弐
桧の香りにはリラックス効果があるというが、獣人たちの木組みの宿舎は桧の匂いに獣臭が合わさっている。
酒を片手にスクワットをするガルシアは汗とアルコール臭をばらまき、そろばんを弾くガッシュは気にも留めずに書き物を続け、ジャヴェリンは予備のマスクも付けずに天井を見つめている。
緊張していないのは確かだが、穏やかでもない空気が満ちていた。
「いやあ、ジャヴのお陰で良い休暇になっちまいましたねぇ、隊長」
「……そうだな」
「すみませんでした」
「気にするなよ、ジャヴ。気にしてないんだろうけどな」
カメレオンは周囲にあわせて色を変えるといわれるが、それ以上に精神状態を反映して変わる。
今は平常色の緑、先ほどアルミナに見るなと云われたときはそのショックだけで白くなっていたが、今は少なくともそれよりもストレスを感じていなかった。
「今回の件は別にして、やはり覆面は必要なのではないか? ジャヴェリンは感情が表に出る。戦闘では不利じゃと儂は思う」
「すみませんでした」
「責めているんじゃない、キサマに落ち度はない」
「すみませんでした」
「……なんで謝ってるんじゃ?」
「すみませんでした」
そこで初めてガッシュは気付いた。カメレオンだから表情が全く読めないが、これは上の空という状態だと。
表情でコミュニケーションが取れないからカメレオンは体色で感情表現するのだと感覚的にガッシュは理解した。
「俺ラリアット!」
背後から吹っ飛ばすようにガルシアの豪腕がジャヴェリンの側頭部を捉えた。
「お前な! 無口なところ、親父さんに似てきたな! はい! すみません禁止! 先輩と会話しろ! 構え! この構ってチャンの先輩を構え!」
「……はい、親父は亀の獣人でしたから、僕より表情有ったでしょ?」
「俺の親父はラクダだったしな、お袋は唾液まみれになりながら子作りしたって云ってたなっ!」
「あー……そうなんスか……」
彼らはリザードマンやミノタウルスという種族ではない。彼らの種族は“獣人”なのだ。
血縁でありながら全く異なる獣人となり、それぞれが人間と結ばれて全く異なる獣人を生むというシステムの生き物だ。
「俺は顔がこうなる前から女なんて出来たことねえけど、俺たちは子供を作らないなんてのは“許されない”から、ほら、気にするな」
彼ら獣人傭兵部隊はこのゼラーズ国の主戦力であり、子供を作らなければならないから、とにかく女房はできるぞと話すが、もちろん励ましにはなるわけもない。
――ヤだぁッ! こっち見ないで!――
不意にあの瞬間を思い出す。ジャヴェリンにとって最高の女性であったアルミナに拒絶され、関係なく落ち込んでいた。
胸の中が捻られるような感触、心が重いようで獣人舎の中でまたジャヴェリンの皮膚が白みが強くなった。先ほどから何度も繰り返していることだった。
「……僕たち、なんなんでしょう」
「“人間”じゃない。ただそれじゃよ。それで人間たちのために戦い、そして人間のために子供を作ってまた戦わせる、な」
ほとんどの獣人たちがもっと早くにぶつかる現実に、ジャヴェリンは遅蒔きながらぶつかっていた。
自分がどれだけ怪物になろうとも、愛してくれる女性が居ると思ったから。覆面の中身は見せなかったが、心の中ではアルミナは素顔を見せても受けれてくれると信じていたから。
ギョロギョロとした眼球、体毛もない表皮、牛や獅子以上に人間とは程遠い容姿に、再び言葉がリフレインし、嗚咽するようにもんどり打ち、締め付けられたように胸の奥から言葉を捻り出す。
「こっち、見ないで……か……まあ、そうですよね」
「……? ジャヴ、そう云われたのか? 戦闘中に?」
「……はい、何せ、目玉、これですからね。見るだけで怖いでしょ、この顔」
少し考えるようにしてガルシアは首を傾げた。
「それ、“キモいからこっち見るな”って意味じゃなくて、“自分は良いから敵を見ろ”って意味じゃないか?」
「……え?」
「儂もそう思う。戦闘中だったんじゃろ? いつ云われたんじゃ?」
「暗殺者に呪文を浴びせられて覆面が取れたとき、ですけど」
「じゃあ、口調が尖るだろ。自分のせいでイトシのカレシサマが呪文受ければテンパるだろ」
ジャヴェリンの緑の皮膚が赤っぽくなったあと、白くなってきた。
そうとは知らず、アルミナに対して一方的に冷たい態度を取った。しかも“アルミナさま”などと粋がった云い方までしていたことを思い出していた。
「あぁああああっ! あああああっっ! すみません! すみません! すみません!」
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ、ばっちんばっちんばっちん。
トラウマを少しでも削ろうとしているかのように床の上を転げ周って、感情が暴走しすぎていてジャヴェリンの顔面と手が虹色になっていたりして、ガッシュは呆れたように見守っていた。
「……誰に謝ってるんだ?」
「分かる。分かるぞジャヴ。若い内は有るんだよなぁ。そういうの」
「謝らなければ! アルミナに! 彼女を傷付けた!」
云ってから勢いに任せてドアに手を掛けたが、そこでジャヴェリンは固まった。
今、自分たちは謹慎中の指令をフォイルから受けている。どこかで冷静な部分が残るジャヴェリンらしいとガルシアは判断し、ガッシュと視線を合わせた。
「謹慎中だから酒呑みたいですね! 隊長!」
「そうだな」
「でもここには酒は足りませんねっ!」
「そうだなっ」
「誰かが持ってきてくれないといけませんねっ!」
「そうだなぁっ」
「持ってくるのは下っ端の仕事ですねぇっ!」
「そうだなぁっっ!」
「はい! というわけで!」
『行って来い! ジャヴェリン!』
「分かりました! 不肖ジャヴェリン! 酒を取って来ます! 量が多いので時間が掛かりますが構いませんか!」
「よし! 行って来い!」
寸劇交じりの会話後、ジャヴェリンは走って出て行った。
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