メリーゴーランド
土曜の駅前の午後は閑散としていて、タクシー乗り場も空いていた。一番前の一台に軽く手をあげると、がちゃりと音をたてて、ドアが開いた。少女が見えていない運転手はワンテンポ遅れて座席に座る俺を訝しむように見ていた。
しれっとした顔で行き先を告げる。
「お客さん、そこ、こないだ閉園したよ」
と、運転手はぶっきらぼうに教えてくれた。
「え」
「一ヶ月くらい前かな。最後だからってたくさんお客さん乗せたからはっきり覚えてるよ。潰れた遊園地に用でもあるのかい?」
予想外の展開に思わず喉が鳴った。
「えーと」
横に座るツバキの顔色を伺う。
「すみません……」
どうやら知らなかったらしい。
「どうするんだい? 行くの? 行かないの? 行かないなら降りてくれるかなぁ?」
「……」
ずいぶんと高圧的な運転手だ。後で本部にクレームいれてやろうか。さて、
「行きます」
少し苛立ちが出たのだろう。
「え」
ツバキが驚きの声をあげた。
「はい、じゃあ、出発します」
俺を客と見なした運転手は存外丁寧な口調でアクセルを踏んだ。
目的地まで会話はしなかった。
車通りも少なく、信号に止まることも少なかったので、二十分ほどで目的地についた。お金を払い降車すると、タクシーは排気ガスをはいて勢いよく去っていった。
歩いて入り口前まで行くと、ゲートはしっかり閉じられていて、看板にはでっかく『ありがとう! マテンランド』と謎の感謝が告げられていた。
「なんで、わざわざ閉園してる遊園地に来たんですか?」
「寂れた雰囲気が好きなんだ。滅びの美学というか」
「遊べないじゃないですか」
彼女は眉間にシワを寄せた。
「まあ、誰もいない遊園地を散歩すんのも悪くないよ」
立ち入り禁止のロープを乗り越えて中に入る。
「あっ、センサーがあるかもしれませんよ!」
ツバキはそれをとがめながら俺につづいた。
「警備会社の人が来てしまいます。それに工事の人だっているかも知れませんし」
「今さら関係ない」
日本国においては、死者に法律は適用されない、と思う。法律には詳しくないので例外があるかもしれないが。
「よくわかりません。二人分のお金を払ったりしてたのに」
「アバウトなんだよ。そこらへん」
無線飲食と不法侵入はどちらが罪重いのだろうか。
郊外の遊園地だとバカにしていたが、想像したよりもずっと広かった。
敷地内の至るところに重機があり、工事の進捗が見てとれた。入り口の看板には来年の春まで工事を行うと書いてあったが、
「今日は土曜日か。運が良かった」
土日祝日は工事はお休みらしく、現場作業員は一人もいなかった。安心して不法侵入を楽しむことができる。
動物園の時と同じようにたわいのない会話しながら、ブラブラと辺りをうろつく。
「昔、母と父と私で来たんです、ここ。父はずっと海外なんで会うことはあまりありませんが」
「そうなのか」
「凄く楽しくてはしゃぎすぎて倒れちゃったんです。なのであまり良い思い出はありません」
言葉には寂しさが滲んでいる。
「でも、遊園地、無くなっちゃたんですね……残念です」
寂しそうにツバキは空を見上げた。抜けるような青空。晴れて良かった。
「何か乗りたい物あるか?」
「どれも電力供給が断たれて動かないじゃないですか」
「気分だよ気分。雰囲気だけでも味わおうじゃないか」
「メリーゴーランド」
「そうか。よし行こう」
右手を差し出す。
少し恥ずかしそうにツバキは手に取った。
メリーゴーランドは園の真ん中にあった。
オーソドックスな馬の乗り物から、カボチャの馬車まで形は様々だ。
「いっしょに乗りましょうよ」
「いや、それはできない」
「なんでですか? 恥ずかしいんですか? 誰もいませんよ」
「そうじゃない。写メるからだ」
「写メ……?」
「いいから、はよ乗れ」
「はあ……」
ツバキは静静と馬の置物にまたがり手すりにしがみついた。
聞いた話によると写メはもう死語らしい。メールでのコミュニケーションがなくなり、ほとんどがSNSになったからだ。
常に誰かと繋がっていないといけないなんて俺には耐えられそうもない。
「はい、チーズ」
電波のない携帯電話で撮影した写真には、悲しいことにツバキが写ることはなかった。ただ馬の置物を撮影しただけである。
「やっぱりシュールですよ、これ。動か
ない馬に乗ったって楽しくないです」
「まあ待て」
膨れっ面で片足をあげ、馬から降りようとしたので俺は慌てて、止めた。
「なんでですか?」
「いま裸眼0.7の網膜に焼き付けるから」
走馬灯で思い出すなら嫌な思い出よりも綺麗な物だけにしたいのだ。
ツバキは絶叫系が苦手らしくジェットコースターには近付きたがらなかったが、観覧車には乗りたがった。
どのみち動かないのだ。
「さっきの写真見せてください」
スッと手を差し出す少女にケータイを渡す。
「いいけど……」
「私、写ってないですね……」
「網膜に焼き付けたから大丈夫」
「意味不明です」
もしかしたら工事の人がいるかもしれないので、はしっこの方をこそこそ歩き、観覧車乗り場にたどり着いた。
「時間が止まった遊園地って、なんだか私たちみたいですね」
携帯を差し出される。
「発言が謎過ぎるな」
受け取りポケットに仕舞う。
「もう、動かないんです。少なくとも、私の時間は」
ゴンドラの扉に手をかける。
外からは出入り自由で、カンヌキのような棒を動かすと鉄が擦れる音がした。
向かい合って腰かける。
揺りかごのようなゴンドラはなんとも空しいものだったが、改めてツバキの顔を正面から眺め、整った顔立ちにため息がでた。
「なんですか、なにかついてますか?」
「いや、勿体ないと思ってさ」
「なにがですか?」
「せっかく可愛らしい顔立ちなのに、死んでしまうなんて、な」
病的に青白い肌が仄かに赤く染まった、気がする。
素面なのに、死に近づいた高揚からか、恥ずかしい台詞もばんばん吐ける。
「お世辞はよしてください。ハレさんだって目も当てられない顔というわけでは無いじゃないですか」
「イケメンってわけでもないしな」
「目付きが少し悪いくらいですよ」
「コンプレックスをえぐるなよ」
「す、すみません」
ちっとも反省した様子なくツバキは鼻の頭を掻いた。
「そうですね。もし、ちゃんと生まれ変わったらまた私とデートしてください」
デートか。なんだかんだで意識していたのは俺だけじゃなかったらしい。
「その時は俺も生まれ変わってないとな」
「よく前世での出会いは今世に通じるっていいますし、きっとまた出会えますよ」
「ちなみに総人口七十二億と仮定して計算すると人と人が出会う確率は天文学的数字になるんだと」
「具体的には?」
「記憶力ないから数字までは覚えてないが、海に投げたバラバラの懐中時計が、潮の満ち引きでもとの形に戻るくらいの確率らしいぞ」
「それじゃ、まるっきり奇跡じゃないですか」
歯の浮いた台詞だったかな、と照れながらツバキの顔を見るが、彼女の表情に変化は無かった。
「次の生まれ変わりが人間で同じ時代とも限りないですし、人との出会いは本当に奇跡みたいなものなんですね」
「なあ、そこなんだけど、本当に死ぬのか?」
「……ハレさんですか?」
「いや、俺じゃなくてお前」
「死にますよ。私にとってそれが救いなんです」
「イカれた宗教みたいなこと言いやがって」
「そう言われましても……だって、来世に期待するしか無いじゃないですか」
大きな瞳が力強さを持って俺を射ぬいた。
「いまは鼓動すらない私の心臓」
彼女は左胸を押さえた。
「治療法もないし、原因もわからないそうです。暫定的に拡張型心筋症と名付けられていますが、正体すら不明なんです。生きてたってなんの役にもたたない、むしろ迷惑がかかるくらいなら、早く死んでしまいたい、と私は思うんです」
俺は自らで命を断とうとした、断とうとしている。そんなものから苦悩する若者にかけるべき言葉などないし、たとえあったとしても説得力は皆無であろう。
それでも、
「なあ」
それでも、なにか、彼女に言ってあげたかった。
「俺はあの時死ななくて良かったと思っているよ」
「あの時って?」
「家の台所で椅子から転げ落ちたときさ。まだお前に会う前だな。もしも、あの時死んでいたら俺は今こうして観覧車のシートに腰かけることはなかったわけだ」
大袈裟に両手を軽く開いて笑ってみせる。
「人はいつか死ぬ。数百年後にはみんな土に帰ってるし、俺たちの立つ地面は骨と命で構成されてる。だからこそ、お互いがこうして生き延びて、出会えたことは、さっきの話じゃないけど奇跡だと思うんだ」
彼女に背後のガラスには、鉄骨がいくつも折り重なって見えた。計算付くで構築された建造物は美しいけど、千年後にはこの景色もなくなるのだ。いや、解体工事が進めば来年の春には更地になっている。
「死ななくて良かった。もし、今日命を失わなければ、明日はもっといい日になるかもしれない」
「ハレさんが言うと、……説得力がありませんね」
「まあ、そういうなよ。後悔だけはしてほしくないんだよ。若者に」
風でゴンドラが微かに揺れた。
岡目八目、第三者は他者を俯瞰することができるのだ。
「ハレさんはなにか後悔があるんですか?」
「後悔がないのが後悔かな」
「意味がわかりません。哲学者ですか?」
「なまじ人より出来ると努力しなくなって努力のやり方がわからなくなるんだ。そのうち周りに抜かれるけど、反骨心が刺激される事もなく、頑張らなくても、自分のステータスでいける最低水準を辿ってきたんだ。なにか大きな挫折を味わっておけば、あるいは人間的に成長できてたかもしれないな」
「ハレさんは十分大人じゃないですか」
「大人というのは七難八苦を乗り越えた人のことを言うんだ。俺には苦難も苦行も存在しなかった。受験も指定校推薦だし、内定も簡単に貰った。塾に行ったことはないし、ずっと帰宅部だった。そんなやつは大人じゃない。身体だけがデカイ子どもだ。だから、社会が辛いんだ。働くのが嫌なんじゃない、他人とかかわり合うのが嫌なんだ。人付き合いなんてやらなくても学生のうちはなんとかなった、だけど社会はそれを許さない。だから、関係を断ち切るために命を断とう思ったんだ。あの日まで」
ツバキは言葉を吐き出すこともなく大きな瞳を見開いて俺を見ている。澄んだ瞳は宝石のように美しかった。
「俺はもうすぐ死ぬ」
「……」
それはもう確定だし、むしろ終わりがわかっているからこそ他人事のようなアドバイスができるのかもしれない。
「俺の死を見届けて、生まれ変わってもらうならそれでいい。ただ、忘れないでもらいたい。他人と関わりを持たなかった木偶の坊のことを。ただそれだけを約束してほしい」
「……確約できません。生まれ変わりがどんなものかわからないんですから」
「なら、俺の代わりに生きてくれ」
正面から真っ直ぐ彼女を見つめる。
「だめかな?」
困った風に笑うだけだった。




