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第九話 お帰りなさい

 使用人の気遣いにより、イザベルは眠っているマクシミリアンと寝室で二人きりになる。マクシミリアンの顔を覗き込めば、そこには小さい頃とまるで同じ顔があった。それを精一杯かっこつけて、平気なふりをしてくれて……。


「私は……本当に最低の親だな。こんなにも君は傷ついていたのに、何も気付かないで、のうのうと気楽に暮らしていて。いっつもそうだ。私は君を守ってるつもりで、本当は守られてる。救ったようでいて、本当に救われてるのは私の方で……」


「そんな顔しないでください」


 その時、絞り出すように小さな声がした。


「あなたが辛そうなのが、私は一番悲しいです」


 見れば、薄っすらと目を開けたマクシミリアンが、震える口元でなんとか笑みをつくっている。


「君はどうしてここまでしてくれるんだ……? 二十年間、ずっと他人のために自分の人生を捧げて、こんな痛みや苦しみに耐えて……」


「あなたのことが大好きなんです」


 マクシミリアンは愛おしそうに笑った。


「あなたに出会うまで、私は何ももらったことがなかった。弱くて何もできない子供に、世の中というのはどこまでも冷徹で。だけど、あなただけが惨めな私の手を取って、抱きしめて、頭を撫でてくれた。それからあなたが私の全てで、生きる意味になったんです」


 マクシミリアンは上体を起き上がらせる。


「私は少しは立派な大人になれたでしょうか。あなたを守れるくらい。あなたを幸せにできるくらい。あなたには……あなたにだけは幸せでいてほしいんです。そのためなら、私はなんだってできる。今からだって、あなたの代わりに魔物を倒しに……」


「もういいよ」


 イザベルは首を横に振る。


「マックスはずっと一人で頑張ってきて、凄く立派な大人になった。だけど、もういいんだ。私の前でくらい昔みたいに泣いてよ。どんなマックスだって私は好きだからさ」


「いやだなあ、私はもう二十八ですよ。坊やみたいにめそめそするなんて、そんなわけ……」


 にぱっと笑ったマクシミリアンの頭をイザベルは抱きしめる。


「え、いきなり何するんですか、放してくださいよ、もう、だからそういう坊や扱いはもうやめてほしいって……」


 そんなことを呟いていたマクシミリアンは、しかしついに無言になって、静かに腕を回してきた。


「……ずっと怖かった。どうして僕を置いていなくなっちゃったんですか。もう二度と会えないんじゃないかって、毎日怖くて怖くて……。今だって、ずっと怖いんです。いつ僕の前からまたいなくなってしまうんじゃないか。そう思って夜も眠れない。お願いです。もうどこにも行かないでください。僕のこと、もう一人ぼっちにしないでください」


 胸にかかる熱い息が、震える肩が、時おり聞こえるひゅうひゅうという呼吸音が、あまりにも弱々しく感じられた。ここにいるのは


「ごめんね。ずっと頑張らせて。寂しい思いをさせて。本当に、ごめん。これからは絶対にいなくならない。ずっとそばにいる。約束だ」


 イザベルはそう言って、しばらくの間マクシミリアンの背中をさすっていた。


「さて、そうと決まれば、君にはまず元気になってもらわなければな!」


 マクシミリアンが落ち着いてきたところで、イザベルは快活に言い放つ。


「というわけで、今日から甘やかし担当は私が務めさせてもらう。さっそくだが何かしてほしいことはあるか? 何でもやってみせるぞ」


「本当に何でもですか」


 マクシミリアンは顎に手を当てる。


「ああ、何でも……。って、まさか、センシティブなことを考えたのか、君!?」


 イザベルはわたわたする。


「いやだなあ、違いますよ。イザベルさん、私のことなんだと思ってるんですか?」


 マクシミリアンは唇を尖らせる。


「王立騎士学校センシティブ科主席卒業生」


「なんですか、それ」


 呆れた顔をしていたマクシミリアンだったが、やがてその表情が照れたような困ったようなものに変わっていく。


「本当は、その……昔みたいに頭を撫でてほしいです」


 しかし、言った途端、マクシミリアンは真っ赤になった顔を慌てて覆う。


「すみません、こんな恥ずかしいこと言って! いい年して何言ってるんだって感じですよね。やっぱりやめ……」


「前にも言ったろ。何歳になったって変わらないって。私は君のことが大好きだよ」


 マクシミリアンの頭に、ぽん、とイザベルの手が置かれる。さらさらの髪の毛をくしゃっとすれば、マクシミリアンはゆっくりと手を顔からはなす。


「本当に、帰ってきてくれたんですね」


 マクシミリアンは眉を下げて、泣きそうな顔で笑った。


「お帰りなさい、イザベルさん」



 マクシミリアンが病に倒れたという知らせは、瞬く間に王国中に知れ渡った。騎士団長の職を辞任させるべきという声も一部ではあったらしいが、ティオレーがなんとか収め、休職という形にしてくれ。国民たちは彼の容態を心配すると同時に、そのせいで魔物被害が再び活発化するのではないかと懸念した。


 マクシミリアンの抜けた穴を埋めるべく、イザベルは臨時の騎士団長代理として前線に立つことになった。二十年前の実績、そして直近のティオレー王女暗殺を防ぐという功績が、彼女の役職就任の後押しとなった。


 だとしても、ぽっと出の騎士団長代理と、特に若い世代はイザベルに否定的だった。しかし、その態度は一月と持たなかった。圧倒的実力を目の前にした彼らは、反発から恭順へとそのスタンスをひっくり返した。今に至っては、遠くにイザベルの姿を確認しただけで、九十度直角の礼をするまで「教育」されている。


「そういうわけで、二十年前同様に私はビビり散らかされているというわけだ。それにしても王国騎士団は、この二十年で腰抜けになったんじゃないのか。騎士団長が甘やかしすぎと見える。まあ、私が鍛えなおしてやるから安心するといい」


 昼休憩で現場から抜けてきたイザベルは、マクシミリアンの枕元の椅子に座り込んだ。


「その騎士たちが羨ましいです。私だってイザベルさんに怒られながら、厳しく教育されたい」


 マクシミリアンは唇を尖らせる。


「マックス、鍛錬を自分の性癖を満たすために使うんじゃない」


 マクシミリアンが病床に伏せるようになってから、早いもので半年がたった。これまで何度か危険な状態に陥ったが、なんとか持ち直して今は小康状態を保っている。しかし、何しろ事例がないのだ。明日にでも回復するかもしれないし、もしかすると生涯このままかもしれない、というのが医者の言うことだ。


「そういえば、もうすぐ剣闘祭ですね」


 剣闘祭は毎年春に行われる騎士団の名物行事だ。サザーランドの騎士であれば誰でも出場が可能で、階級や身分にかかわらず、完全な実力によって勝敗が決定する。自分の腕の見せ所と、血気盛んな若い騎士たちはこぞって参加する。


「イザベルさんはもちろん出場するんでしょう?」


「つい最近まで、危ないことをするなの超過保護だったくせに、いきなりスタンスを変えてきたな」


「だってイザベルさん、剣闘祭マニアじゃないですか」


「剣闘祭はいいぞ。名もなき騎士たちが、一発逆転を狙って先輩や上司をぼこぼこしていく。あの日しか味わえないギラついた雰囲気がもうたまらないんだ!」


 イザベルは鼻息を荒くした後、

「でも、危ないことはやめるよ。マックスのこと、心配させたくないし」

と、表情を和らげる。


「ええ、今でもあなたのことは心配ですよ。討伐任務に行くことだって、ずっとずっと心配してるんです。大好きなあなたには傷の一つでもおってほしくないから」


 マクシミリアンはそう言った後、

「でも、気付いたんです。私はきっと、強く気高いあなたのことを愛していたのだと。だからもう止めません。剣闘祭、全力で戦ってきてください」

と、穏やかなまなざしで言った。


「……そうか。だったら話は決まったな。絶対に優勝してくるから、楽しみにしているといい」


 その時、イザベルのポケットから呼び出し音が鳴る。


「時間だ。また明日も来るよ」


 現在のイザベルは適当な部屋を王都の一角に借りて、そちらに移り住んでいる。そして毎日昼休みにマクシミリアンの見舞いに訪れるのだ。


「私たちを引き裂くなんて相変わらずひどい道具ですね。いっそぶっ壊してやりましょうか」


「好きにしてどうぞ。でも、これ君のだろ。復帰した時にこれが使えなくて困るのは君だ」


 転移魔石はマクシミリアンから借り受けているものだ。こんなものを使わなければならないほど、騎士団長というのは大変なのだ。


「じゃあね」


 イザベルは光の渦の中に姿を消す。


 病に倒れた直後、マクシミリアンは結婚の申し込みを取り下げさせてくれ、と言ってきた。ここで結婚するのは、同情心に付け込んだようで嫌なのだろう。そんなこと気にしなくていい、なんてことは言えなかった。マクシミリアンは頑固でめんどくさくてかっこつけなのだ。


 彼がまた結婚を考えてくれるかは分からない。だから今は待つだけだ。マクシミリアンが再び立ち上がる、その時を。なんといっても、マクシミリアンは二十年も待ってくれたのだ。自分だって二十年、それ以上待つ覚悟は決まっている。


 転移が終わる。イザベルはまた仕事に戻った。

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