第九話 奇妙なダンジョン(挑戦者・ゼノ視点)
『北のダンジョンに新たなダンジョンマスターが誕生したらしい』
その噂を聞いた時、俺達はダンジョンの攻略を決めた。理由は酷く単純――『ダンジョンは経過した時間が短いほど、攻略しやすいから』だ。
ダンジョンマスターが場を掌握しきっていないこともあるが、それ以上にダンジョン内を徘徊する魔物達の数が少ない。酷い時は、志半ばで力尽きた挑戦者達が俺達の敵として襲ってくる。
勿論、相手が魔物化している以上は、俺達とて手を抜かない。手を抜くことはないが……どことなくやるせない気持ちになることも事実だった。特に、そいつらの生前が明らかに戦闘慣れしていない者達――村人といった、已むに已まれぬ事情でダンジョンに挑んだ者――である場合は。
ダンジョンとは、一獲千金を夢見る者だけが挑むのではない。
最後の望みを賭けて、命懸けで挑む場合もあるのだ。
貧しい者からすれば、ダンジョンに挑むことは誰もが平等に与えられている権利でもあった。秘薬や価値のある物を求め、決死の覚悟で挑む者とて、珍しくはないだろう。
俺達には、そういった切羽詰まった事情といったものはない。気ままに生きる冒険者としての好奇心、そして懐を潤すお宝の存在。そんな単純なもののために命を賭けるなど馬鹿らしいという奴らもいるが、俺達にとってはそれで十分なのだ。これはもう、生まれ持った性なのだろう。
だが――
「ねぇ、このダンジョン何かおかしくないかい?」
辺りを警戒しつつ、仲間の一人であるシアが問いかけてきた。女にしては大柄なシアは、大振りの剣を振り回して戦う女傑だ。そして、俺の良き相棒であり、同時に妻でもあった。
だからこそ、俺はシアの言葉を重く見ている。共に歩んだ年月、そこで培われた信頼があるからこそ、シアの言葉が単純に恐怖からくるものではないと理解しているのだ。そもそも、シアに恐怖を抱かせるような魔物とは未だ、遭遇していない。獣人とヘルハウンドだけだ。
勿論、そいつらが脅威ではないというわけではないが……俺達でも十分対処できる程度の強さである。寧ろ、ここがダンジョンということを踏まえると、弱い部類に入る魔物だろう。
そう、俺達に恐怖を抱かせているのは魔物ではない。ダンジョン自体がおかしいのである……!
「ゼノの兄貴ぃ……ダンジョンって、こんなものでしたっけ? 俺、休憩所があるダンジョンなんて初めてなんすけど」
「言うな、カッツェ。俺達だって初めてだ。それどころか、聞いたこともない」
そう言いつつ、逃げ込んだ部屋を見回す。部屋といっても、そこはダンジョン。地下を掘って作られた、岩肌が剥き出しの部屋である。……。『部屋』なのだ、どう見ても。
中央には簡易のイスとテーブルが並び、壁には『現在地とその周辺の地図』と書かれた地図が張られている。その言葉の通り、この部屋を中心にしたダンジョンの構造が描かれていた。部屋の周辺だけなのであまり役には立たないが、位置を確認する程度ならば問題ないだろう。
また、隅には『安全性を確認済みの湧き水です。ご自由にお飲みください』と注意書きされた立札が立てられ、すぐ傍には透き通った水が湧き出る小さな池があった。目で見る限りは魔物が住み着いている様子もなく、水の補給に丁度良さそうだ。補給のままならない場では、ありがたい限りである。
……ただし、それを素直に喜べるかどうかは、別問題であって。
何この、至れり尽くせりのダンジョン。罠? 罠か? 罠なのか!? やだ、超怖い……!
全員揃って、こんな心境になったのは当然だろう。一人だけ逸れてしまった仲間のことは気にかかるが、俺達とて楽観視できる状況ではない。あまりにも都合のよい場所に出てしまったために、三人が三人ともこの状況に恐怖を感じているのである。気を抜くなど、以ての外だった。
「これが事実なら、ありがたいんだけどねぇ」
「おい! 止せ!」
言いながら、シアは溜まっている水を掬った。手袋を外したシアの手を、水は輝きながら零れ落ちていく。
「……ふぅん? 毒はないみたいだね。体の痺れもない」
「……大丈夫なのか?」
「だから、あたしが確かめるのさ。あんた達は触らないでおくれよ? これが罠でも、対処できる奴を残しておけば何とかなるんだから」
掌に残った水に鼻を近づけつつ、シアは軽く嘗めたりしている。その表情は厳しいままだったが、シアの行動は仲間のために自己犠牲を厭わぬ優しさに満ちていた。カッツェもそれが判っているため、諫める言葉を飲み込んだようだ。俺達よりも若いカッツェにとって、シアは頼りになる姉貴分なのだろう。……それでも即座に対応できるよう、腰の道具袋を漁ってはいるが。
「……。うん、大丈夫みたいだね。水を補給しておこうか。ここにこんな部屋があるってことは、先が長いのかもしれないし。地下に引き籠もっているんだ、外から来る奴らくらいしか楽しみがないのかもね。退屈凌ぎに付き合って欲しいのかもしれないよ?」
念入りに確認した後、シアはその表情を緩めた。軽い冗談を口にできるほど落ち着いたらしく、シアにいつもの笑みが戻る。その表情と言葉を受けた俺達は顔を見合わせ合い、互いに苦笑を浮かべた。どうやら、一番肝が据わっていたのはシアだったらしい。
「よし、水の補給と休憩をしておこう。シアの言う通り、今後を見越して作られた部屋かもしれねぇ。体力が削られた果ての行き倒れなんざ、冗談じゃねぇぞ」
「そうだな、ゼノの兄貴。姉御も大丈夫みてぇだし、俺達も水を飲もうや。またあの犬っころに追い駆けられでもしたら、たまったもんじゃねぇ」
いそいそとシアの傍へと足を進める俺達の中に、先ほどまでの恐怖はない。恐怖が綺麗さっぱりなくなったわけじゃないが、この状況を前向きに捉えられる程度の余裕ができていた。
そのせいだろうか――俺達は妙に緊張感を失くしたまま、下の階へと進んでしまった。そして、そこで思い知ることになる。
ダンジョンの脅威とは、そこに住む魔物だけを差すのではない。
ダンジョンそのものが脅威となる場合もあり、そちらの方が何倍も性質が悪い、と!
あれから割とすぐ近くに階段を発見し、逸れた仲間を案じつつも足を進めた先は……罠の宝庫だった。魔物もいるのかもしれないが、今は大した問題ではないような気がする。いや、絶対に大した問題ではないだろう……俺達は『思ったように進む』という、できて当然のことができなくなってしまったのだから。
「うっわぁぁぁぁ! 何だ、この『一方通行』って! 床が滑る! 体が勝手に進むぅぅぅ!」
「どこに行くんだい、カッツェ! ちょ、ちょっとお待ち! ……ええと、ここを通ったら、強制的に右に進まされただろう? そこで一度途切れるから……」
「ちっくしょう! 俺は頭を使う罠は嫌いなんだよ!」
矢印の描かれた床に足を乗せた途端、凄まじい勢いで体が滑るとか。
特定の床を踏むと、全く別の場所に出現するとか。
宝箱を開けようとした途端、『開けるための手順』と書かれた紙が出現したりとか!
それはもう、『この階層は頭を使って進む所です』と言わんばかりに、罠が満載だったのだ。カッツェに至っては、何度物凄い勢いで床を滑って行ったか判らない。幸いなのが、どれほど滑って行こうとも、気が付けば元の場所に戻っていることくらいだろうか。
ちなみにこの階層、魔物と出会うことが殆どない。たま~に見掛けても――滑って行く途中の脇道とかに居た。多分、そこまで俺達が行かなければならないのだろう――、奴らは実にいい笑顔で『頑張れよ!』と声をかけてくる始末。
そうか、そんなに俺達の姿は間抜けなのか。思わず応援したくなるほど、頭が悪そうに見えるんだな? ……同情など、要らん! 正しい道を教えろ! お宝は素直に取らせろやぁっ!
「どんなマスターなんだよ、こんなダンジョンを作る奴……!」
頭を抱えつつ、今後待ち受けるに違いない、更なる苦難に思いを馳せる。命の危険はそれほどなさそうだが、別の意味では挑戦者殺しだろう、このダンジョン。そもそも、最奥部に居るマスターまで辿り着ける(頭脳と根性を持った)奴がいるのだろうか? これは強さでどうにかなるものではあるまい。
――そう思いつつも、俺達にも冒険者としてやってきた矜持があるのも事実。
「は~……もう一度やってみるか」
溜息を吐いて、再び謎へと挑む。そして、ふと思った……「こんなものが控えてるなら、休憩所を作る必要があるよな」と。あれは挑戦者への労りではなく、単に必要だっただけ。そう考えた方が、しっくりくる。
このダンジョンにおける最もたる敵は、ダンジョンマスターではない。己(の頭の出来)だ。
興味本位で挑戦した、真新しいダンジョン。俺達は早くも敗北を感じ始めていた。その理由があまりにも情けないものだったことは、言うまでもない。
※※※※※※※※※
一方その頃、最深部では――
「聖……貴女、一体何を作っているんです……?」
「えー? 私が居た世界のゲームによくある仕掛けだよ? アイデアを出したら、皆が『面白そう!』って乗り気になってくれた。強制的に移動させられる床って、初らしいね?」
呆れた目で聖を眺めるアストに、のほほんと返す聖。それでも二人揃って呑気にチョコレートを食べているのだから、完全に娯楽扱いなのだろう。そもそも、ダンジョンを『巨大迷路の運営』程度にしか考えないお馬鹿さん(=聖)が相手では、反省など望めまい。
挑戦者達にとっては非常に辛く、また認めたくない現実であった。
哀れなり、挑戦者達。このダンジョンを選んだ時点で、君達は娯楽の主役(=生贄)扱い。
「まあ、いいですけどね。とりあえずの目的は果たしているようですし、これならば今後も期待できそうです。徘徊する魔物達をより強いものにすれば……」
「あ、今回はオープンテストだから、第二階層までしか行けないよ?」
「は!?」
「ほら、難易度調整しなきゃならないから! 彼らの話を聞いたり、状況を見て、本格的なオープンまでに完成させようと思って。進めないダンジョン作っても、意味ないでしょー?」
絶句するアストをよそに、嬉々として計画を語る聖。そこには経営者として、客を楽しませようとする気持ちが滲んでいる。客の立場に立って考える姿勢はまさに、娯楽施設の経営者としては最良の姿であろう……ダンジョンマスターという立場において、正しいかは別として。
――聖のダンジョンマスターとしての自覚は、別方向に表れたようであった。