さようなら、もう会うことは無いでしょう
熱を引きずりながら室内に土足のまま上がる。
「うっ」
吐き気がし、体を前屈みに折り曲げる。
ムリをしすぎたらしい。
トイレのドアを急いで開けて、便器にしがみついて、戻した。
熱が逆流する。
空っぽの胃のはずなのに。
空っぽな人間のはずなのに。
しばらく、そうしていると、スッと熱が冷めるような錯覚に陥った。口許を水道水でぬぐい、立ち上がる。
それに、
息も絶え絶えなまま、麻縄を蛍光灯に掲げる。
「どうせ死ぬのだから」
よい終末を。
さんざん縄を引っ掻ける場所に悩んでいたが、いざとなればすぐに決まった。
下手なところを選ぶと失敗するので、ベランダの手すりにした。
ネックハンキングツリーならぬ、ネックハンキングベランダだ。語感的にバルコニーのほうが良かったが、あいにく屋根つきなので叶わないのだ。
手すりに足をかける。
内側で死んでも良かったが、外側で飛び降りるように逝くことにした。
せめて最期は綺麗な夜空を見ながら死にたかったのだ。
手すりに縄を引っ掻けて、反対側を首にかける。
夜風が昂った気持ちを冷やしてくれる。
ゆっくりと、後ろ髪引かれるように、俺は飛び降りた。
さようなら。
浮遊感ののち衝撃。
風が気持ちよい。
俺の世界は終わりを迎えた。
息がっ、
首が痛い。
息ができな。
あらゆる景色がフラッシュバックし、視界はやがて赤く染まる。
瞼の裏の暗幕に少女の幻影が弾ける。
苦しかったのは最初の数秒だけだった。
最期に思うのは健在の両親や兄貴のことではなく、今際を一緒に過ごした少女だった。
ツバキアマネ。
彼女は不幸せをこじらせて来世に期待していたが、それが、正解かどうかはわからない。きっと神様にも、わからないだろう。
俺がここで死んだら彼女の覚悟も無駄になってしまうのだろうか。だけどもとから俺が死ぬというのはわかっていたはず。だのに、それを止めるだなんて、なにを考えていたんだろうか。これで彼女の輪廻は失われ、生まれ変わることはなくなった、……いや、まて、どういう意味だ。おかしな話である。輪廻の輪からはずれるというのは元の位置に戻るということじゃないのか、つまり彼女は、……。
瞼のスクリーンに投影された映像はメリーゴーランドではしゃぐ少女の姿。
絞め技で落とされた時のように俺の意識は霧散した。




