アルクアルヒ
店から外に出ると、夜は闇を深くしており、坂の上から点々と灯る街灯が滑走路を照らしているように見えた。雨で洗い流された夏の熱気が、澄んだ空気に変わっていく。
少し重たくなった財布をポケットにしまい、歩き出す。
作者は自分の努力がガム3個分だと知ったら何を思うだろうか。試行錯誤の末に綴りだした文章の価値を読んでいないやつに決められて腹をたてたりしないのだろうか。
努力が30円だとしたら、俺の命の価値はいくらぐらいになるのだろう。
そんなことを考えながらコンビニに入店する。
定期的にポケットティッシュで血を拭っていたが、ようやくその苦労から解放されるわけだ。
一番安い絆創膏とマスクを購入する。マスクは首をつったときに舌が飛び出るのを防いでくれるし、よだれを隠してくれる。
あとは帰って、遺書を完成させ、風呂にはいって、自慰をして(色々と垂れ流しになるのを防ぐためだ)、首をくくる。簡単だ。
お釣りを募金箱にいれて外に出る。
コンビニの看板の灯りに照らされながら早速購入した絆創膏を傷口に貼る。
雨はすっかりやんでいて、曇天が夜に広がっている。何事もなさず、何も生み出さなかった俺の終わりにはピッタシの夜だった。
一年ほど前、ネットのニュースに子供の自殺が取り沙汰されていた。いじめもなく貧困的理由もなくその子は屋上から飛び降りた。
理由も不明だが、俺にはなんとなくわかる気がした。
死に憧れる年代は存在し、はずみでポンと逝ってしまうこともあるだろう。
暗い人生を悟ったやつが死を選ぶのだ。
過去に劇的な何かが無くても、未来にはきっとなにかがあると、漠然と信じて生きてきたが、結局何もなかった。
夢もない希望もない、それなら死んでしまうのもアリじゃないだろうか。
若者に生きろという老人は老後のこととしか考えていないし、そんなやつらに搾取されるくらいなら来世に期待して首をくくる方がよっぽどいい。
俺が死を選ぶのはそれくらいのなんでもない理由だ。
遺書に収まりきるだろうか。
自宅のアパートにつき、二階の一番端の自室を目指して、階段に足掛けた時、自分以外の存在が後ろを歩いていることに初めて気がついた。
「……」
振り返る。アパートの切れかけた蛍光灯に照らされた少女は古本屋で会った女の子だった。