死屍累々の夕焼けと
自宅につき、シャワーを浴びた。
汗を洗い流すのも久しぶりな気がした。考えてみれば夏なのに不衛生だ。動物よりも俺のほうが臭かったかもしれない。
さっぱりして気持ちで脱衣場から出ると、ツバキは棚に無造作に入れられた筆記用具をいじっていた。
「何してるの?」
「最近の文房具ってすごいんですね」
カッターをペンたてに戻しツバキは続けた。
「針がいらないホッチキスなんてはじめてみました」
「学生だろ?」
「まあそうでしたけど」
タオルで髪の毛の水気を切る。
「風呂入れば?」
「……大丈夫です」
「あっそ」
小綺麗な格好のまま、うつむき、
「一番最初なんですが」
珍しく自分から口を開いた。
「その人は貧困が原因で自殺を選んだ男性でした」
「……」
「三十……二十九だったかな。もともと家系が貧乏で片親に育てられた彼は高校卒業後、地元の工場に就職しました。でも、体を崩して休職し、退院後、職を探しますが見つからず、派遣や日雇いで食いつなぐ生活をしていました。空白期間があると、再就職は難しいらしいですね」
「突然なんだ?」
「その日も現場作業で汗を流し、日銭を稼いでいました。作業が終わり、夕暮れの、真っ赤な空を眺めて、彼は涙を流しました」
「何が言いたい?」
「……私には彼が自殺した理由がわかりません。そりゃ肉体労働は辛いし、お金がなくて大変なのはわかりますけど、突発的になにかがあったわけでもないのに、なんで自殺なんて結末を選んだのか」
ツバキは膝から顔をあげた。涙目になっていた。なんで、他人に感情移入できるのだろうか、この子は。
「ずっと聞いてみたかったんです。誰かに。なんで彼が死んだのか?」
問いかけはそのまま俺に向けられたものだった。
しばらく考えるふりをして、天井をぼんやり眺めていたが、なんとなく理解できた気がした。
「ツバキ、君はわからないって言ったな」
「はい」
「わからない人には絶対にわからない感情なんだ。それは」
呆けるように俺を見つめたあとで、眉間にシワを寄せた。
「逃げないでください。言葉にしてください」
「海しか知らない魚にカメは陸の事を伝えることはできない。理解できるのは、近い立場の人間だけだ」
「どういう、意味ですか?」
「心折れずに前を向ける人がいれば、それが出来ない人間もいるってこと」
「やっぱり、わかりません」
「そういうもんなんだって」
少しだけおかしくなって、気づけば俺は笑っていた。
それからツバキと会話することはなかった。
少女は三角座りのまま唇を真一文に結んで、物思いに耽っている。
不思議と沈黙が苦にならなかった.
そんな日向ぼっこをする猫のような少女を見て、俺は自分の死のタイミングを天に任せることにした。
口ぶりから察するに、死ぬのは確実だが、結末は自殺とも限らないらしい。死の要因は様々なのだろう。
焦っても仕方ない。その瞬間が訪れるまではゆっくりすることにしよう。
昨日と同様パソコンで音楽を流す。サザンオールスターズだった。
リズムに急かされるように、本棚にある人間失格を取りだし、ページを開いた。
作者の太宰治は玉川上水で入水した。
大庭葉蔵に自己投影する気もなければ太宰治に自分を重ねることもなく、ただ活字を読んでいく。
読み終わったとき、ツバキは昨日と同じような体勢で寝息をたてていた。
夏とはいえ、朝方は冷える。幽霊が風邪をひくかは知らないけど、タオルケットを肩からかけてやり、俺はベッドに横になった。
寝ているとき、人は一番死に近い。
人生の三分の一はベッドのなかで、臨死体験のような夢を見る。人は毎晩、死の予行練習をしているのだ。
今日も生き長らえてしまった。




