監禁? してませんよ
その日は店長が留守のため店は閉まっていた。
ちゃんと『閉店』の札も掛かっている。
それなのに店のドアを激しく叩く音でナツはビクビクしていた。
自分の荷物を纏めて旅立つ準備をしていたのに、その音ですっかりビクついて固まってしまった。
ドンドンと激しくドアを叩く音は一向に止まない。
雨も降って壁や屋根に雨が当る音とドアを叩く音でナツは酷く動揺している。
――どうしよう。
よっぽどの急用なのかもしれない。
思い立ったナツはヨロヨロと立ち上がり、不自由な右足を引き摺りながら階下へ降りると恐る恐るドアを開けた。
「お、やっと……ヒィッ!」
やっと扉が開いた事に安堵するような声が聞こえたが、扉の隙間からナツの姿を確認した客はヒッと引き攣った悲鳴を上げると雨の中、踵を返して去って行った。
***
次の日は打って変わり初夏の陽気に包まれた暖かい日だった。
日が昇りきる前に起きて、すっかり準備を整えたナツは。あとは出て行くだけだ。
二月も見ず知らずの人間の面倒をみてくれた店長に恩返しもせずに出て行くのは心苦しいが、ここにいても迷惑なだけだ。
早々に立ち去るのが一番良いと結論を出したナツは、それでも鬱々とした気分のまま袋に詰めた荷物を背負った。
*
一方、店長のヨシュアは店の扉を叩く音に起こされ、不機嫌な顔で扉を開けた。
「まだ開店前なのに。何だよ……」
扉の外には腰に剣を携えた物々しい一団がいる。
「……警吏の方が何のご用ですか?」
ヨシュアが不機嫌そうに形の良い眉を顰めると、リーダーらしき大柄な人物がズイッと身を乗り出した。
「ここに魔獣がいるという情報が入った。そいつをここに連れてこい」
「はぁ? 魔獣? こんな朝早くに何の言い掛かりですか?」
ヨシュアは何の事か分からず呆けた声を出したが、団長は厳しい顔で詰め寄った。
「昨日ここで目撃情報のタレコミがあった。出さないなら中を検めさせて貰うぞ」
そう言いながら更に一歩前へ出ようとしたら、店の奥からヒョコヒョコと何かがやってくるのが見えた。
まだ暗い店内を歪に歩くずんぐりとした体の生き物はゴブリンのように見えなくもないような気がする……。
ゴブリンは知能が低く、欲望のままに殺戮し人と言わず獣と言わず何でも喰らう残忍な魔獣だ。
街中で野放しにされてるとあれば惨事は目に見える。
「いたぞ! 魔獣だ!」
団長が素早く剣を抜くと、警吏団に緊張が走り全員が剣を抜いて構えた。
***
警吏団の剣呑な雰囲気を余所にヨシュアはのんびりとナツに声を掛けた。
「あ、もう行くの? 気を付けてね」
「……はい……お世話になりました」
俯いたままのせいか、物々しい一団が目に入っていないナツは小さくお辞儀をした。
本当は、少しくらい引き止めてもらいたいな、という望みはなかった事にした。
最後にヨシュアの綺麗な顔を見たかったが、必然的に顔を上げなければならない。
そうすると自分の顔をヨシュアに見せる事になるからそれも申し訳なくて俯いたままだ。
多分、自分の姿で一番まともなのは頭頂部だろう。
彼がもし、この先自分を思い出してくれるとしたら、ブサイクな顔(インパクト大だから忘れ様はないが)ではなく是非ともアフロな頭頂部にして貰いたい。
「これが……魔獣か?」
我に返った警吏団長は荷物を背負った子供を見てポッツリと呟いた。
俯いてトボトボ歩く姿はどことなく郷愁を誘う。
団長の野太い声でナツはほんの少しだけ顔を上げた。
そして漸く、たくさんの人が自分を取り囲んでいる事に気が付いた。
「っつーか、ただのすげぇブサイクじゃん……」
「壊滅的なブサイクじゃん」
「しかも、酒ヤケした酒場のメイ姐さんみたいな声だな」
彼らの心無い声が聞こえているのか、小さな子供はブルブルと震えている。
姿勢の悪いずんぐりとした体とモッサリしたアフロのせいか三頭身に見えるその子は、確かに人間だ。
かなりブサイクだが。
「……誰だよガセネタ持って来たの……」
「隠居した鍛冶屋のトーマス爺さんだよ」
「あの爺さん目、悪いからなぁ……」
警吏団のどよめきはバツの悪そうな責任転嫁の囁きに変わっていった。
真偽を確認せずに剣を抜いて子供に詰め寄ってしまった後味の悪さったら、ない。
「誰が、魔獣とか珍獣とかブサイクとか歩くアフロとか言ったのか知りませんけど……」
ヨシュアの冷たい声が響くと警吏団は一様に口を閉じた。
冷たい声とは裏腹に彼の顔には人の良さそうな笑みが浮かんでいる。
「これはちゃんとした人間ですから。パッと見そうは見えないでしょうけど。」
「あ、いや。その。も、申し訳ない……」
申し訳ないと言いつつ、好奇心には勝てずに警吏団員は珍しい物を見るようにナツをチラ見している。
さすがに団長は、チラ見などという失礼な真似はせずに、きちんとナツを見詰めながら真摯な態度で謝った。
その後、平身低頭して謝る警吏団にお帰り頂くと、ヨシュアは顔に笑みを貼り付けたままナツに振り返った。
「で、どうするの? ナツ?」
ナツは俯いて手を握ったり開いたりを繰り返しながら黙り込んでいる。
それを見てヨシュアは微笑んだ。
「ナツ。体に気を付けてね。あ、いつでもここへ戻っておいで。じゃあね」
ヨシュアは俯いて考え込んでいるナツにもう一度あっさりとした別れの挨拶をすると、店に入り無情にも扉をパタンと閉めた。
***
警吏団と一悶着があったせいかナツが歩き始める頃には大分、日が昇ってきた。
そういえば、初めて外に出た。ような気がする。
どこへ行こうかあまり考えていなかったナツは俯いたままトボトボ歩いていた。
どっちへ行ったら良いのだろう。
どうしたら良いのだろう。
それにしても、お腹が空いた。
ヨシュアが作る美味しい食事が食べたい。
かぼちゃのスープは最高だ。
彼の料理を一度食べたら、他の料理なんてもう食べられない。
そんな事を考えながら暫く歩いていると、頭に何かモフッとした衝撃を断続的に受けていることに気が付いた。
序にパタパタという、いくつかの足音も聞こえる。
何だろうと思って立ち止まると、足音もピタッと止まった。
そして子供達の囃し立てる声が聞こえてきた。
「魔物だー!」
「妖怪だー!」
どうやら、この界隈の子供達がナツを見て勘違いをしているらしい。
道端の小石を拾ってはナツ目掛けて投げつけている。
立ち止まったナツは俯いたままプルプル震えていたが、徐に踵を返した。
***
「分かったでしょう? 君が外に出ると魔獣と間違えられて捕まったり、殺されたりするよ?」
店の扉をコッソリ開けると、にこやかに、それは良い笑顔でヨシュアは迎え入れてくれた。
ナツもよく分かった。
特に夜は危険だ。
暗い中では魔獣に間違えられる可能性が高くなる。
それ以前に、ナツの姿を暗闇で見たらお年寄りなんか驚いて倒れるかもしれない。
本人でさえ、夜中に間違って窓ガラスに映る己の姿を見て、ビックリして倒れた事がある。
そして、先ほどハッキリと分かった。
明るいところでもダメだ。
「ね? だからナツはずっとここにいれば良いよ。外はとっても危険なんだから。それに皆の迷惑になるのはイヤでしょう?」
諭すような優しい声にナツはコクコクと小さく頷いた。
それと同時にナツのお腹がグゥ、と鳴った。
「ふふ、朝はナツの大好きなカボチャのスープと焼きたてパンにローストビーフはどうかな?」
ナツはヨシュアの作る食事を思い出して、いても立ってもいられなくなった。
そうだ。ここから出て行ったら、彼の料理が食べられなくなってしまう。
「僕の作る食事はナツのためだけに『特別』にしてるからね。……さ、荷物、置いておいで」
ナツは大きく頷くと足を引き摺りながら、それでも大急ぎで部屋に戻った。
*
「ふふふ……」
嬉しそうに部屋に戻るナツの後姿を見詰めるヨシュアの人の良さそうな笑みは、ニタリとした厭らしい笑みに変わっていた。