プロローグ ~人生終了・始まり『は』シリアスでした~
ぱちり、と目を開ける。薄暗い中、どこかぼんやりした頭で状況を思い出しかけ――
「痛っ」
「お姉ちゃん!」
唐突に走った痛みに、思わず声を上げた。おまけに、聞こえてきた私を案じる声の主は金髪に青い目の男の子。日本人にはあり得ない色彩、その整った顔立ちはほんのりと埃を被り、青い目には涙がこぼれんばかりに溜まっていた。
そして、じわじわと思い出すのは……こうなった経緯。それは本当に予想外のことだった。
※※※※※※※※※
たまには外でランチを取ろうと出かけた、最近お気に入りの店。そこは近くに観光スポットがあるせいか、ビルの中にある飲食店は割と海外からの旅行者が訪れる場所だったりする。
待ち時間が結構あると聞かされるも、店を変えることなく待つことを選択したのは、偏に面倒だったから。急ぐ用事もないことだし、のんびりするのもいいと思ったのも一因だろう。
店のボードに備え付けられた紙に名前を書いて、私は大きな窓がある一角へと足を進めた。……何故か、その周囲には人がいなかった。それを不思議に思ったせいもあるだろう。
そこで出会ったのが、金髪の男の子。迷子なのか、どうにも悲しげな表情が気になり、私は声をかけた。……どうしてか判らないが、何となくそうしなければならないような気がしたのだ。
『こんにちは。どうしたの? 迷子になっちゃった?』
唐突に話しかけられたことに驚いたのか、男の子は勢いよく私の方を向く。日本語で話しかけたせいか、男の子は酷く驚いたようだった。だが、次に驚いたのは私の方だった。
『お姉ちゃん、ここに入れるんだね!』
『は?』
男の子の口から聞こえてきたのは、紛れもなく日本語。私の予想を大きく裏切り、男の子は完璧に日本語を話していた。ただ、口にした言葉は意味不明だ。ここは誰でも足を運べる休憩スペースなのだけど。
どういうことだろうか? 立ち入り禁止にはなっていなかったはずだけど。
意味が判らず首を傾げるも、男の子は驚愕の表情のまま、じっと私の顔を見ている。だが、やがて落胆したような表情になり、男の子は緩く首を振った。
『……。ううん、何でもない』
『そ、そう? ああ、日本語大丈夫なんだね』
『うん。……日本語はずっと昔に習ったんだ』
そのまま会話が途切れる。その沈黙を破ったのは、男の子の方だった。
『ねぇ、聞いてもいい? ……お姉ちゃんはさ、神様から与えられる恩恵を欲しいと思う?』
『神様からの恩恵? えーと……それって、生まれついた容姿とか幸運、才能ってこと?』
『うん』
随分と唐突で場違いな内容だが、これも場を持たせる貴重な話題だろう。軽く首を傾げて、男の子の言った言葉を反芻し……やがて、自分なりの答えを見つけて口を開く。
『そういったものは要らないかな。私は現状で十分、満足してるし。何より、その満足できる要素は人の手に成るものだから』
『人の手に成るもの? って、何?』
意外、と続けた男の子の表情は年相応だ。漸く見えた子供らしい一面に微笑ましくなり、つい、その小さな頭を撫でてしまう。
『ん~、パソコンとかインターネット! 部屋に居ながら情報が得られて、世界と繋がっているんだよ。ゲームや通販だってできるから、私には必須かな』
『お姉ちゃん……自分に正直過ぎ……』
『あはは! 素直さは美徳でしょ! 細かいことは気にしない!』
『わぁっ! 強く撫で過ぎだよ!』
呆れたような口調の男の子の頭を強く撫でれば、即座に上がる抗議の声。だが、男の子はどことなく楽しそうだ。こういったじゃれ合いはあまり経験したことがないのかもしれない。
『冗談抜きに重要よ? 海外に行ったら、故郷の味が恋しくなるでしょ。それに、使い慣れた生活必需品だって手に入りにくくなる。人が日常に満足するには、そういった【今、自分が持ち得る当たり前のもの】ってのが必須だと思うよ』
『人に羨ましがられる才能とか、見た目じゃなく?』
『才能があっても、自分が必要とする分野のものでなければ無意味だし、見た目は……モデルとか俳優になりたい人は欲しいと思うかもね』
『お姉ちゃんはそういった願望はないの?』
『ないね! 素敵な引き籠もりライフを希望します!』
茶化して言ってはいるが、紛れもない本音でございます。人付き合いは最低限でいいよ、私は好きなことをして引き籠もっていられるならば、喜んでそちらの道を選ぶ。
……そんな私を、男の子は何とも言えない表情で眺めているけどさ。突き刺さる視線は、無言の意思表示なのだろうか? 微妙に痛いです。
ええ、駄目人間の自覚はありますよ! 夢溢れるお子様にとって、私はさぞやグータラなどうしようもない大人に見えることだろう。『こんな大人になっちゃいけません』と言われるタイプですよね、その自覚はあるともさ!
でもいいの、自分の人生だから好きに生きる。適当に仕事して、生活費を稼いで、引き籠もる。嗚呼、素晴らしきかな! 憧れの引き籠もりライフ。自活さえしていれば、文句は言われまい。
そんな風に力説する私は、どうやら男の子のツボに入ったらしい。
『あはははは! お姉ちゃんは楽しい人だね。僕、こんなに笑ったのは久しぶりだよ』
『あら、素敵な男の子から笑顔を引き出すほど、私は魅力的かしら』
『……そうだね、お姉ちゃんとなら楽しく過ごせるかも』
そう言って笑う男の子の笑みに、何も言えなくなる。妙に大人びたというか、諦めが滲んだような笑い方をする子だ。人の過去を詮索する趣味はないが、守ってやりたくなってしまう。
はて、私はショタコンではないはずだが。我ながら、どういった心境の変化だろう?
いつもの自分ではないような感覚に、首を傾げかけたその時――
『!?』
どこかで爆発音が響き、同時に足元が揺れた。咄嗟に男の子を抱きしめるが、胸に湧きあがる嫌な予感は増すばかり。少し離れた場所に居る人達もざわめきながら、不安を露にしているようだ。ここでは原因らしきものが判らないため、対処のしようがないのだろう。
『っ! お姉ちゃん、こっち!』
いきなり男の子が私の手を引いて走り出す。その必死な表情に、私も無言で従った。男の子が目指しているのは外らしい。見えてきた出入り口に、男の子が安堵の表情を浮かべた直後――
『いけない! 伏せて!』
『ちょ、危な……っ』
男の子の声をかき消すように、再び聞こえた爆発音。それはさっきよりも、ずっと近い。
足元どころか全体から来るような衝撃を感じるなり、私は咄嗟に男の子を抱き込む。そして……襲ってきた衝撃に、私の意識は闇に閉ざされた。最後に見たのは、男の子の驚いた顔――
※※※※※※※※※
「お姉ちゃん! 大丈夫!?」
すぐ傍で聞こえる、泣きそうな声。回想を止めて意識をそちらに向ければ、男の子が泣きそうな顔で私を案じていた。幸いなことに、男の子に怪我はないらしい。ただ……周囲の状況を見る限り、そう楽観視もしていられないようだけど。
「良かった、無事だったね」
微笑んで頭を撫でれば、男の子は泣き出してしまいそうなほど顔を歪める。
「良くない! 僕は助からなくても良かったんだ。……お姉ちゃんだって、僕のことを不気味に思ったでしょう!? 『どうして判ったんだ』って! だいたいっ、何で……何で、お姉ちゃんは僕を庇ったのさ!? 命の危険がある以上、祝福は効果がないはずなのに……何で……今更……」
感情的になっているらしく、男の子の言葉は途中から意味が判らない。ただ、男の子が自分の命をかなり軽く考えていることは窺えた。人生を悲観しているようにも見えてしまう。
――この子は相当勘が鋭いか、危険を察知するような能力がある、ということらしい。
おそらくだが、それを不気味がられたか、何かしたのだろう。だから、私が助かれば良かった……と思ってくれている模様。そう思うのは、今の私の状況がかなりヤバイからだ。
やはり爆発か何かがあったらしく、私達は瓦礫に囲まれて建物内部に取り残されていた。あまり暗くないのは、ここが元から外に近い場所だからだろう。つまり、元の場所に居た場合は……。
「ありがとね、逃がしてくれて。庇ったのは……『私がそうしたかったから』かなぁ?」
俯いて涙を流す男の子の頭を撫でれば、そろそろと男の子は顔を上げた。
「ここなら多分、助けてもらえるでしょ。私はちょっと身動きできないみたいだけど」
足を挟まれたせいで、動くことはできない。というか、足の感覚があまりない。それなりにヤバイ状態かもしれないなと、ぼんやりと思う。それでも、この子を守れたことが誇らしかった。
「荷物は持ったままだったから、ペットボトルの紅茶とスマホもある。何より、私達は生きている。ほら、最悪な状況は避けられたでしょ。だから、君に感謝するのは当然なの」
メールは送れないようだが、文章を残すことはできる。お茶とちょっとしたお菓子もあるから、最悪、この子だけは助けることができる気がする。何より、私に恐怖という感情はなかった。一人じゃないことに加えて、私が『守る側』であることが多大に影響しているのだろう。
「……よし、文章の打ち込み完了。ほら、泣くと体力が削られるだけだよ? 泣き止んで、お菓子でも食べて、落ち着こう? 音楽も聞こうか、何が入ってたっけ」
微かに聞こえてくるような気がする呻き声は、スマホの音楽で打ち消して。
不安な気持ちには、お菓子とお喋りで蓋をして。
ささやかなお茶会と洒落込もうじゃないか。ある程度の時間が経てば、スマホの奏でる音楽が救助の人達をここに呼んでくれるだろう。それまでの一時、この子を守れたならば上出来だ。
「お姉ちゃんは『本心から』僕を守ってくれたんだぁ……嫌だよ、漸く見つけたのに……」
「何それ。君は時々、意味が判らないことを言うねぇ」
何故か、泣き笑いになっている男の子の涙を拭えば、男の子は涙を残したまま私に抱き付いた。
「ここを出たら僕の秘密を教えてあげる。お姉ちゃんは特別だよ! だから、頑張って」
「ふふ、特別かぁ。じゃあ、頑張らなきゃね」
そう言って笑い合う。いつしか男の子には笑顔が戻り。私達は暫く、場違いなお喋りに興じた。
――ただ、何事もそう都合よく事が運ぶはずもなく。
私達の約束は果たされることはなく、私がそこから生きて出ることも叶わなかった。それまでに負っていた怪我が原因ではない、爆発によって脆くなっていた建物が原因である。
勿論、救助の人を悪く言うつもりはない。音楽を聞きつけて来てくれた救助の人は、ある意味では間に合ったのだから。ただ、ほんの少し私の運が悪かっただけだと思う。
「お姉ちゃん! 嫌だ、お姉ちゃんと一緒に居る!」
「ほら、私の家族への伝言を頼んだでしょ。折角、書いた遺言を無駄にする気? そのスマホを持って、この場から離れなさい。……お願いします。この子を連れて、早くこの場から離れて!」
「しかし! 君は身動きできない状態なんだろう!?」
「私は後でいい。……さっきから、上の方からパラパラ砂が落ちてくるんですよね。嫌な音も聞こえ始めてるし、私自身も足の感覚はない。自分の状況は判ってますよ。共倒れは御免です」
私の言い分に納得できてしまったのか、救助の人は苦しげな表情のまま、男の子を連れて行った。それでいい、貴方は私を見捨てたのではない。男の子を先に救助しなければならなかっただけ。
「どうせなら、一瞬で終わって欲しいなぁ。……あれ、あの子の名前を聞いてないじゃん! 私も名乗ってなかったし、やっぱり血が足りなくなってボケていたのかも」
それが少し残念だと思ったのが、私の最期の記憶。その直後、轟音と共に私の居た場所は上から崩れてきた瓦礫で埋まったのだから。……痛みを感じなかったのは、幸いだったと思う。