終
加筆ー。
フォイルとナカガキが地下室で戦う中、アルミナは容易く護衛官たちの目を盗み、抜け出していた。
外からの敵を警戒する以上、中から出て行くアルミナへの警戒が薄くなるのは止むを得ないことではあった。
「ごめんなさい、でも……!」
命懸けで自分を守ってくれている護衛たちに申し訳のないことだとはアルミナもわかっている。それでもアルミナもまた、この恋に命を懸けていた。
動きやすい服に着替え、ブーツの靴紐を固く結び、火山地帯、獣人たちの生活するエリアへと走り出した。
先ほど、フォイルがジャヴェリンを蹴り飛ばした際、ガッシュとガルシアにジャヴェリンの監視を指示していた。三人は同じ部屋も居るはず。
アスレチックのように隆起し、罅割れた地面、地図もコンパスもなく、ジャヴェリンの残り香に引き寄せられるように何度か兄に連れられてきただけの場所にアルミナは迷わず辿り着けた。
荒野の中、硫黄交じりの風で変色したログハウス、周囲には他のログハウスはない作業用の部屋だったが、どこかにジャヴェリンの気配が残っている。
戦場での出来事だったとはいえ、ジャヴェリンを傷付ける云い方をしてしまった自分をどう謝罪すればいいか、アルミナは自分がなんの言葉も用意していないことに気付いた。
だが、ここまで来て二の足は踏めない。とにかく行かなければならなかった。深呼吸をして息は整っても頭の中身は整わない、それでも行くのが乙女の心意気。一気に開けた。
「お邪魔します!」
だが、そこには予想のしようのない状況が広がっていた。
室内にはジャヴェリンの姿はなく、赤が広がっていた。
血溜まりと血痕。その主が床に倒れ付したガルシアであることは瞭然であり、ガッシュの両手に握られているサーベルから被害者と加害者の状況が分かったが、それ以上は全く分からなかった。
「逃げ……」
辛うじてガルシアと分かる肉塊のうめくような声にアルミナは即座に反応し、開けたばかりのドアを閉め、大風用の閂をドアに掛け、一気にその場から離れた。
――どういうこと!? どういうこと!? どういうこと!?
――ジャヴェリンは!? どこ!? 今、中には居なかったよね、ちゃんと逃げられたんだよね!?
無数の思考がアルミナの頭の中で跳ね回るが、ひとつも結論として集約することはない。
さらに考えをかき乱すように背後からドアを叩く続き、一瞬の間を置いて何かが割れる音がした。おそらくドアではなく窓の桟を破壊して外に出た、そこまでは考えるまでもなく理解できた。
この状況は誰一人……いや、ナカガキ=サルトビだけが辛うじて予測していた状況だった。
アルミナの性格を考えて即座に動くことを予測し、ガッシュの援護を言葉だけで行っていた。暗殺者としての老獪な一手であった。
だが、ナカガキ以外には想定外の事態。
アルミナもまさかジャヴェリン不在で残る二人が殺しあっているとも思わなかったし、ガッシュも暗殺の本対象であるアルミナが自分から現れるとは予想のしようがない。
「僥倖、だな」
文字通り瞬く間に背後まで詰め寄ったガッシュ。
ライオンの獣人たるガッシュは荒野であろうとも音もなく走り抜ける。言葉にしなければ戦闘の素人であるアルミナは気付きようもない接近。
「きゃ、キャアアアアア!?」
注意が足元から背後に移ったことで、アルミナの右足と左足は逃げ方を忘れて絡み合い、盛大にすっころんだ。
「痛みはないはずだ。儂のために死んでくれ。悪く思うな」
「じゃ……」
左のサーベルを照準のようにアルミナへと向け、残る右のサーベルを逆手に構えて弓のように引く。一撃で首を叩き落す狙いだとわかった。
「ジャヴェリィイイイーーーンっっ!」
振り放たれた一撃は、アルミナには届かなかった。気配もなく音もなく、ただそこに現れた一本の槍が受け止めている。もちろん。
「ジャヴェリン!」
「ジャヴェリンっ!?」
同音異議。
片やアルミナは絶体絶命の状況で現れた恋人の姿に、片やガッシュは言葉巧みに追い出した障害の唐突な登場に。
「……なんですか、この状況は……!」
ジャヴェリンの手には自身の背丈よりやや長い槍、穂先に申し訳程度に飾り布の付けただけの地味なものだが、よく磨がれている。
ジャヴェリン自身の名は投擲用の投げ槍を意味する言葉だが、その槍は白兵戦に用いてきた武具そのもの。
剥き出しの刃と同じく、自ら覆面を脱いだ。カメレオンの大きな瞳の視野を生かすためだ。
もうアルミナに隠したりしない、ただ守るために戦う。その決意を表すようでもあった。
「ジャヴェリン、隊長命令だ。その小娘を切り殺せ」
「……さすがにこの状況でそれはないでしょう……なるほど、さっきの状況、冷静に考えれば……不自然でしたね」
先ほどのサルトビ襲撃の際、ガッシュが現れたタイミングが不自然であったことにここに来てジャヴェリンは気が付いた。
フォイルは即座に看破していたし、普段ならば違和感を持ってしかるべきだというのに。
恋は盲目というか、アルミナの“見ないで”発言が自分が思っている以上にショックを与えていたことにジャヴェリンは苦笑した。
「儂に敵うと思うのか?」
「倒さなければなりません、僕も必死だ」
ギョロリとカメレオンの目がアルミナを見た。自分には退がる道はない。互いに武器を振るう。
切っ先の速度では長さのあるジャヴェリンの槍が勝る、手数ではガッシュのサーベル二刀が勝る。気迫ではどちらが勝るか、避け、受け流し、そして打つ。アルミナの視力では追えない攻防。
動きが止まったとき、ガッシュの左肩口から、ジャヴェリンは腹から血が噴き出し、アルミナは目を背きたい欲求を抑え込み、ジッと戦いを見据えた。
あのふたりが戦っているのは自分のせいなのだ。視線を切るわけにはいかない。
「やるようになったな。あの坊主がここまでやるとはな。儂も嬉しいぞ」
「……悪いんですが、時間稼ぎには付き合いませんよ。行きます」
人間同士の殺し合いなら腹部を貫かれたジャヴェリンの方が圧倒的に不利だが、ふたりとも人間ではない。
消化器系しかない腹部は貫かれても運動機能には直結しにくく、痛みに耐える訓練を積んだジャヴェリンからすれば戦闘には支障がない。
対してガッシュが抉るように槍で貫かれた左肩という部位は云うまでもなくサーベルを振るう部位。
自己再生の時間をジャヴェリンが与えるわけはない、そのはずだった。
「……アルミナ! 作戦はサルトビのときと変わりません! 逃げて助けを呼んでください! ここは止めます!」
「……え……うん?」
アルミナは獣人同士の戦術などはわからないが、ジャヴェリンの焦りを察したが、走る以外に選択肢はない。
本来ならばジャヴェリンは会話などせず、一気にガッシュを叩き潰す必要があるにも関わらず、アルミナに話しかけている。
「まあ、お互いに再生できるからな。時間稼ぎはできるだろうが、ガルシアのように胴体を両断できるパワーが有れば別だが」
ジャヴェリンはガルシアが倒された情景を見ていないが、状況からしてガルシアが倒されたことは間違いないと思っていた。
しかしながら、ここで疑問が発生していた。
――ガルシアさんが裏切り者というのは有り得ない。サルトビに襲われたときに僕たちを助けた状況が不自然だ。
――そしてガルシアさんがこれだけ戦っていて、気付いて来ないのはありえない。倒されたんだ。
――だが、パワーと再生力で勝るガルシアさんを倒したにしては、ガッシュ隊長は衣服の汚れもなく、体力も有るように見える。
――いくら獣人でもダメージを再生したなら体力は大幅に消耗する。つまりガッシュ隊長はガルシアさんを一方的に倒したことになる、すなわち。
「……毒、ですか、なるほど」
「警戒はしていたようだが、儂の肩を斬れると判断して踏み込んだのが失敗だったな」
ガッシュの言葉に続き、カサカサと落ち葉が舞うような音がし、ジャヴェリンの足元に見たこともない……いや、見覚えしかない塊があった。ジャヴェリンの鱗だった。
「ジャヴェリン、なの……?」
「は、走って! アルミナ! 早く!」
事態のせいで足より前にアルミナの頭が止まっている。その段階でジャヴェリンは自身の肉体の変化に気付いた。
槍の重さを感じる。筋力が落ちている。毒の作用だと思っていた効果に気が付いた。
視野が狭まる。匂いが弱くなる。耳が遠くなる。獣人としての能力が減退していく。そして手の甲は緑色から肌色に変わっている。
「……人間に、なっている!?」
爽やかで澄んだ声だった。その声の似合う端正な顔立ちの美青年がカメレオンの獣人の代わりに出現していた。
「……儂は“これ”のために国を捨てたが、キサマはどうだ?」
「があああっっ!」
忌み嫌っていた獣人の体だが、ジャヴェリンは焦っていた。人間の体では到底勝ち目がない。
時間を稼ぐべく突撃を掛けるジャヴェリンに、ガッシュは傷付いた左腕は使わず、右腕だけで受け止めるが一合ずつ体勢がズレていき、弾き飛ばされた。
「アルミナ! そこで止まれ! 逃げるならジャヴェリンを殺す!」
ジャヴェリンが逃げるように促すが、そんな言葉を聞くアルミナではない。根が張ったようにもう動かない。
「隊長……いや、ガッシュ! 提案があります!」
「時間稼ぎか?」
「……毒が回っている僕が? この毒は時間を稼ぐだけで消えるものなんですか?」
「お前の体内に入った量だと二時間は消えないな」
「……やはり永続しないわけですか?」
「この薬だけではな……それはアルミナを殺してから、という取引だ」
ジャヴェリンやアルミナは気付きようがないが、ナカガキ=サルトビが人間化を成し遂げた姿であった。
ガッシュとしては絵に描いた餅ではない、獣人として生まれて諦めていた全てを取り戻すために戦っていた。
「意外ですね、隊長は獣人としての生活に誇りを持っている人だと思ってましたが……」
「人間として当たり前の生活を欲しては悪いか? こんな戦いしかできないような身体じゃなく、人を愛して愛される身体だ。寿命も取り戻せる。人間並みに生きられる! そんな肉体だ!」
「!? ちょっと、それ、どういう意味!?」
「……アルミナ! 聞かなくて良いです! 逃げて!」
「ナカガキ神官長から聞いて居ないか? 我々獣人は寿命が短い。長くてもせいぜい四〇歳までしか生きられん。儂もあと一〇年程度だな」
「……じゃあ、ジャヴェリンも!? ジャヴェリンもあと二〇年くらいなの!?」
「長くて、だ。短い奴はもっと短い。だからその前に血だけは残すためにこの国には子供を作るように強制される……好きでもない人間と交わりをな。向こうも罪人だったりするから笑えるな。我々との……交尾は罰そのものだそうだからな」
愕然とした。
知らなかった自分に、そして傷付かないようにと獣人の資料を読ませなかったナカガキ神官長の配慮に。
この国はそうまでして獣人傭兵部隊を維持しているというのか。
民として扱いすらせず、ただ戦力としてだけのために彼らを縛る。そうやって大国としての威容を保つ。
涙が出た。そのことを知らず、ただただジャヴェリンを愛していると騒ぎ立てていた自分自身の愚かさと滑稽さと、申し訳なさに。
だが、人間化して表情がわかるようになったジャヴェリンの目には非難の色はない。大丈夫だと。気高くいろと。自分が何とかすると云っているようだった。
「お話はわかりました。隊長。それでは僕もそちらに加えて頂けませんか? 僕も人間に……この姿のままで居たい、生きたい」
「その言い訳は作戦ミスだな。それはアルミナを殺すということだぞ? それはあまりにも現実感がない」
「いいえ、サルトビが話していたことが事実なら、あなた方の暗殺対象はアルミナで無くフォイル殿下でも構わないはずだ。国同士の連携と分かつだけならば。これから僕がフォイル殿下の命を奪います」
女の勧という現象は実在する。緊急的状況の中、アルミナは何かを察知した。
それはジャヴェリンの予想外の言葉に対してではない、その言葉を聞いたガッシュの複雑な機微に対してだった。
「……できるわけがない、キサマのような甘い奴がフォイルを殺すなど」
「作戦はあります。この場にアルミナが居る以上、フォイル殿下は必ず……」
「もしかして、好きなの?」
鬼気迫るガッシュとジャヴェリンの舌戦をすり抜けるように、なぜこの場で女の勘を口にしたのか、アルミナ自身にも分からなかった。
「ガッシュ、兄ちゃんのこと、好きなの? だからなの? だから人間に……なりたいの?」
「何を云っている!?」
「兄ちゃんはバカだから人間とか獣人に拘ったりできないんだよ! 好きって伝えに行こうよ!」
「黙れ! フォイルに……あの男に、妹だというだけで愛される小娘が! あいつは常にキサマのことしか考えていない! キサマさえ居なければ……フォイルはもっと自由になれるのに!」
お互いに何を云っているのか分かっていない女同士の会話だが、それは獣人部隊やアルミナの中でも周知の事実だった。
フォイルがこの国を守っているのは生国だからではなく、アルミナが居るから。
他の肉親を守れる人々は多いが、そんな中、ただひとり、他の誰でもなくフォイルが守らなければならないのがアルミナ。兄は妹を守るもの。それは少なくともフォイルの中では不動。
フォイルが活躍するからこそ、アルミナの王宮内での地位は担保され、王宮内でのパワーバランスとは関係ない立ち位置を保てる。そのことはアルミナ自身がよくわかっていた。
誰もが不自由だった。
フォイルは王子としての立場に、ガッシュは獣人という生まれに、ジャヴェリンは自分の心に、縛られながら生きている。それを知りながらアルミナは叫ぶ。
「それでも、私はガッシュと戦いたくなんてないっ! 誰にも死んでほしくないっ!」
ジャヴェリンと歩みたいから。フォイルと分け合った血が体の中で脈打つから。ガッシュを救いたいから。アルミナはそういう娘だった。
「寝言を……云うな! 世界はキサマのように優しくはない! だから、キサマを殺すしかないだろう!」
「違う! ガッシュだって優しいんだよ!? だから……!」
「……もう、結構」
女二人の会話を遮ってジャヴェリンが槍を振るう。その姿はいつの間にかカメレオンに戻っていた。
「……ありえない……まだ効果が残っているはずだ。そんなに早く人間に戻るなんて……!」
疑問に答えるようにジャヴェリンは上着を脱いで捨てた。
すると、先ほどガッシュがサーベルで腹部を刺し貫いた傷が荒々しく広がっていた。
会話中、ジャヴェリンは自ら傷口を広げて、血と一緒に毒を押し出していた。元から刃から体内に入る毒は少量、それを大量の出血で洗い流せば効果時間は激減させられる、そう判断しての行動だった。
「……儂としたことが……そんな手が……」
「やめてジャヴェリン! ガッシュと戦わないで!」
体面もなく、その言葉の意味するところを追求せず、ただ思いのままアルミナが叫ぶ。
しかし、ジャヴェリンは止まらない。獣人に戻ったことで体感する槍の重さを確かめるように両手で回しながら操る。
既に肩の傷は癒えているガッシュも負けずとサーベルを振るう。切っ先に残る血を振り払って少しでも軽くするように。
『参る!』
突撃するふたりの獣人だが、愛から迷い続けるサーベルと、迷いなく愛する者のために振るわれる槍。決着は必然だった。
何条もの光が走った。ジャヴェリンの槍が何度も叩き込まれ、ガッシュの肉体をいくつもの肉片に分断した。
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