根こそぎ消失ヒエラルキー
翌朝目を覚ますと、ツバキは居なくなっていた。幻のように消え失せたのだ。隅に丁寧に折り畳められたタオルケットが置いてあった。
寝ぼけ眼で部屋を見渡すが静寂が拡がるだけだった。
机の上にはくしゃくしゃの遺書があり、裏の白紙には「コーヒー美味しかったです」と書き置きがあった。
俺はなんとなく寂しい気持ちになった。
しばらく立ちすくんでいたが、答えにたどり着くのはすぐだった。
彼女は気づいたのだろう。自分がいると俺が自殺しないということに。だから、姿を消したに違いない。
つまり、もうすぐ、その瞬間が訪れるということだ。
社会不適合者は寂寥感を封じ込めるように外着に着替えた。スラックスにワイシャツだ。
部屋をもう一度見渡す、
家具も少なく殺風景だが、俺にとっての安息の地だ。
もう二度と戻ることはないだろう。
永遠に続く一歩目は思ったよりも軽やかに、空には暗雲が立ち込めていた。
不思議と心は穏やかだった。
今際にツバキに会えるとわかっているからだろうか。死の瞬間を見守る義務がある限り、その時には必ず姿を現すはずなのだ。
自殺に首吊りを選んだのは、一番手っ取り早く死ねるから、だけではない。
数ある神話のなかで、唯一自殺を司る女神イシュタムは、死者を楽園に導く役割を担っていた。イシュタムはマヤの神話で、マヤでは首吊り自殺は名誉ある死と考えられているのだ。
「名誉ある死」
何となく呟いていた。
生きる意味がわからないように、俺には死ぬ意味もわからなかった。だけど、生きて辛い目に合うよりは死んでしまうほうがマシに思えたのだ。
夏の午前はジメジメと蒸し暑かった。
目的地のない旅路ではなく、終着点は決めていた。
アパートの近くの丘陵は短いハイキングコースになっており、上りきった先に町を一望できる公園があった。晴れた日には富士山が見える。そこからの景色も最高だが、公園の脇にある獣道の拓けた先が俺の目的地だった。
死ぬには眺めがいいし、人気はないが、発見は早いだろう。
未来の第一発見者には申し訳ないが、首をくくるには格好の場所だ。
足取りは軽やかだった。気を抜いたらスキップしてしまいそうなほど。
そんな俺の気持ちを萎えさせるように歩行者用信号が赤く灯った。
交通規則に従って足を止める。
自殺の手段を考えたとき、飛び込みを真っ先に消したのは、他人に迷惑がかかるからだ。死んでまでダメなやつとは思われたくない。まあ自殺する時点でどうなんだという話だが。
なんてことを考えながら信号を変わるのを待っていたら、
「それでね、おねいちゃんがね……」
「あっ、信号!」
母親との会話に夢中になっていた子どもが信号に気付かず、道路に飛び出た。
「え?」
きょとんと横断歩道の途中で立ち止まる。
それが不味かった。
行くなら気付かずに進めばよかったし、止まらずに戻れば最悪は回避できただろう。
幼い肢体が迫り来る死にすくんだ瞬間、スピードをあげたスポーツカーが唸りをあげて横断歩道に差し掛かっていた。急ブレーキを踏んでいるが間に合いそうもない。
反射だった。ほとんど反射的に、俺は水平にジャンプし、アメフト選手がタッチダウンを決めるような心持ちで子どもを突き飛ばした。
ここか、と思った。
ここで、死ぬのかと。
突き飛ばされた子どもが向こう側の歩道で目を丸くしてこっちを見ていた。
「あ」
思わず声をあげてしまった。
その子にはツバキの面影があった。




