいものもありますが、良い結果をもたらすものばかりではありません。特に、この世界は未だ幼い。ですから、創造主様も監視を徹底されているのです」
……縁は陰ながら頑張っているようだ。確かに、『異世界の技術は素晴らしい』で済む話ではない。私の世界の技術とて、良いことばかりじゃないものね。
だが、そうなると益々この事態を疑問に思ってしまう。
「創造する過程でおかしな要素でもあったってこと? エリクの時のことを元にするなら、遺体に何らかの術を施されていたとか、何か持っていたってことかな?」
「ふむ、さすがに持ち物までは調べていないが……妙な術は掛けられていなかったぞ」
「では、持ち物が怪しいですね。他のダンジョンから持ち出された呪物などでしょうか?」
私、ウォルターさん、アストの順で口を開くが、どうにもしっくりこない。
ウォルターさんの話を聞く限り、アストの説が有力だけど……そんなにヤバい物を作り出すダンジョンマスターなんて居るのかね? 死霊術師の例を思い出す限り、絶対に、補佐役に止められてそうなんだけど。
――唯一、可能性がありそうなのは『あのクソ女神の置き土産』という場合。
だけど、縁や他の創造主様達が放置したままにするだろうか?
また、女神にはきつい罰が与えられた――兄貴が教えてくれた。考えたのはサージュおじいちゃんの居た世界の創造主様だけど、鬼だった!――ので、女神が報復をしたわけでもないだろう。
皆がウォルターさんを気遣いつつ、頭を悩ませていた最中――
「皆っ! 大丈夫!?」
声と共に、幼い子供……創造主である縁が姿を現した。現れたのは縁だけではない。軍服のような服を纏った見知らぬ青年と、青年に拘束されている老婆も一緒だ。
「閣下! 何と、お労しい……!」
「おお、ザイードか」
「お傍を離れましたこと、お詫び申し上げます」
「いや、創造主様からの命だ。そちらを優先することは間違っておらんよ」
青年……ザイードさんはウォルターさんの補佐役らしい。っていうか、君達は本当に軍人みたいな日常なんだね? 遣り取りが完全に『信頼関係を築いている上官と部下』です。
話を聞く限り、彼は縁からの命令で別行動を取っていたらしい。それで姿を見なかったのか。
「アスト、補佐役ってダンジョンの外に出られるの?」
「一応、出られます。我々は創造主様の手足でもありますから、命が下されれば、動くこともありますよ。まあ、我々の存在は異質なので、表立って動くことはありませんが」
「なるほどー」
ってことは、ザイードさんはダンジョンでお留守番とかではなかったのだろう。何をやったかは知らないけど、連れている老婆の捕獲がお仕事だったのかな?
それ以前に、この老婆は何者なのだろう。怪我をしているウォルターさんの姿を見るなり、にやりと笑うとか……かなり嫌な感じだ。
「ふふ……無様ですわね、ダンジョンマスター。怪我をしたのがそちらの女でないことが残念ですが、この世界に一矢報いたと思えば、それなりに満足ですわ」
「貴様……!」
「止せ、ザイード。この怪我は私の油断ゆえ。不甲斐ないことは事実なのだ」
「まあ、潔い態度ですこと! ですが……『あの子』を作り出したのは貴方ですわ。この世界を乱す存在をね!」
「く……っ」
ウォルターさんも、ウォルターさんに諫められたザイードさんも悔しげに老婆を見つめた。だが、老婆は二人の視線を物ともせず、私を見てにんまりと笑った。
「お久しぶりですわね、忌々しいダンジョンマスター様?」
「は? 誰、あんた」
向こうは私を知っているらしい。私を『ダンジョンマスター』と言っているから、ダンジョンに挑んだ誰かだとは思うけど……私が自己紹介をするのはダンジョンの制覇者のみ。
こんなお婆さんが四階層を突破したなんて、聞いたことないんだけど。
「酷いですわね。我が神から凪を奪ったばかりか、敗者のことなど記憶にないと?」
「お前……まさか!」
反応したのは、私ではなく凪だった。だけど、私にもこの老婆が誰か判ってしまった。
「君も諦めが悪いよね、『聖女』? そんな姿になったくせに、まだあの女神への敬愛を失わないなんて」
「あらあら、創造主様……あのお方への敬愛が薄れることなど、あり得ませんわ。信者の居ない貴方には判らないでしょうけどねぇ?」
『な!?』
呆れた口調で、老婆――『聖女』に冷めた目を向ける縁。だが、聖女はふてぶてしい態度で言い返す。込められた言葉の毒に、怒ったのは縁……ではなく。
「お前、相変わらずなんだな。訂正させてもらうが、俺は自分で聖を選んだ。あのろくでもない女神の所有物になるなんて、御免だな」
「凪、人の言葉を理解できない生き物に言っても無駄です」
「アスト様の言う通りだぞ~? 躾のできていない駄犬が吠えてると思えばいいじゃないか」
「まあ、エリクさんったら。犬の方が何倍も可愛げがあるじゃなぁい? どんな駄犬だって、この人よりはきっとマシよぉ?」
「姉さんの言う通りだね。……聖さん、何をしてるんです?」
「兄貴にメールしてる~。処罰は終わっているけど、あくまでも『これまでのことに対するお仕置き』であって、その後は教育的指導が待っているらしいんだよ。そこに『聖女』の分も追加してもらおうと思って! ほら、兄貴も相当怒っていたし、私は兄貴の世界の住人だから協力しないとね! 義務だよね! 義・務!」
私を含めた皆の方だった。凪、アスト、エリク、ソアラ、ルイの順で言いたい放題+元の世界で培ったメールの早打ちを披露です! チクリ? いえいえ、義務ですとも!
「な……馬鹿にしてっ」
「実際にお馬鹿でしょ」
怒れる『聖女』にも、笑顔で即答。お前なんざ、二十一歳児の私に言い返される程度の存在と知れ。相手がこいつなら、全然怖くないわ。老婆になっていたから、驚いただけ!
「……あの」
「言わないで、ザイード。聖達は彼女と彼女が信仰する女神に対し、鬱憤が溜まってるんだ」
「そ、そうですか」
縁が遠い目になっていたり、ウォルターさんとザイードさんがドン引きしていたのは些細なことです。華麗にスルーさせていただきます。