どうしたの?
陽炎が立ち上るアスファルトに少女は立っていた。病院前の広場、その真ん中に、涼しい顔で立っている。
熱気をまぜ返すように、生ぬるい風が吹いた。
「弟を助けてくださりありがとうございました」
蜃気楼ではなかった。赤い唇を薄く開き、彼女は恭しく頭を垂れた。
「あ、ああ」
熱に浮かされたような上擦った声が出た。幼くて性別が分からなかったが弟だったのか。
「俺はなにもしていない。余計なことはしたけど、結局あの子は助かった」
「誰かのために命を張るなんてできることではありません」
「死に損なっただけだ」
「ハレさんは、……優しすぎますね」
子どもがはしゃぎ声をあげながら、鳩の群れにジャンプした。驚いた鳩たちは羽根を撒き散らしながら、青空へ飛んでいく。家を出たときは曇っていたのにいつの間にか晴れたらしい。
いくつもの羽ばたきの音が耳に残った。
「ですが、残された時間を他人のために使うのはやはり勿体ないと思います」
笑い声と蝉時雨が重なりあって夏の午後を華やかに演出していた。
「そう思って離れたのに。結局ハレさんは時間を他人に使っていました」
「そんなしょうもない理由で?」
「大切なことです。誰かのために生きるのは自分を犠牲にするということですから。最後は……ちゃんと、自分のために生きてほしいんです」
「なぁ、そろそろ教えてくれ、俺はいつ死ぬんだ?」
「口が裂けてもいえません。私が生まれ変わるために」
ふてぶてしく彼女は呟いた。
「……入院してるんだな」
日陰を求めて歩き始める。俺の意図を察したのか、彼女も大人しく俺に続いた。
「そうですね。寝たり起きたりをずっと繰り返しているみたいです。毎日夢うつつです。肉体が寝ているとき、霊体が外で行動しているようですね」
「みたいって……自分のことだろ。もっと興味だせよ」
「現世はどうでもいいんです」
「自暴自棄か? なんで入院してるんだ?」
「心臓病ですよ。拡張型心筋症という募金を募って詐欺を働く悪評高い病気です」
自虐的な笑みを浮かべた。衝撃のカミングアウトだった。とてもじゃないが笑えなかった。
言葉に出さず言い淀む俺を急かすように彼女は続けた。
「私の母親、どう思いました?」
「どうって、……いい人だな。子ども思いで、気配りもできて」
「ふふ、外面だけですよ」
ツバキは腕捲りした。
生々しい点滴跡。
「……」
言葉につまる。
「まあ、よくあることです。病気がちでお金がかかる子どもより、元気いっぱいの男の子の方がかわいいに決まってます」
「あの人は……ツバキのお母さんはちゃんと見舞いに来てるじゃないか」
「世間体ですよ。見栄っ張りです。はやく死んでほしいと思っているに違いません」
「……俺にはよくわからないな」
「男の子が欲しかったみたいなんです。ずっと。みっちゃんが生まれるまではわりと構ってくれたんですけど、それからはもう。息が切れて体力がないのを、かまってちゃんだと勘違いされたみたいですね」
「だからって……」
自殺志願者の俺に言葉かける権利がないことを思い出した。
「寝込みがちだったのが、入院に変わって、最初は毎日だったお見舞いも、今では一週間に一度顔を出すかどうかです。そんなもんなんです。あの人たちは、私にさっさと死んでほしいんですよ」
機械のように淡々と彼女は言葉を紡いだ。
「……まだ生きてるんだろ?」
「死んでるも同然です。そういえば、……いつかハレさんは自殺の理由のひとつに病をあげましたよね」
昔の会話をはっきり覚えていられるほど、記憶力はよくないが、首を横にふれる雰囲気では無かった。
「私には正直わかるんです。生きている限りお金がかかり、他人に迷惑かかるならいっそのこと死んでしまった方が楽だって。だけど、だからこそ、体力があって、若くて元気な人が自死を選ぶのが、嫌なんです。許せないんです。憎いんです」
矢継ぎ早に言葉をはいたツバキだが、浅く深呼吸をして続けた。
「すみません、こんなこと言うつもりはなかったんですが……」
「いや、悪い、おれも……、なにも知らないくせにズカズカと」
「ともかく、重たい肉体が邪魔なんです。だから、8つの魂の行く末を見守って、来世に期待するしかなかったんですが、まさかハレさんがあの人に会うなんて。運命というのは残酷ですね。最後に、自分自身を見つめ直すことになるとは」
「……」
「語ってしまってごめんなさい」
そう言ってまた頭を下げる。さらりと黒い髪が前に垂れる。
「最後に誰かに聞いてもらいたかったのかもしれません」
地響きがした。
抜けるような青空を、旅客機が重力に逆らって真っ直ぐ飛んでいく。白い線を引きながら空を引き裂く姿は、なんだか天国を否定しているかのようだった。
「なあ、生まれ変わる前にやり残したことはないか?」
飛行機が通りすぎて、静寂が訪れる。何となく尋ねていた。
「私にはありません。ハレさんこそ、もうあまり時間はありませんよ。やり残したことはないんですか?」
「そうだな」
少し考えるふりをする。
「やり残しがあったら、あの世に行けないし」
最初から答えは決まっていた。
「遊園地にでも行こうかな」
「遊園地、ですか……なんで?」
「理由なんかないよ。ノスタルジックな気分に浸りたいだけなんだ。あの世に天国ってもんがあるなら、それはきっと遊園地みたいなところなんだろうな」
「どうなんでしょうか」
「なんとなく言ってみただけさ。ツバキはこの辺り遊園地詳しい?」
「……わかりません」
彼女の母と会話をしたとき、「動物園と遊園地」を上げていた。なんとなく思い出したのだ。
「それじゃ、てきとーに調べて行くか」
ポケットから携帯を取りだし、途中で気がついた。
先日解約したのでネットに繋がらないのだ。
となると、手段がない、どうしようか。
「い、一ヵ所だけ、知っています」
興奮したような声でツバキが手を挙げた。おどおどと緊張したように小さく呟く。
「マテンランド」
聞いたこともなかった。




