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ブルーカイトは空気が読めない  作者: 半熟ベーコンエッグ
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【四】

【四】


 国立桜花女子高等学校には、女子専用の授業というものがある。それは華道や茶道に始まる個人の品位向上に通ずる内容だ。そして、女子生徒がそういう授業をしている間は、もちろん男子も男子専用の授業を受ける事になる。

 アリーシアが茶道に四苦八苦している間、海斗は武道場で護身術の手ほどきを受けていた。

 最近では護身術を学ぶ女性も増えているが、女性を守るのは男性の役目、それから男性は強くなくてはいけないという考えから、男子には護身術の授業が割り当てられている。指導するのはもちろん護身術を身に付けたインストラクターであるが、大半の生徒達の動きは取っ組み合いの喧嘩でしかない。

 海斗は武道場の端に座り、男子達の打撃を当てない取っ組み合いの喧嘩を眺める。

 TKTでは、世界で幅広く扱われているクラヴ・マガというイスラエルで考案された近接格闘術を導入している。そして、今生徒達に教えられている護身術もそのクラヴ・マガである。しかし、実戦を想定した相手の命を奪う殺人術は除外されているので、やり過ぎたとしても人の命を奪うことは出来ない。ただ、酷ければ大けがをしてしまうのは間違いない。

「青野、真面目に授業を受けろ!」

「すみません」

 護身術の授業顧問として付いていた体育教師に怒鳴られて海斗は立ち上がる。

 海斗はTKTで既に殺人術を含めたクラヴ・マガの手ほどきを受けている。段位は取得していないものの、海斗に指導をしたインストラクターからは「ブラックベルト五段の実力は確実にある」というお墨付きも得ている。ちなみにブラックベルト五段はクラヴ・マガに存在する段位の最上位であり、柔道で言うところの赤帯十段に相当する。

 そんな海斗には改めて指導を受ける必要がない。そういう考えで授業に積極的でなかったわけではなく、手慣れている自分が出て行っては目立つ。その一つだけが理由だった。

「じゃあ、鈴木くん、彼と手合わせしてみようか」

「む、無理です! 青野くんと一緒に組むなんて!」

 インストラクターに指名された鈴木は露骨に取り乱す。しかし、鈴木の反応も無理はない。鈴木は怖くて意見できなかった結莉亞の付き人二人を二回も撃退するのを目撃し、昼食の時には結莉亞の雇ったプロの護衛も制圧したという噂も耳にしている。そんな状況で、本当の意味で普通の高校生であって、少し臆病な鈴木には海斗と手合わせする勇気など出るはずもない。

「そうか。じゃあ、私とやってみようか? 護身術に限らず武道の経験は?」

「たしなむ程度に」

 職業柄必要なので殺人術まで取得済みです。とは言えるわけもなく、海斗は無難な言葉を返す。しかし、向かい合って互いに構えた時点で、インストラクターにはたしなむ程度という言葉はすぐに捨てられた。

「クラヴ・マガの経験があるんだね」

「まあ」

「そうか、遠慮なく掛かってきてくれ」

 クラヴ・マガは一般市民にも浸透している護身術。女性が身に付ける護身術としても認知度が高く、高校生がクラヴ・マガの心得があったとしてもなんら不思議ではない。それに、高校生が非公認だとしてもブラックベルト五段相当の実力があるなど、夢にも思える話ではない。だから、インストラクターは気楽な面持ちで海斗に声を掛けた。

 対する海斗は、遠慮なく掛かってきてほしいと言われた事もあり、本当に遠慮をせずに攻撃を仕掛けた。もちろん、殺人術に相当する行為をしないという意味での遠慮はあったが。

「ぬっ!?」

 攻撃を仕掛けてきた海斗を、流れるように拘束して制圧するはずだった。しかし、海斗は掴まれると察した時点で腕を引っ込めて仕切り直す。その動きを見て、インストラクターは警戒心を強めた。

「甘い――なっ!?」

 再び攻撃を仕掛けた海斗の腕を掴み拘束出来たと思った瞬間、異常に強い力で返され、インストラクターが我に返った頃には、海斗によって床に押さえ付けられていた。周囲から息を呑む音が聞こえ、顧問の体育教師も目を丸くして海斗を見る。

 普通の高校ではこのような授業はないが、国立桜花女子高等学校は国立であるため、基本は国の資金が投じられて運営されている。しかし、元々名門の女子校であった事もあり、寄付という形で運営資金が増えることもある。そうした余剰資金の使用目的で設けられている男子専用授業。その授業に当てられる額も相当なもので、その相当な予算を余すことなく使って採用された国内でもトップレベルの護身術のインストラクターが、今目の前でただの高校生に組み伏せられている。それを目撃した生徒と教師は、ただ突っ立って眺めることしか出来なかった。


 余剰資金で作られた、綺麗なシャワー設備の整った更衣室から出て、海斗は制服に身を包んで自分の教室まで戻る。

 本日の授業は全て終了し、後は帰りのホームルームを受けて帰るのみとなる。海斗がアリーシアを警護するのは学校内のみで、校外での護衛は他の警察官が就いている。その警察官は、海斗が適任だと思っていたSPで、もちろん海斗と同様にアリカロ王国へ護衛が付いていることは知られないように護衛している。しかし、昼食時の一件で、完全に海斗はアリカロ王国の護衛に怪しまれた。護衛任務に慣れていないせいか、目線を護衛に合わせてしまったのだ。

「おい、なんか……あそこ煙が出てないか?」

 前を歩いていた男子生徒が、武道場から離れた場所にある校舎を指差す。その校舎の三階の窓からは、黒々とした煙がもうもうと立ち昇っている。それを見て、海斗は駆け出した。

 走る最中、近くにあった非常ベルがけたたましく音を上げる。その原因は、校舎三階にある調理室で発生した火災だった。

 調理室では一年の女子生徒が調理の授業を行っていて、その授業中に発生した。

 海斗は走りながらイヤホンを耳につけてマイクに話し掛ける。

「隊長、火事が発生しました。すぐ消防に――」

『消防車が今そっちに向かってる。だが、時間が掛かりそうだな』

「消防の平均現場到着時間は六分から七分程度ですが……」

『いや、十分掛かるらしい』

「隊長」

『おう、行け行け。責任だけは俺が取ってやる』

「了解」

 海斗が隊長とのやり取りを終えた時、走っていた海斗は火災の発生した校舎の真下に辿り着いていた。

 校舎の出入り口からは、口をハンカチで覆った女子生徒や教師が走り出てきて座り込んで居る。教師がすぐに立ち上がり避難してきた生徒達の人数確認を始める。

 海斗はそれを横目で見ながら、煙が上がり続ける調理室の窓を睨み付ける。その窓のサッシに白く細い女性の手が掛けられるの見て、海斗は走り出した。

「ひ、一人足りない!」

「先生! 宮下みやしたさんが居ません!」

 人数確認を行っていた教師が慌てた様子で声を上げ、女子生徒からその場に居ない女子生徒の名前が挙げる。

「あいつ、何してるんだ!?」

 女子生徒達の動揺をよそに、今度は男子生徒が校舎を指差して叫ぶ。

 校舎の外壁を手早く登る海斗は、後ろから指を指されて叫ばれているのを聞きながら、煙の上がる教室の窓に手を掛ける。そして、反動を付けて飛び上がり、調理室内へ突入した。

「大丈夫か?」

「あ、あなたは……」

「一年の青野だ。すぐにここから脱出しよう」

 火災の原因は調理台に備え付けられたコンロで、調理用の油が燃え上がり周囲にあったものに引火して火が大きくなった。

 海斗はすぐに女子生徒の肩を抱いて調理室の出入り口まで誘導する。海斗は途中で蛇口を捻ってハンカチを水で濡らし廊下に出る。海斗は廊下に出ると置かれた消火器を手に取って、女子生徒に顔を向ける。女子生徒は目を瞑って苦しそうに咳き込んでいた。

「煙を吸わないようにこれを口に当てて姿勢を低くして行け」

「あなたも」

「煙は多いが火元は小さい。消防が来る前にこれで消せる」

 そう言いきった海斗は、消化器を持ったまま再び調理室内に入る。赤く燃え上がるコンロの上を見て、安全ピンを引き抜き素早くホースを構える。そして、レバーを思い切り握り締める。

 海斗がレバーを握った瞬間、勢いよく白い粉末がホースの先から噴射される。火元に向かってしっかり固定されたホースから吐き出される粉末が、火元を覆うように白く染めていく。三〇秒ほどで粉末を噴射し尽くした消化器を床に転がし、海斗はマイクに向かって話し掛けた。

「消化完了」

『ご苦労さん。消防には話を通しておいた。すぐに現場から離脱して任務に戻れ』

「了解」

 海斗は調理室から出て廊下を走る。そして、階段まで差し掛かったとき、踊り場で座り込む女子生徒の姿を見付けた。彼女は先ほど海斗が避難させた女子で、煙の届かなくなった階段の踊り場で安心してしまい、そこで腰を抜かして動けなくなってしまった。

「立てるか?」

「は、はい」

 腰を抜かした女子生徒を背中に背負い階段を下りていく。途中、駆けつけた消防隊員とすれ違うが、消防隊員は海斗に目もくれずに階段を駆け上がっていった。

 女子生徒を背負った海斗が出入り口から出ると、女子生徒はすぐに救急隊員に連れて行かれ、海斗は別の隊員に引っ張られて救急車まで運ばれる。

「俺は大丈夫です」

「それを判断するのは君じゃない」

 有無を言わさず怒った口調で返され、仕方なく海斗は隊員に連れられるまま校舎から離れて救急車まで歩いて行く。

 民間人が火災現場に入っていくという行為は、二次被害を生む大変危険な行為だ。それを行った海斗に対して怒るのは当然のことである。海斗は一般市民とは言えないが、救急隊員は海斗が警察訓練生でブルーカイトであるなんて知るわけもない。

「海斗!」

「アリーシア? 何故泣いてる――」

「苦い液体飲まされる授業がやっと終わって出てきたら火事になってて、そしたら海斗が校舎の壁を登って煙が出てる教室に入って行くのが見えて……なんであんな危ない事したのよ! 死んじゃったらどうするつもりよッ! こらっ! 止めるなッ」

「なんで俺がアリーシアに怒られなきゃいけないんだ。それに、何故自分が殴られるのを止めたのも怒られる。それに、そもそも何を泣いているんだ」

 捲し立てるように海斗を怒鳴り付けたアリーシアは、涙を流しながら海斗に平手打ちを繰り出した。しかし、難なく海斗に受け止められ、その平手打ちを受け止めた海斗はアリーシアに疑問を返す。

 海斗は警察関係者として人命救助を最優先として行動した。海斗にとってはその行為を褒められるという事はもちろんあり得ない事だが、怒られるという行為もあり得ない事だ。なんせ、義務を果たしたことで怒られるのである。そんな理不尽な事はない。だが、救急隊員と同じくアリーシアも海斗の正体を知らないのだから、アリーシアには闇雲に火災現場へ飛び込んだ馬鹿にしか映っていない。

「ほんと……窓に飛び込む海斗が見えて、私……海斗が死んじゃうかと思った」

「いや、あのくらいでは――」

「海斗はちょっと強いけど普通の人間なんだから!」

「心配かけて済まなかった。だが、何故泣いているんだ」

「友達が死にかけたんだから当たり前じゃない!」

「いや、友達になってほしいと言われた覚えは――」

「ああもうっ! 友達になってよ! これでいいでしょ!」

 怒りながら泣いて、泣き顔のまま顔を真っ赤にするアリーシア。アリーシア自身も、何故こんな状況で海斗に友達になってほしいと頼んでいるのか分からない。だが、目の前に居る人物が堅物で無茶苦茶な人間である事は分かっていた。

 海斗は海斗で、秘密裏に行動するはずなのに、アリーシアと必要以上に関わってしまった上に友達にまでなってほしいと頼まれている状況である。これ以上困惑する状況はない。しかし、もう関わらないという事は不可能である。それに、逆に考えれば友達だから一緒に行動しているという状況は、警護のし易さという観点から見れば好意的な状況だ。

「分かった」

「ありがと、もう無茶な事はしないでよ?」

「分かった」

 結局、海斗はこの状況をポジティブに捉える事にして、自分の様子を見る救急隊員に顔を向ける。しかし、海斗はさりげなく視線は校舎の陰に向ける。海斗を遠巻きに監視する人物。その人物の視線に、海斗は違和感を覚えた。


 次の日の昼食の時間、海斗は黙々と昼食を取っていた。そして、その海斗を挟んで、口論が繰り広げられている。

「昨日海斗に言われたばかりでしょ! 近付くなって!」

「あら? あなたのその耳は飾りだったのかしら? 彼は私に気が合わないと言ったのよ? 初対面ですぐに気が合う人間なんて居ないわ。だから、私という人間を分かってもらうには交流は必要だと思わないかしら?」

「どこからどう見ても金持ちを鼻に掛けた嫌な女じゃない!」

「あら? お金を持っていない庶民が何を言っているのかしら?」

「なにを~! 世の中お金じゃないわ!」

 いくら結莉亞が世界進出をしている大企業の娘と言ってもと言っても、総資産はアリカロ王国の国王が所持している資産に遠く及ばない。だが、アリーシアも身分を隠して普通の留学生として来ている都合上、そして彼女自身の性格としてもアリカロ王国の名を使って反論は出来ない。

「世の中お金に決まっているじゃない。他に何があるというの?」

「愛があるわ!」

 目を細めて結莉亞は微笑む、しかし、誰が見てもアリーシアを小馬鹿にして嘲笑っているように見える笑みだった。その笑みを返されたアリーシアは顔を真っ赤にして立ち上がる。その拍子で海斗のトレイが揺れ、今まさに海斗が箸で持ち上げようとした里芋がコロリと箸から逃げていく。

「馬鹿にしたわね!」

「まさか、あなたは世の中は愛を中心に動いていると思っているのかしら?」

「そうよ! ただ男女の愛だけじゃなくて家族愛や友愛も人が生きるためには必要不可欠よ」

「あなたの頭の中は年中ファンタジーのようね。残念だけど世の中お金よ。お金さえあればなんだって買えるわ。もちろん愛もね」

「なによ、海斗に小切手突き返されたくせに!」

「そう、だから私は彼に興味が出たの。なかなか手に入らないものって欲しくならない?」

「海斗はお金持ちを鼻に掛けたあなたのおもちゃじゃないのよ! 失礼ね!」

 今度はアリーシアがテーブルの上に両手を突いて、身を乗り出し結莉亞を睨み付ける。そして、そのせいでテーブルが揺れて海斗の手がコップにぶつかる。冷茶の注がれたコップはひっくり返り、幸か不幸か白飯のつがれた茶碗に向かって冷茶をぶちまける。海斗はほかほかの白飯から冷やし茶漬け、いや冷やされてしまった茶漬けに変わった自分の茶碗を持ち上げて見詰める。

 アリーシアはそんな様子に気付くこともなく結莉亞をまだ睨み付け、対する結莉亞は余裕の表情を浮かべる。

「あらあら、そんな貧相な容姿で愛を語るとは、恥ずかしくないのかしら?」

「な、なにを!」

 アリーシアは決して貧相ではない。平均的な日本人女性と比べれば身長は高いしスレンダーである。それに胸の膨らみも十分女性らしさを感じられる。だが、対峙する結莉亞は日本人らしく小柄な体型だが、胸は体とのバランスを崩さない程度に豊満である。胸のボリュームだけで言えば、結莉亞に軍配が上がる。ただし、顔立ちは美人に可愛らしさが混じったアリーシアと、幼さに小悪魔さが見え隠れする結莉亞は、それぞれ美人と美少女と称される容姿をしている。こちらは甲乙付けがたい。しかし、自身に対して強い自信を持っている結莉亞からすれば、自分以外の女性は皆、貧相に見えるのだ。

「あ、あの、すみません。ここ、いいですか?」

 仕方なく、冷茶に浸された白飯を口にしていた海斗に、正面から声が掛かる。海斗はその声の主を見て、彼女が昨日調理室から自分が救出した女子生徒だと分かった。

「ああ、問題ない。それより、君の体調は問題ないか?」

「は、はい! おかげさまで怪我もなくて! 昨日は本当にありがとうございました!」

「いや、俺は礼を言われる事はしていない。あれは当然の事だ」

 警察として人命救助は当然の責務である。それが言えないこともあって、海斗は多少言葉を濁した。その海斗を見て、女子生徒はポウッと顔を赤く染めて海斗を見詰める。

「あ! あの、これ、昨日のハンカチです! ありがとうございました」

「わざわざありがとう」

 綺麗にアイロンがけされたハンカチを受け取り、海斗はポケットに仕舞う。女子生徒は海斗の正面に腰掛け、探るように視線だけを海斗に向ける。

「わ、私、宮下梨沙みやしたりさって言います」

「俺は青野海斗だ」

「は、はい! 私達隣のクラスなんです! 青野くんの名前を友達に尋ねたら、隣のクラスについ最近転入して来た人だって聞いて」

「ああ、隣のクラスだと顔を合わせる機会があるかもしれない。今後ともよろしく頼む」

 冷たい白飯から温かい味噌汁に移り、海斗は味噌汁を啜る。そんな海斗を見詰め、またポウッと顔を赤く染めた梨沙は、ポケットからスマートフォンを取り出して躊躇いがちに口を開く。

「あ、あの、連絡先を教えてもらえませんか?」

「なにっ!?」「何ですって?」

 海斗を挟んで言い争っていたアリーシアと結莉亞が、同時に梨沙へ視線を向ける。そんな二人に挟まれた海斗は、ポケットからスマートフォンを取り出す。

「ああ、構わない。俺が送ればいいのか?」

「ちょっと! なんで教えるのよ!」

 アリーシアに待ったを掛けられ、海斗は顔をアリーシアに向けて答える。

「聞かれたからだが?」

「友達の私だってまだ海斗の連絡先、教えてもらってないのに!」

「聞かれてないからな」

「じゃあ、今すぐ教えてよ!」

「分かった。だが、先に宮下からだ。その後に教える」

 ポケットから自分のスマートフォンを取り出すアリーシアにそう言って、海斗は梨沙と連絡先を交換する。交換を終えた梨沙は嬉しそうに微笑み「ありがとうございます」と海斗に言った。

 梨沙と交換を終えた海斗のスマートフォンを横から引ったくり、アリーシアは手早く自分と海斗の連絡先を交換する。

「ありがとう、海斗」

「ああ」

 海斗は女性の気持ちが分からないという意味に限っては、朴念仁ではある。しかし朴念仁だからといって女性に全く興味関心がないという訳でもない。かえって、女性と関わる事が少ない分免疫は少ない。だから、何の裏もない純粋な二人の微笑みには、どうしょうも無い居心地の悪さを感じていた。

「私にも教えて下さるかしら?」

「ああ、分かった」

「ちょっと待ちなさいよ!」

 梨沙やアリーシアと同じように尋ねた結莉亞に、二人の時と同じように承諾する海斗。その海斗の腕を掴んでアリーシアはまた待ったを掛けた。

「なんで教えるのよ!?」

「聞かれたからだが?」

「聞かれたからって、この女、海斗を危ない目に遭わせた上にお金で海斗を買おうとしたのよ!」

「連絡先の交換は名刺交換のようなものだろう。交換したからといって連絡を取る事が義務化されているわけじゃない。連絡先の交換には特別な意味でもあるのか?」

「そ、それは……」

 アリーシアは顔を真っ赤にして押し黙り、海斗の真向かいに座る梨沙も俯く。ここで連絡先の交換に特別な意味があると答えれば、アリーシアと海斗の交換にも特別な意味があったと言うのと同じ事だからだ。

「ありがとう。早速メールを送らせてもらったわ」

 海斗と交換した結莉亞がニッコリ笑ってスマートフォンを握っている。それを見た海斗は、手早くスマートフォンを操作してメールを確認する。画面には『どんな女性が好みかしら?』と書かれている。

 海斗はポケットにスマートフォンを仕舞い、残った昼食を食べ始めた。そんな素っ気ない態度の海斗に頬を膨らませた結莉亞が詰め寄った。

「何故無視するのかしら?」

「さっきも言ったが、連絡先を交換したからといって連絡を取り合う義務はない」

「素っ気ないわ。でも、それもあなたの魅力かもしれないわ」

 ウットリと見詰める結莉亞から視線を外した海斗は、昼食を食べ終えて席を立つ。

「あっ! また! 待ってよ!」

 また置いていかれるアリーシアは、また急いで昼食を食べ始めた。

 食器を片付け終えて食堂から出てしばらく歩くと、海斗に向かって視線を向ける黒いスーツを着た男性二人が居た。二人は日本人ではなく、スーツの上からでも筋肉質である事が見て取れる。彼らはアリーシアに付いている護衛であり、以前校門で待機しているのを海斗が盗み見た時に居た人物だ。スーツの下には大口径のハンドガンが忍ばせてある。

 海斗は一度息を吐いてから、彼らが待つ校舎の陰に向かって歩いて行く。ゆっくり歩きながら、さりげなくマイクに向かって話し掛ける。

「向こうからの要望です。無視すると不自然ですので、やむなく接触します」

 それだけ告げて、海斗は男達の居る校舎の陰に辿り着いた。しかし、男達の視線は海斗の背後に向いている。

「海斗、ちょっと待っ――」

 後ろから海斗を追い掛けてきたアリーシアは、正面で海斗と向かい合う二人を見て表情を険しくする。そして、彼らが深々とアリーシアに頭を下げるのを無視し、海斗の手首を掴んで通り過ぎる。しかし、海斗はすぐにアリーシアの手を振り解き、腕で右側から迫る衝撃から体を庇った。

「海斗!」

 海斗の体が宙を舞い、校舎の壁に激突して硬いアスファルトの上に落ちる。海斗は屈強な男の蹴りを受けて吹き飛ばされたのだ。蹴りを受けた海斗は、制服に付いた砂埃を払い落とす。

「だ、大丈夫!?」

「大丈夫だ。危ないから離れ――」

「アリーシア様、その男から離れて下さい。その男は危険です」

 海斗は彼らがアリカロ王国関係者だと分かっていた。その上で、互いの身分を秘密にしているという前提を変えないようにこの場を治める気で居た。だから蹴りの瞬間に威力を消すために飛び上がりつつも大人しく蹴りを受けた。その後は「良く分からないが外国人の怒りを買ってしまったらしい」とでも言ってとぼけるつもりだった。しかし、彼らはその前提を無視した。前提を無視してでも介入する必要があると、それほど海斗が危険な人物であると彼らは判断した。

 二人の男の内、白人の男がアリーシアを海斗から遠ざけ、黒人の男が海斗を見下ろす形で立つ。黒人の男を見上げる海斗は苦笑いを浮かべて口を開いた。

「申し訳ない。日本暮らしで海外の文化には詳しくない。何か気分を害する事をしてしまっただろうか?」

「しらばっくれるな。お前は何者だ」

「何者と言われても、日本人の高校生だが」

 嘘は言っていない。ただ、必要とされていない事を、言う必要のないことを海斗が口にしていないだけだ。だが、そんな屁理屈で彼らが満足するわけがない。

 黒人の男が海斗の腕を掴んで引っ張り上げ、懐の銃を手に取ろうとする。しかし、ホルスターに伸ばした手が空を切り、代わりに左側の脇腹に大口径ハンドガンの銃口が突き付けられる。そのハンドガンを持っているのは、黒人の男が掴みあげた海斗だ。

 海斗はハンドガンを握った手でマガジンリリースボタンを押し、黒人男性の上着のポケットへ外したマガジンを滑り落とす。そして、ハンドガンを一回転させて黒人男性にグリップを向けて差し出した。黒人男性はハンドガンを受け取りホルスターに仕舞う。全てのやりとりは、黒人男性の大きな体を陰にして、アリーシアに見えないように行われた。

「何故!」

 海斗の腕を黒人男性が離すのを見て白人男性が非難するように言う。しかし、立場的には黒人男性の方が上であるため、それ以上の言葉を重ねることは出来なかった。

「行くぞ」

 海斗に背中を向けアリーシアに頭を下げた黒人男性が、白人男性にそう声を掛ける。白人男性は戸惑いながらも、アリーシアに頭を下げ黒人男性の後を追う。

 海斗とアリーシアから離れたのを確認して、白人男性は黒人男性に声を掛けた。

「何故、あの男を見逃したのですか! もしかしたらアリーシア様を狙う他国の――」

「お前も見ただろう。受け止められる、いや回避出来る蹴りを敢えて受けた。それに、腕で内臓をカバーした事に加え、飛び上がってわざと蹴り飛ばされる事で、腕へのダメージを最小限にした。それに、俺から素早く銃を奪い取って……見ろ、俺のポケットにマガジンを落とした」

「そんな! そんな真似が出来る子どもが居るなんて!」

 彼らはアリカロ王国所属のアリーシア付きのボディーガードである。いわば警護のプロだ。もちろん結莉亞が雇った民間警備会社の職員よりもレベルが高い。そんなプロ中のプロが、手加減をされた挙げ句に武器を奪われ、その武器を返された。それは屈辱であると同時に許容出来ない出来事である。しかもそれを十代の少年にやられたと言うのだから、白人男性の驚きは当然のものだった。

 黒人男性はポケットに入ったマガジンをポケットの上から触れ、視線を後方に居る海斗に向けた。

「奴は無言で俺に言ったのさ。“こっちも詮索しないからお前らも余計な詮索はするな”とな」

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