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ブルーカイトは空気が読めない  作者: 半熟ベーコンエッグ
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【一】

【一】


 一八時二四分、都内有数の商業施設であるMIYAZAKI四〇〇にて立て籠もり事件が発生。通報を受けた警察庁刑事局捜査一課は該当施設へ特殊捜査班、SITを出動させた。しかし、立て籠もり事件が発生した施設は高さ四〇〇メートルを誇る国内で最も高い商業施設であり、事件が発生したフロアがその中階に存在するということが、突入での制圧が困難とされた。

 犯人の要求は該当施設の同フロアに居合わせた買い物客五〇名の人質を引き替えとした、身代金三億円だった。

 SITはネゴシエーターによる説得を試みるが難航。説得も上手くいかず突入困難という状況もあり、硬直状態が続いた。

 だが、事件発生から二時間三五分が過ぎた二〇時五九分。事件は急展開を見せる。


 地上四〇〇の超大型商業ビル、MIYAZAKI四〇〇の屋上には引き裂くような突風が吹いていた。屋上から眼下を見下ろせば、大勢の報道陣と野次馬からなる人だかりと、その人だかりを制する警察官。そして、幾台もの警察車両が見える。施設に通じる道路には規制線が敷かれ、人や車両の出入りが止められている。そのせいか、周囲の道路には渋滞が出来て先を急かす後続車のクラクションが鳴り響いている。

「本当にやるんですか?」

『おお、マジだ』

「でも、SITは愚か一課長も知らないんですよね? 後で問題になるんじゃ?」

『大丈夫だ。なんとかしてやる。お前はそっちをなんとかしろ』

 そんな喧噪が鳴り響く事件現場の屋上には一人の青年が佇んでいた。青年と言っても、頭にはヘルメットを被り、ヘルメットに付けられた防弾フェイスガードのせいで素顔は見えない。なので、声色で判断するしか彼の素性を判断する材料はない。

 格好は、防弾ヘルメットに防弾チョッキにタクティカルベスト、アサルトスーツを着込んでいる。全身は紺色に統一され上手く闇夜に紛れていた。

 右足の腿にはレッグホルスターが装着され、そこは屋上照明に照らされて黒光りするオートマチックハンドガンのグリップが見て取れる。

「なんとかしろと言われても、突入経路は一つしかないようですから、選択肢は一つしかないですね」

『まあその辺はお前の本分だ。俺の仕事は、責任を取る事だからな』

「頼りになるのかならないのか分からないですね」

 ヘルメットに内蔵された無線から聞こえる気の抜けたような声に、青年は口を動かした。

 青年は振り返って背にしたフェンスにフックを引っ掛け、フックの先に延びているワイヤーを引いて掛かりを確かめる。しっかりと掛かっている事を確認した青年は再び眼下を見下ろす。

「立て籠もりが起こっているのは地上二〇〇メートルのフードコートフロア、か」

 青年はポケットから端末を取り出し、その画面に映像を映し出した。映像は報道機関のヘリから撮影されている報道番組の中継映像。ガラス張りの大きな窓際で右手にナイフを持った中肉中背の男が何かを叫んでいる様子が映し出されていた。

「装備は市販品のバタフライナイフ一本、他には何もないようだな」

 映像から犯人の装備を確認しながら、さっきより強くワイヤーを引っ張る。

 青年は端末を仕舞い、腰の後ろに付けたワイヤーを巻き付けたリールに備わった液晶を操作し二〇〇と打ち込む。

「こちらシークワン、これより奇襲制圧作戦を決行する」

『こちらコマンド、了解した』

「カウントを」

『了解、カウントゼロで作戦を開始せよ』

 青年は腰のホルスターから黒いコンバットナイフを引き抜く。

『カウントスタート、テン、ナイン、エイト……』

 ついさっきまで吹いていた突風は鳴りを潜め、街の喧騒がより大きく屋上まで響き渡る。下からは野次馬を制する警察官の声が聞こえ、野次馬からは悲鳴混じりの怒号が聞こえる。

 無線から聞こえるカウントがファイブを切った時、青年は瞳を閉じた。

 フォー、ナイフを逆手に握る。スリー、足を肩幅に開き足場を確認。ツー、ヘルメットの位置を手で直す。ワン、体重をゆっくりと前に傾ける。

 その時、鳴りを潜めていた突風が青年の背中を押すように、一気に吹き荒れた。

 ゼロ、青年はふわりと地上四〇〇メートルの屋上から飛び降りた。

 やや前方に飛び出した青年の体は、一気に地面へ向かって引き寄せられる。

「おい! 誰か飛び降りてるぞ!」

「なんだ!? 人質以外にも客が残ってたのか! くそっ! マットなんて用意してないぞ!」

 地上では飛び降りた青年の姿を見た野次馬が叫び、その叫び声を聞いたSITの指揮を執っていた隊長が現場指揮車両内から飛び出して、落ちる青年の姿を捉え叫んだ。

 屋上から飛び降りた青年はやや前方に飛び出したせいもあって、真下に落ちる訳では無く、どんどん体がビルから離れて行く。しかし、青年の体は空中で不自然に前方への移動が停止する。まるで“何かに引っ張られるように”青年の体は空中で一瞬止まった。そして、再び運動を開始した青年は、今度はビルに体が引き寄せられていく。

 二〇〇メートルまで送り出しを設定したワイヤーリールがピッタリ二〇〇メートルでワイヤーの送り出しを停止したことで、青年は振り子のようにビルへ後ろ向きに吸い寄せられる。その、事情を知らなければ超能力か魔法を使ったような動きに、眼下の野次馬と報道陣はもちろん、SIT隊員達までもがただ青年の姿を見詰めていた。

「危ない!」

 その声がSIT隊員だったのか野次馬の中から聞こえた声なのかは定かではない。だが、その声が聞こえた瞬間にはもう、青年の体はビルの窓に叩き付けられる寸前だった。誰もが窓に激突した青年が力なく落ちてくる光景を想像した。しかし、その想像は外れ、代わりに甲高い破砕音が鳴り響いた。

「窓を突き破ったぞ!」

 青年は後ろ向きに激突する直前、逆手に持ったナイフで窓ガラスを突き破り、防刃性能のアサルトスーツの恩恵を受けてかすり傷一つ負わずにビル内へ転落、いや強襲した。

「なんだ、てめ――」

 突然窓から飛び込んで来た予想外の来客に、立て籠もり犯は手に持ったナイフを突き出した。しかし、犯人が言葉を言い終える前に、彼の手からバタフライナイフがはじき飛ばされる。一瞬何が起こったか分からなかった彼の目の前には、ハンドガンを抜いて向ける青年の姿があった。

「大人しく両手を頭の後ろに回して床に伏せろ」

「は、はい……」

 立て籠もり犯は抵抗しても無駄だと諦め、地面に伏せ直ぐに頭の後ろへ両手を組む。その立て籠もり犯のボディチェックを行いながら、青年は無線機に向かって話し掛ける。

「立て籠もり犯の制圧完了。現状を現場SITに引き継ぎ次第帰投します」

『連中、素直に帰してくれるかね〜』

「……それが、隊長の仕事でしょう」

『へいへい、了解了解。まったく生意気な部下だな』

 無線を終えて直ぐ、フロアにSIT隊員が雪崩れ込んできて、地面に伏せる犯人とビル内に強襲した青年に向かってサブマシンガンの銃口を向ける。青年の突入からほぼ間がない突入という事は、既にフロアへ通じる通路にはSIT隊員が控えていたようだ。

「動くな!」

「俺は動いてないんだが」

 自分に向けられる十数の銃口にも動じず、青年はそう言葉を返す。

「武器を捨てろ!」

「いや、捨てるのは困るな、戻ったら装備を確認される。あんた達だって拳銃の紛失は不祥事じゃ済まない問題だろう? それと、出来ればこのまま帰してほしいのだが」

「ふざけた事を言うな! こんな騒ぎを起こしておいて素性も明かさず帰れると思うな!」

「銃を下ろせ!」

「隊長!」

 青年に怒鳴り声を上げた隊員が、突然フロアに入ってきたSIT隊長の姿と言葉の意味を確認して狼狽する。隊長は言っているのだ“銃を携行した正体不明の人物から銃を引け”と。

 しかし、統率のとれたSIT隊員は全員命令の通り銃を下ろす。だが、表情に浮かぶ不満や疑いの色は隠すことが出来ていない。

「事情は戻ってから説明する。だが、今これよりその人物に関する発言を禁止する。そして彼の帰投を許可する」

「なっ! 隊長っ!」

「上の命令だ」

「上って、一課長ですか!? こんなおかしな命令なんて――」

「長官だ」

「は?」

「これは警察庁長官命令である。これ以上の詮索も禁止とする!」

 唖然とし固まるSIT隊員から目を離し、SIT隊長は視線を青年に向ける。

「大した度胸だな。ワイヤー一本で屋上から飛び降りるとは」

「そういう訓練ばかりやらされていたので」

「能力は高い、だがうちには要らない人材だな」

 吐き捨てるSITの隊長は、フェイスガード越しに青年の素性を窺い知ろうとする。しかし、感情を表に表さない青年はそのSIT隊長の窺う目を特に気にする様子も見せず口にした。

「でしょうね」

『シークワン、着いたわよ』

 青年が無表情に答えた時、無線機から若い女性の声が聞こえる。その声を聞いた青年は歩き出し、SIT隊長とすれ違う。すれ違った時、SIT隊長は青年にだけ聞こえる声で囁いた。

「子どもに助けられるとはな」

 青年はその言葉に反応することなく。ビルを後にした。


 事件から数日後。警察庁が入る中央合同庁舎第二号館の一室、主に警視庁長官が応接室として使う部屋。その部屋に置かれた革張りのソファに、年輩の白髪が目立つ男性が深々と腰掛けていた。そして、その向かいにはニッコリというかヘラヘラという言葉が合う笑みを浮かべる、無精髭を生やした壮年の男性が浅く同じ形のソファに腰掛けている。

 その壮年の男性の後ろには、若者、いや十代そこそこの少年が直立不動でいる。

「なるほど、警護任務ですか。でも、コイツには向いてないと思いますけどね」

「しかし、警察庁内で他には居ないだろう。十代の警察官なんて。いや、正確にはまだ警察官ではないか」

「そうですね、体裁を考えるなら警察訓練生と言うべきでしょう」

「銃の携行と単独任務が許可された警察訓練生というのもちぐはぐだがな」

「ですが、それを許可したのは長官ですよ。しかもコイツのお守りを俺に押し付けるし」

「まあその話は別として、警護任務を頼めるか?」

 白髪の目立つ警察庁長官の視線は、真向かいに居る壮年の男性から後ろの少年へ向けられる。少年は直立不動の姿勢のまま、口だけ動かした。

「正式に手続きが行われた任務なら私は遂行するだけです。ですが一つだけ」

「なんだ?」

「任務に対してもう少し詳細な説明をお願いしたく思います。今私が聞いた事柄だけでは、私が頼まれた任務が要人警護任務である事しか分かりません。警護対象と警護日時場所、それと脅威となり得る組織や人物等の情報、それらは最低限説明を頂けなければ任務に差し支えが出ます」

「そうだな、警護対象はアリカロ王国王の王女。警護日時は無期限、場所の指定は無し、脅威は某国の敵対国と敵対組織の全て」

「……もう少し、詳細な説明は頂けないのでしょうか?」

「警護対象の情報はこれ以上開示できないが、脅威となりえる人物と組織の情報は端末に送ろう。他に質問はあるか?」

 少年は少し黙り、視線を目の前に居る壮年の男性に向ける。視線を向けられた男性は振り返らず苦笑いを浮かべて口を開く。

「警護日時が無期限というのと、場所の指定がないということに関してもう少し説明をもらえますか?」

 少年の代わりに質問をした壮年の男性に、長官は腕組みをして大きなため息を吐いた。

「某国の王女が日本の高校への留学を望んでいて、すぐにでも日本へ来たいと言っているらしい。しかし、その某国は国際的に重要な立場にある国だ。だから、その某国の王女は敵対する過激的なテロリストや某国の敵対国から命を狙われる可能性がある。そこで、警護を付けて短期間の留学にしようとしたのだが……」

「断られたということですか」

「ああ、どうやらあまり大事にはしたくないらしい。こちらとしては大々的に留学してもらった方が、警護面から考えればやりやすいのだがな」

 困ったように両手を広げて首を横に振ってため息を漏らす長官。その長官を見て少年は表情を変えず質問を投げた。

「その某国の王女は現在お幾つなのでしょうか?」

「一六だそうだ」

「おお、コイツと同い年……なるほど、そういうことですか」

 少年の質問と、長官の答えから何かに思い当たった壮年の男性はポンと手を打つ。その様子を見て、初めて少年が表情を崩して呆れた表情を浮かべた。

「警護対象と同い年の自分なら、警護対象へ接触したり周辺をうろついていたりしても怪しまれる事はない。それに、常識的に考えて十六で銃を携行している警察訓練生が居るとは思いませんからね」

「そうだ、だから某国の王女が留学先に選んだ高校へ一緒に転入し、彼女の警護を行ってもらいたい。もちろん、訓練は受けてもらうし、別の任務があればそちらを優先してもらって構わない」

「まあ、よっぽどのトラブルが起きない限り、日本に敵対国の工作員やテロリストの侵入を許すとは思えませんが」

 全ては形だけの警護であるという事だ。日本政府としては某国の機嫌を損ねたくはない。だから留学の件は受け入れるしかない。しかし、ただ受け入れるだけで安全の保障を行っていないのは、要人を軽視しているとしか取られない。だから、形だけでも警護を付けたい。そして、某国の機嫌を損ねず自然に警護できる人物という事で、少年に白羽の矢が立ったというのが、この話の大まかな流れだ。

 それもこれも少年が、先日解決した立て籠もり事件のせいである事は否定できない。あの事件は世間でも話題になった。窓からというアクロバティックな侵入方法で立て籠もり犯を強襲し、たった一人で制圧した謎の人物。世間ではその謎の人物をブルーカイトと呼んでいる。

 ブルーカイトという名称は、世間、特に、彼を真っ先に報道した報道局が命名したものである。突入時に見せた動きが滑空する鳶を彷彿とさせ、空中での巧みな身のこなしは航空自衛隊のブルーインパルスのアクロバット飛行を連想させたため、こう命名された。

「現代に現れたスーパーマン、ブルーカイトだもんな〜。お前学校でモテモテなんじゃ?」

「隊長、俺の警察庁での身分は秘匿事項です。それに、俺のクラスに女子生徒は居ません」

「ああ、そういえばそうだったな。せっかくのモテ期だったかもしれないのにもったいないことしたな」

「興味ありません」

 真顔でスッパリと断る少年を見て、壮年の男性はクククッと笑いを堪える素振りを見せる。

 長官はその二人のやり取りを見終えると、壮年の男性に見えるように書類を一枚差し出す。

「明日の〇時より、シークワンは青野海斗あおのかいととして国立桜花おうか女子高等学校への転入を命ずる」

 長官の言葉とほほ同じ文面が書かれた書類をつまみ上げ、壮年の男性は今度は隠す素振りを見せず笑った。そして、命名された、少年改めて青野海斗は眉を顰めて呟く。

「国立桜花”女子”高等学校、ですか……」


 小高い丘の上に続く幅広い坂道。その両脇には桜の木が幾本も植えられている。しかし、もう花は終わり桜の木には青々とした葉が朝風にゆらりと揺れている。

 青野海斗が言い渡された任務は某国の王女の警護。だが、某国側から王女には警護が付いていることを悟られてはならないと通達が出た。しかも、学校側で彼女が某国の王女である事を知っているのは学校長のみである。

 しかし、某国も自国の国王の王女を何の警護も無しに他国へ向かわせるわけもない。学校周辺には常に十数名の警護チームによる警護が行われている。実際、海斗がこの学校周辺を散歩という名の偵察を行って警護の存在は確認済みである。

 国立桜花女子高等学校は、名の通り元は女子校であった。それも伝統ある名門の女子校である。しかし、少子化による生徒数の減少という問題があり、数年前から男子生徒の募集を始め共学制をとっている。

 共学制を始めたばかりの頃は数名しか居なかった男子生徒も、今では全校生徒の二割にまで増えている。だが、やはり名門の女子校であったというイメージが強いのか、男子生徒数の推移は一昨年から横ばいになっている。

 国立桜花女子高等学校、略して桜花高校の校門へ続く坂道。その中腹で立ち止まった海斗は周辺を見渡してため息を吐く。

 学校には高い塀等なく、有刺鉄線さえないフェンスで囲われているだけ。しかも、学校の裏手には森があり身を隠す格好の場所になっている。森に身を潜めれば対象に近付くのは容易だろう。

 海斗は第一ボタンに触れて裏に付いたスイッチを入れる。

「隊長」

『なんだ、もう音を上げるのか? まだ初日も始まってさえいないぞ?』

 イヤホンから聞こえるやる気のない声に、海斗は制服の第一ボタンに偽装した高性能マイクに話し掛ける。

「校舎の裏手にある森ですが、某国にトラップを仕掛けるように通達は出来ませんか?」

『無理だな、あそこは学生の自然学習の場に使われている。ビオトープというらしい。頻繁にではないが、一般人が立入る可能性のある場所にトラップを仕掛けるのはマズイだろ』

「別にクレイモア等を仕掛ける訳じゃありません。捕縛用のトラップです」

『まあ、お前がそこまでワイヤーで逆さ釣りにされてパンツが丸見えになった女子高生を見たいってなら打診はするが、多分跳ね除けられるぞ』

「分かりました。では、トラップの設置は困難であると判断して任務を続行します」

『はいよ、とりあえず何かあったらまた無線しろ』

「了解」

 マイクのスイッチを切って、海斗は再び坂道を登り始める。

 周りには圧倒的に女子生徒が多く、前方には男子生徒が数名で固まって歩いているのが見える。その男子生徒達は後ろから来る女子生徒達の進路を妨げないようにか、道の端に寄って肩身を狭くして歩いている。海斗には理由がよく分かっていないが、この高校は男女での立場の差が出来上がってしまっている。

 女子というものは独特のネットワークシステムを構築している。悪い噂も良い噂も関係なく、男子の比ではない速度で周知徹底がなされる。そんな驚異的なネットワークを持っている女子が圧倒的多数の桜花高校で、女子生徒の機嫌を損ねると言うことは、イコールで学校社会での死を意味する。だから、男子生徒の大半は毎日女子生徒の顔色を窺い生活している。

「ねえねえ、あの子、めっちゃ可愛くない? どこのクラス?」

「知らない。でもあれだけ可愛かったら知らない人は居ないでしょ。噂の転入生ってやつじゃない?」

「ああ、今日転入してくる二人のうちの一人って事か。それなら見た事ないのも納得ね」

 海斗のすぐ目の前に居る女子生徒の話題に上がったのが、海斗から五メートル程離れた場所を歩く金髪の女子生徒。

 彼女の名前はアリーシア・ヴェルニカ・アリカロ。海斗の資料には写真と生年月日等は載っていたがスリーサイズを含めた彼女の身体的データは一切書かれてはいなかった。しかし、傍目から見て、彼女は大抵の男子から視線を集め女子生徒からは羨まれる体つきをしている。

 身長は推定一六五センチメートルで、その長身に見合うスラリと長い手足。顔立ちは西洋人らしく整い顔は小さい。長い金髪は絹糸のように滑らかである。外見での欠点は見当たらない。

 彼女はやはりその容姿のせいか、登校する生徒達の視線を集めてしまっている。しかし、彼女自身は、そんな視線に気付いていないのかと思うほど自然に坂道を歩いている。日頃から容姿のせいで視線を集める事が多いからだ。

 海斗は彼女から視線を外し、彼女の周囲に視線を向けて注意を向ける。周囲に不審な動きをする者が居ないでと判断して、海斗は心の中で大きくため息を吐く。

 これ以上目立たれると、警護がしづらくなってしまう、と。


 職員室への挨拶を済ませた海斗は、頭に叩き込んだ学校内の見取り図で自身が所属するクラスへ歩いていく。

 海斗が所属するクラスは二年F組。四〇名の生徒のうち、女子が三九名男子が一名というクラス。そこに海斗とアリーシアが加わる合計四二名のクラスになる。

 海斗が一人で歩いているのは、学校内の見取り図が頭に入っているという事もあるが、担任の方がアリーシアの方の案内をすると言う事で人手が足りないのだ。海斗に割り当てられずアリーシアに案内が割り当てられているのも、アリーシアが一国の王女という事を考えれば当然の事だ。

 階段を上って二階に上がり、長い廊下を突き当たりまで歩くと、すぐ右手に二年F組の教室がある。

 海斗はその教室へ入るためのドアを眺め、背中を窓際の壁に付けて腕を組む。

「騒がしいな」

 海斗が今まで通っていた学校は、警察が運営する学校だったからか、規律にはかなり厳しかった。教師を教官と呼び、私語は厳禁とされていた。そんな厳しい生活を送っていたせいか、一般的な学校で日常的なこの朝の喧騒も海斗には違和感しかなかった。

「青野くんね?」

「はい、青野海斗です。矢島慶子やじまけいこ先生ですね? 今日からよろしくお願いします」

 教師を教官などと呼ぶようなヘマはしない。予め訓練を受けた通り自然な呼び方と受け答えで違和感を相手に抱かせない。

「あなた……」

 海斗は眉を顰めた。アリーシアが海斗を見て近付いてきたのだ。海斗は無表情のまま先程の受け答えを再考する。

 自分が警察関係者であると悟られるような言葉は使っていない。それに一般的な高校生らしからぬ言葉遣いもしていない。だから、アリーシアに海斗が警察関係者であるとバレるような事はないはずだ。

 アリーシアは海斗の目の前で足を止めると、突然右手を伸ばしニッコリと笑った。

「ワーッ! あなたも転入生なのね! 私はアリーシア・ミシトガント、アリーシアって呼んでね! 私はあなたの事を海斗って呼ぶから!」

「青野海斗だ。よろしく、アリーシア」

 海斗は彼女に無難な対応をした。しかし、彼女の行動は海斗にとって予想外だった。

 大抵の国の王族は育ちがいい。育ちがいい事に加えて、多少わがままや一般常識から外れる者も居る。しかしアリーシアのようにフランクな言葉遣いや態度を取る王族は珍しい。もちろん海斗の中でも意外だった。

 アリーシアの名乗ったアリーシア・ミシトガントはもちろん偽名であるが、名前と生年月日のデータを知っている海斗には意味が無い。だが、海斗も彼女の素性は知らない事になっているため、自己紹介にも無難な対応を心掛ける。

「海斗はクールなのね。クールでミステリアスなのは格好いいけど、あまり度が過ぎると女の子に避けられちゃうわよ」

 握手を交わした後に、アリーシアは海斗の肩をポンポンと叩いて実に楽しそうに話す。

「この高校は男子にとっては良い環境かもね? でも女子にとっては大変な環境だわ」

「はあ」

 いきなり話を振られた海斗は、何の話か分からず気の抜けた声しか返す事は出来ない。

「男子にはガールフレンド候補がいっぱいなのに、女子はボーイフレンド候補が二割しか居ないのよ? すぐに良い男子は他の女の子に取られちゃうわ」

「なるほど、そういう事か」

「そうよ、だから上手くいけば海斗はモテモテね」

「ところでアリーシアは何で留学を?」

 いつの間にか教室へ入って行った矢島女史は教師内へ入り生徒への伝達事項を話している。海斗とアリーシアの紹介はその後に行われるのだろう。

 海斗はこのチャンスに出来るだけ彼女に関する情報を集めるため、さり気なく質問を投げ掛けた。しかし、アリーシアはイタズラっぽく笑い、少し前屈みになって右手の人さし指を立て唇に当てる。

「それは、まだヒミツよ」

「そうか、そんなに言いづらい事なのか?」

「ううん、そうじゃないんだけど、ここで海斗だけに言ったってつまらないし」

「二人とも入って」

 アリーシアに更なる追求をしようと海斗が思った時、教室のドアが開いて矢島女史が呼んでいる。ここで無視して話を進めるわけにも行かず、それにアリーシアがさっさと中に入ってしまったために、海斗は話を続ける事が出来なかった。

 仕方なく教室へ足を踏み入れた海斗は、教卓の前で両手を腰に当てたアリーシアの姿が映った。彼女はニッコリと満面の笑みを浮かべて、大きな声で自己紹介をした。

「私の名前はアリーシア・ミシトガント。私は日本に素敵なボーイフレンドを探しに来ました!」

 彼女の自己紹介にクラスメイト全員が固まっている。しかし、そんな様子を全く気に留めることなくアリーシアはニッコリ笑って自己紹介を締めくくった。

「みんな、よろしくね!」

 しばらく、二年F組は沈黙に包まれ、海斗は頭を右手で押さえてゆっくりと足を踏み出した。

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