【三】
【三】
薄暗い室内。コンクリート剥き出しで床には砂が溜まり、靴の裏で踏み付けるとジャリジャリっと音がする。海斗は右手に持ったハンドガンのグリップを握り締める。
『海斗、調子はどうだ?』
「まったく、どうして俺がこんな事を……」
『お前も動かない的相手の訓練ばかりじゃつまらないだろ?』
「訓練に娯楽性は必要ありません」
『そう噛み付くな、言葉のあやだ。いつも動かない的相手じゃ実戦経験が積めないだろ?』
「ですが、SIT六人相手とは……」
『なんだ? 怖じ気づいたのか?』
ヘルメットに内蔵された無線から聞こえる隊長の声に、大きくため息を吐いて海斗は応える。
「SITの隊長には本気で来いと言われましたが、手を抜かせてもらいますよ。いつSITに出動要請が掛かるか分からないのに、行動不能には出来ませんし」
海斗はヘルメットに触れてヘルメットに内蔵された集音機能を起動する。ヘルメットに付いた高性能マイクが音を拾い、海斗にその音を聞かせる。音から方向と距離を判断し、SIT隊員達が連携を組んで室内を探索しているのを聞く。
「普通なら、突入時にはスタングレネードを投げ込んで来るだろうな」
屋内に立て籠もる犯人の制圧には、まずスタングレネードと呼ばれる閃光を発する目眩ましを投げ込み犯人を無力化する。そして防弾盾を装備した隊員がまず先に室内に、その隊員の陰に隠れる形で後続の隊員が銃を使用して制圧を行う。それが常套手段だ。しかし、海斗も警察関係者でそういう手段を熟知している。もし海斗がSITの隊長なら、相手に読まれていると分かっている手は使わない。
「足音は、一つ二つ、三つ……数が足りない」
海斗が潜む部屋に繋がる扉の前で足音が止まったのを聞いた瞬間、海斗は横に飛び退く。部屋にあった窓から三人の隊員が突入して来たのだ。
SITは扉側の三人を囮にし、屋上から三人を降下させた。まず一人目が逆さ吊りの状態で、ガラスの付いていない窓の上部分から頭だけを覗かせ、室内の様子を確認する。更に、二人目が窓の下側に移動し、銃を構えて突入の援護に備える。そして、残った三人目が振り子のような動きで流れるように窓から突入する。それと、同時に扉側からも室内へ突入。二方向からの同時奇襲作戦。だが、その作戦は扉側の人数が判明した時点で海斗に読まれた。
海斗は室内に響く銃声を聞きながら横っ飛びして、床に半身を付けて滑るように移動する。その移動の際に、窓側から突入してきた一人に一発、下側で銃を構えていた一人に一発当てる。
「くそ!」
突入してきた隊員は、被弾した右足の太ももを見て悪態をつく。太ももにベッタリとオレンジ色のインクが付着している。ペイント弾が着弾した痕だ。もう一人被弾した隊員は、自分のオレンジに染まった右の二の腕を見て苦笑いを浮かべる。
床を滑って退避しながら、防弾ベストに守られていない右足と右腕へ命中させるのは、いくら選ばれたSIT隊員だとしても簡単に真似出来ない。
海斗は、部屋に作られた扉無しの出入り口から隣の部屋へ退避する。その海斗を追い、扉側から突入してきた三人が陣形を組んで追撃した。
「なっ!?」
盾持ちの隊員が室内に入った瞬間、後ろから驚きの声が上がる。海斗を追って部屋に入った隊員達はその声に振り返り、見えている状況に驚愕した。
「銃を床に置いて両手を挙げろ。仲間の命がどうなってもいいのか」
特に興奮した様子も見せず、窓側から侵入した隊員の一人を後ろから拘束し、至って落ち着いた声で犯人らしい台詞を海斗は口にする。
「どうしてそいつがそっちに」
床に銃を置いたSIT隊員が困惑の表情を浮かべる。しかし、理由は単純だった。
海斗は隣の部屋に退避した直後、窓に向かって飛び出した。そして、建物の外壁に目掛けてワイヤーを射出するワイヤーガンを使ってぶら下がり、窓を使ってSIT隊員達の背後をとった。ただそれだけだった。だが、SIT隊員は海斗がワイヤーガンを持っている事なんて知りもしない。それに、ワイヤー一本で建物外に飛び出す命知らずは海斗くらいのものだ。
『海斗、訓練は終了だ』
「了解」
捕縛していた隊員を解放しハンドガンの安全装置を掛けてホルスターに戻す。そして、海斗は深くため息を吐いた。
学校に続く坂道を上りながら腕時計を見る。昨日はSIT隊員との実戦を想定した訓練をして、大いにSIT隊員に海斗は睨まれた。
海斗はTKTとして活動する時は常にフェイスガード付きのヘルメットを装着している。それは海斗の素性を公にしないためである。海斗がまだ未成年である事もそうだが、将来SAT同様に対テロ機関として運用される事を踏まえた措置である。
そんな、海斗の後ろからソロリソロリと近付く人影があった。その人物は両手を大きく広げ、海斗の両頬に手を伸ばした。
「えっ?」
後ろからの奇襲を随分前から感知していた海斗は、奇襲に対して身をかがめ回避し、奇襲を仕掛けたアリーシアに向き直り、ジッとアリーシアの顔を見る。アリーシアは避けられる事を予測しておらず、前のめりになってその場でたたらを踏む。
「どういうつもりだ」
「ちょ、ちょっといたずらしようかと思って」
「俺が何をした」
「何も、してないけど」
「では何故、俺が背後から不意打ちを受けなければならない」
「だって、友達に朝会ったらちょっかい出すでしょ、普通は!」
真っ赤な顔をして海斗に言うアリーシアを見返し、海斗は一言口にした。
「俺とアリーシアは友人だったのか?」
海斗にとってはふとした疑問だった。しかし、アリーシアは露骨にショックを受けた表情をして、肩を落として海斗の隣を黙って通り過ぎていく。自分から離れて歩いて行くアリーシアを後ろから見ながら、海斗は再び足を踏み出した。
前を歩くアリーシアと一定の距離を保ちながら校門を潜った海斗は、すぐにその場で足を止める。そして、校舎の最上階の窓へ視線を向けた。
校舎の最上階にある窓際で、海斗の方を見下ろす人影が三人、海斗の目に映った。昨日、食堂の二階で揉めた二人の男子生徒と、その二人を従えていた金江結莉亞だ。
「あの人、こっちを見ていますね。それに警戒しているようです」
「結莉亞様、たまたまでしょう。ここからあそこまではかなり距離があります」
「そうです。少しはやるようですが、所詮ただの高校生ですから」
結莉亞を中心に海斗を見ながら話す三人。しかし、海斗は結莉亞の予想通り三人の視線を感じて三人の方を見上げた。それに、海斗は警察訓練生であるから、彼らの口にした意味での、ただの高校生ではない。どちらかといえば、ただの高校生であるのは彼らの方だ。
「私は金江重化学工業の一人娘なの」
「はい、承知しています」
「だから、あの人みたいに強い人をボディーガードに付ける必要があるわ」
「ゆ、結莉亞様、あんな奴が居なくても俺達で結莉亞様をお守りする事くらい」
「あなた達は彼に負けたわ。もし彼が私に乱暴しようとして襲ってきたら、どうするつもり?」
「そ、それは……」
押し黙る男子には視線さえ向けず、結莉亞は下唇を舐めてニヤリと微笑む。
「さっそく、私の物にするわよ」
校門で感じた視線を置いておいてアリーシアの護衛に戻った海斗は、自分の教室に近付くにつれて学校の喧騒が大きくなっている事に気付く。そして、教室に辿り着いた頃には、両手で耳を覆いたくなるようなガヤガヤとした生徒達の声に周囲が溢れていた。
「な、なにこれ……」
海斗より先に教室へ入ったアリーシアは、自分の席ではなく海斗の席を見詰めて顔をしかめる。その後ろから海斗が近付き自分の席を見ると、海斗は表情を変えずに自分の机を見た。
「青い薔薇だ」
「そんなの見れば分かるわ。なんで、海斗の机に青い薔薇の花束があるのかって事よ」
海斗の机の上には、真っ青な薔薇の花束が置かれていて、そのせいで周りの生徒達が騒いでいた。海斗は薔薇の花束の下に、白い紙が挟まっているのを見て、その紙を手に取る。
海斗が手に取った紙は二つ折りのメッセージカードで、花束と合わせているのか薔薇の模様が施されている。
「青野海斗様。昨日は私の付き人が大変失礼いたしました。ですが、私の付き人を容易く返り討ちにした腕前は素晴らしいものでした。その腕を評して、わたくし金江結莉亞の第一付き人に任命します。……なんだ、これは?」
メッセージカードの文面を読み終えた海斗は、とりあえず隣に居たアリーシアに尋ねてみる。聞かれたアリーシアはジトッとした視線を海斗に返した。
「なんで日本人の海斗が、日本語を私に聞くのよ。要するに、その結莉亞って人のボディーガードを海斗がやっつけたから、その強さを認めて上げます。だから私の付き人になりなさい。って事よ」
日本人の海斗に、外国人のアリーシアが日本語を噛み砕いて説明する。海斗に説明しながら、アリーシアは不機嫌になった。
結莉亞の言い分は身勝手なものだ。アリーシア自身には海斗が結莉亞の付き人を倒した経緯は分からない。だが、その状況から好ましい状況では無い事や、海斗と結莉亞の間柄が親しいものではない事は簡単に分かった。そして、揉めに揉めた相手に対して「あなたは強いから私の手下にしてあげる」という上から目線の言い分である。アリーシアはその横柄な結莉亞の行動に腹を立てていた。
「そうか」
「そうかって、海斗は腹が立たないの!? 良く分かんないけど、その結莉亞って人と揉めたんでしょ?」
「いや、まあ彼女自身ではなく、彼女の友人と少しトラブルにはなったな」
「とにかく、その揉めた人達から手下にしてやるって言われてるのよ。腹が立つでしょ?」
「特に腹は立たないな。それにそもそも、彼女の手下とやらになる気はない。彼女達とは気が合わないようだからな」
「それは困りますわ」
騒がしい教室の中にその凜とした声が響く。シンと静まり返った教室の中に結莉亞が男子二人を引き連れて入ってくる。その場に居た生徒達が教室の端と端に割れて結莉亞に道を空ける。その道を真っ直ぐ進んできた結莉亞は、ニッコリと海斗に微笑んだ。それに海斗は無表情を返す。
結莉亞の側に控える男子二人からは、殺気とまでは行かないまでも隠すことのない敵意が海斗に向けられている。ここでその敵意を剥き出しに殴り掛かってこられてはマズイ事になる。護衛対象であるアリーシアの近くで、護衛役の海斗がトラブルを起こすなんてもっての他だ。
「もちろん、そんな花束一つとは言いませんわ。何かほしい物はあるかしら?」
「済まない。昨日も少し言ったが、君達とは気が合わないようだ」
「そう、では、これでどうかしら?」
結莉亞は海斗の足元に、ひらりと一枚の紙を落とす。その紙は小切手で、そこには普通の人間では滅多に見る事のない金額が記されている。その小切手を拾い上げ結莉亞に差し出す。
「お金は大切にするものだ。それにこのお金は君の父親が一生懸命働いて稼いだものだろう。こんな使い方をするものではない」
「あら、あなたはお金に左右されない人だったのね。本当にそんな人が居るとは思わなかったわ。お金が欲しくないとしたら何がほしいのかしら? ……あっ!」
少し考え込む様子を見せた結莉亞は、パッと表情を明るくして両手を合わせる。そして周囲を見渡し、視線の合った女子生徒に微笑みかけた。
「あなた、少しこちらへ来て下さるかしら?」
「えっ?」
「早くして下さる?」
結莉亞に急かされ、小走りで近付いて来た女子生徒は少し怯えた表情で結莉亞の顔色を窺う。そして、穏やかな表情で結莉亞は女子生徒に問い掛けた。
「あなたのお父様とお母様は、お仕事は何をされているのかしら?」
「えっと、父は機械部品を製造する会社の社長をしています。母は専業主婦です」
「そう、分かったわ。あなた、今ここで服を脱いで彼の物になりなさい」
「えっ?」「はあ!?」
結莉亞に言い渡された女子生徒は困惑し、海斗の隣に居たアリーシアは動揺して大きな声を上げる。
「もし、私の言うとおりにしてくれれば、うちで扱う部品はあなたのお父様の会社で作らせるわ。それに、支払いも少し色を付けてあげる。でも、やらなければ明日にはあなたのお父様は仕事を失うわ」
最初から最後まで穏やかな口調で言う結莉亞に、周囲の生徒は背筋に寒気を感じた。それは両隣に居る男子二人とアリーシアも例外ではなく、もちろん言われた本人である女子生徒は恐怖に体を強ばらせた。この場で寒気を感じていなかったのは、海斗ただ一人だった。ただ、寒気を感じていなかっただけで、結莉亞に対する嫌悪感は抱いていた。
「さっさとしてもらえるかしら?」
「…………」
女子生徒は手を震わせながら、襟元に付けられたリボンの端に手を伸ばす。彼女が従わなければ、自分の父親の会社は結莉亞の気まぐれで倒産に追い込まれ家族はもちろん会社に勤める従業員も路頭に迷わせてしまうことになる。それに、自分がここで結莉亞の言うとおりにすれば、会社には仕事が舞い込み父親も喜ぶ。それになにより、ここで断れば自分が今後この学校で平穏に生活出来なくなるという事が分かっていた。しかし、その女子生徒の震える指先がリボンの端を摘まむ前に、女子生徒の手首を掴み海斗が止めた。
「余計なトラブルに巻き込んで済まなかった。君がそんな事をする必要はない」
女子生徒を止めた海斗は、改めて結莉亞に相対し真っ直ぐと視線を向ける。今度は、無表情ではなく、結莉亞に対する嫌悪感を少なからず顔に出して。
「あら、日本人は好みではなかったかしら? じゃあ、後ろの人でもいいわ。すぐに服を脱いで彼の物になって下さる?」
「なっ! なんで私がそんな事しないといけないのよ!」
「アリーシアもそんな事しなくていい」
海斗が視線を後ろに向けて興奮するアリーシアを宥める。海斗の正面に居る結莉亞は、そんな海斗を見て不機嫌に表情を歪ませる。
「私に掛かれば、あなた達の粗末な人生なんて簡単に握りつぶせるのよ? ……もしかして、私がほしいとでもいうの? 悪いけど私はあなた達みたいな底辺の人間達に触れられる存在ではないの。あなた達はせいぜい、私の小間使いになるのが限度よ」
「そうか、他人をどう評価するかは君の勝手だ。しかし、評価するのは自由でも、他人の人格や思想は君のどうすることも出来ない。俺は君の手下にも小間使いにもなるつもりはない。話は以上だ、帰ってくれ」
そう言い終えた瞬間、机の上に置いてあった青い薔薇が爆ぜる。結莉亞の側に控えていた男子が特殊警棒を叩き付けたのだ。鮮やかな青い花弁が宙に舞い、その向こう側からもう一人の男子が拳を放ってくる。
「アリーシア、離れてくれ」
「えっ?」
右手で優しくアリーシアの体を押しながら、海斗は素早く下半身を捻って回し蹴りを放つ。その回し蹴りは拳を放ってきた男子の顔面に迫り、振れる直前でピタリと止まった。鼻先数ミリで止まっていた海斗のかかとがちょんと男子の鼻先に触れると、固まっていた男子はその場に尻餅をつく。そして、ガタガタと体を震わせていた。
武道の心得がある者は、相手と少し手合いをすれば相手の力量が分かる物だという。しかし、海斗と男子生徒のように圧倒的な差があれば、武道の心得のない男子生徒でも自分と海斗との差は分かる、分かってしまう、分からされてしまう。
「君も俺もまだ殴り合いはしていない。このまま穏便に――」
「うぉらぁっ!」
特殊警棒を振り出そうとした男子生徒の肘と手首を掴み拘束する。そして、海斗は拘束した男子生徒の目を見て、低い声を掛けた。
「今すぐそれを仕舞って失せろ」
掴んだ肘と手首を解放しながら後ろに向かって突き放すと、男子生徒は無様に後ろへ倒れ込んで机や椅子に突っ込む。海斗は教室の床に落ちた特殊警棒を拾い上げて展開し、手慣れた様子で警棒の感触を確かめてから展開した警棒を縮め、結莉亞に向かって差し出した。男子生徒が持っていた警棒は、警察が正式に使っている物よりも大分重い上に作りが貧弱過ぎた。実用に耐えうるとは言えないもので、実戦で使えば三回も殴らないうちに壊れてしまうような物だった。
「自分のボディーガードに持たせるなら、もっと丈夫な物を持たせた方がいい。こんな粗悪品では、いざという時に君は守れないだろう」
「そ、そう。でも、それは私が持たせた物ではないわ。彼が勝手に持っていた物よ」
「そうか、では、君から彼に返しておいてくれ」
海斗から警棒を引ったくった結莉亞は、床で倒れ込む男子生徒に警棒を投げ付け足早に教室から去って行く。そして、その後を追って、男子生徒二人も教室から走って出て行った。
昼食の時間、海斗の周囲には不自然な空席が目立つ。その空席を見渡して、海斗は目を伏せた。
完全に目立ってしまった。もう、目立たない地味な生徒というわけにはいかない。そうなると、海斗の想定していた護衛任務と大分状況が変わってしまう。
「海斗、落ち込んでるの?」
「いや、そういうわけではない」
「今朝の女子、この学校で逆らえる人は居ないみたいよ。さっきそこで聞いたわ」
「そうか」
「でも、私は海斗は間違ってないと思うわ」
「そうか」
「あの騒動に巻き込まれた女子もきっと海斗に感謝してると思う」
「そうか」
「それに、私も助けて、もらったし?」
「そうか。……アリーシア、一つ聞いていいか?」
「ん?」
「何故、俺の隣に座っているんだ」
昼食を食べる海斗は、自分の隣に座り同じように昼食を食べているアリーシアに質問をする。
「いいじゃない、私達は友達なんだから」
海斗の質問に対するアリーシアの答えは、海斗の求めているものとは全く違った。しかし、アリーシアはそれ以外言う様子はない。
「朝も言ったが、何時から俺とアリーシアは友人になったんだ。俺から友人になってほしいとも言っていないし、俺の記憶では君からもそんな話は聞いてないのだが?」
「昨日一緒にお昼食べたじゃない。お昼は友達と食べるものよ? だから、私と海斗は友達」
昨日、海斗がアリーシアに言った言葉を返し、アリーシアは誇らしげに胸を張る。その胸を張ったアリーシアに視線を向け、それから皿に盛られた野菜料理に視線を戻す。
「そうか」
「もー、海斗ってそうかしか言えないの?」
「そうか?」
「疑問形に変えてもダメ!」
わざとではなく、海斗は自然と「そうか?」と聞き返したのだが、ジョークだと受け取ったアリーシアはニッコリ笑って海斗の頭を小突こうとする。その小突きをヒラリとかわす海斗は、反対側から近付いてくる気配に視線を向けた。しかし、その気配の主に反応したのは、海斗ではなく反対側にすわるアリーシアだった。
「何の用?」
海斗に近付いて来た結莉亞を睨み付け、アリーシアはゆっくりと立ち上がる。そのアリーシアに結莉亞は穏やかな笑顔を向けていた。睨む合う二人の間に座る海斗は、二人を無視して昼食を続ける。
「ごめんなさい、私は彼に用事があるの」
「今朝、あんな事しておいてよく海斗の前に顔を出せるわね」
「私は彼と交渉しただけよ? 殴り掛かったのは私ではないわ。でも私の付き人ではあったから私の落ち度も少なからずあった。だから彼らは解雇したわ。それに、あんな弱い男なんて私には必要無いし」
髪を掻き上げながら、結莉亞は海斗の隣の席に腰掛ける。そして、黙々と昼食を取る海斗の顔を覗き込んでニッコリと微笑みかけた。
「とりあえず、私の護衛はプロに任せる事にしたわ。でも、それも、あなたが私に付いてくれるまでの繋ぎよ? ……あら?」
海斗の手を取ろうとした結莉亞の手を、海斗はスッと手を動かして回避する。そして、初めて結莉亞に視線を向けた。
「何度も言っているが、俺は君と気が合わないようだ。それは今朝の件でも十分分かっただろう」
「あらあら、連れないわね。やっぱり、私が私を差し出さないとダメなのかしら?」
「ちょっ! 何して――」
いたずらっぽく微笑む結莉亞が顔を海斗に近付ける。結莉亞の鼻先が触れようとした時、アリーシアが結莉亞の肩を掴んで止めようとした。そのほんの一瞬の流れが実行されているその間に、結莉亞の目の前から海斗の姿は消えていて、彼女の後ろでは二人の大男が海斗によって床に組み伏せられていた。
「確かに、動きはプロだな」
アリーシアが結莉亞に触れる直前、この二人の大男はアリーシアを拘束しようと動き出していた。しかし、アリーシアを護衛する立場の海斗は、アリーシアに触れようと大男達の駆けてきた勢いを利用して、二人を床に引き倒して拘束した。
海斗は地面に倒れて呻き声を上げる二人の大男を見て、ホッと息を吐く。そして、後ろを振り返り、食堂の柱の陰にいる人物に視線を向けた。その人物はアリーシアの護衛で、非常識にも学校内でハンドガンを抜いていた。海斗がこの男達を制圧していなければ、威嚇射撃の一発や二発は躊躇わず撃った。こんな一般人が多数存在している空間で発砲音なんて響いたらパニックになってしまう。
「えっ? な、何よ、この人達!」
「アリーシアが彼女に触れようとしたから拘束しようと飛び出して来たんだろう。確かにプロの護衛のようだが、本当の意味でのプロとは言えないな」
結莉亞の雇用している民間警備会社の職員は、収入を得ているプロだが、技量はセミプロとしか言えない。護衛を行うには、護衛対象だけではなく護衛対象の居る周囲の状況を確認する事も必要だ。それを怠っていたから、アリーシアを護衛している銃を持った人物の存在に気が付かなかった。
プロなら、警視庁のSPなら、チームで連携をきちんと取って周囲の安全まできっちり確保する。そこまでやってプロとして最低限だ。そして、そのプロの内、経験や勘等に優れていて高いレベルで任務を遂行できる者はエキスパート。SPやSAT、SITの優秀な職員はエキスパートとされる。ちなみに海斗は、プロの中の上位者でしかなく、エキスパートとは呼べない。
「コワッ! この子に近付いたらこんな人達出てくるの?」
「その為の護衛だ。だが、高校生に鎮圧される護衛はすぐに変えた方が良い」
海斗は二人の護衛を、普通の高校生である青野海斗に鎮圧されるような弱い護衛。という事にしてこの場を治めようとする。実際は、彼らは民間警備会社の職員として問題ないレベルの能力を持っている。海斗の方が普通の高校生としては常識外れな能力を持っているのだ。しかし、ここで自分がそういう人物だと思われて、周囲から疑念を抱かれるのはまずい。海斗の任務は秘密裏にアリーシアを護衛する事だからだ。
「いや、どう見たって海斗が強かったんでしょ。今朝もそうだったし」
「いや、俺は多少武術の心得があるだけで普通の高校生だ。ごちそうさまでした」
「あっ! ちょっと待ってよ、海斗!」
王女らしからぬ早食いで目の前の昼食を平らげていくアリーシアをよそに、海斗は席を立ってトレイと食器を片付けに行く。
談笑する生徒達の後ろを通り過ぎながら、海斗はボタンに偽装したマイクにそっと声を掛ける。
「隊長すみません。アリカロ王国の護衛に目を付けられました」
イヤホンを付けておらず返答は聞こえない。だが、海斗の頭の中には、いつも聞いている隊長のやる気のない「了解」という声が思い出されていた。