第八話 変わらないことだってある
王女暗殺未遂事件以降、イザベルは泊まり込みでティオレーの警護についた。マクシミリアンからもらったドレスは早々にぬぎ、騎士団の制服にそでを通す。
これでいい。これが自分の本来いるべき場所なのだ。イザベルは仕事に明け暮れることで、なんとか余計なことを考えないよう努めた。
警戒体制が明け、イザベルは王女護衛の任を解かれた。もう日が暮れる。どこに帰ろう。足は自然と、懐かしい第七師団の本部へと向かっていた。門をくぐると、練習場に人気はない。どうやら今日は非番の日らしい。
適当にあった剣を拾い、イザベルは一人で立ち回りの練習を始める。剣はいい。振り回している間は無心になれていい。しかし、背後に振り下ろした彼女の剣、それを受け止める人物がいた。
「魔界帰りでまた一層強くなったみたいだな」
「アドルフさん……」
記憶の中の彼よりしわが増えて、髪の毛が白くなっているが、懐かしい顔は忘れるはずがない。
「よっ、元団長殿。戻ってきたんだったら、顔くらい見せに来いよ」
軽口をたたいた後、
「で、何があった? ここでぶんぶん剣を振り回してる時は、たいてい何か悩んでる時だろ」
と、鋭くついてくるから、何年たってもアドルフにはかなわない。
本部の詰所に招き入れられ、イザベルは適当な椅子に腰を下ろす。そしてマクシミリアンとの間にあったことを語ったのだ。
「それにしても、まさかあの子が騎士団長とはな。ちっこい頃は泣いてばかりの弱虫だったのに。誰がどうなるかはいよいよ分からないもんだ」
アドルフは感慨深げにため息をついた。
「私だって信じられません。マクシミリアンが、まさかこうまで変わってしまうなんて」
イザベルは目を伏せる。
「そりゃあ変わったさ。お前を助けるためにな」
「え?」
イザベルは顔を上げる。
「二十年前、お前は裂け目に飲み込まれて消えちまった。誰もお前を助けられなかった。国も、魔術師たちも、そして俺たちも。その中で唯一あきらめなかったのがマクシミリアンだ。騎士団長になったのも、伯爵になったのも、全部お前のため。権力と財力を手に入れたあいつは、それまで禁忌だった魔界への踏み込みを国に認めさせた。そしてお前の夢、魔物の駆逐も自分が引き受けた。いつか帰ってきたお前が、今度は魔物から解放された人生を送れるようにな」
「でも、マックスはそんなこと一度も……」
「そりゃ言わないさ。惚れた女に自分の頑張りを語るなんて、かっこよくないからな。そういう男の子心ってやつだよ」
アドルフは訳知り顔でうなずく。
「お前を騎士に復帰させたくないのは、お前のことを不自由にしたいからじゃない。ただ、お前には守られていてほしいんだ。二度と危ない目にあって傷付いてほしくないから。あの子は優しい子だよ。それはお前が一番分かってるじゃないか」
イザベルは二十年前――八つだったマクシミリアンを思い出す。イザベルが任務に赴く前、行かないでと泣きついてきた、あの時と変わっていないんだ。今のマクシミリアンはずっと怒っているのだと思っていた。だけど、そこにあったのは怒りじゃない。ただ深い悲しみだったんだ。
「マクシミリアンはずっと変わりたがってた。お前に守られるんじゃなくて、お前を守れるようになりたいってな。でも、変わらないことだってある。あいつはお前のことが大好きなんだ。二十年前も、そして今も」
自分はひどい奴だ。あの子のこと、一番分かってあげなきゃいけなかったのに。その努力を踏みにじって、その上それに無自覚で。
謝らなければ。今すぐに。
アドルフに大急ぎで礼を言って、イザベルは詰所を飛び出した。
*
日が落ちた後の来訪にも関わらず、屋敷の主人は不在だった。
「マクシミリアン様はまだお戻りになっていません。お仕事が忙しいようで。いつものことなのですけど」
メイドたちに言われるまま、イザベルは彼が帰るまで彼の部屋で待つことになった。
マクシミリアンの私室は飾り気のないものだった。大した家具も置かれていない中、壁の一面には巨大な地図が貼られていた。これは……魔界の探索地図だろうか。裂け目の出現状況、周囲の魔物の生態、そして人の痕跡の有無。細かい文字でびっしり書き込まれている。
その時、背後で何かが光った。マクシミリアンが部屋に直接転移してきたのだ。どうやらこちらの存在には気付いていないらしい。
マクシミリアンはひどく疲れ切った様子だった。いつも自分に見せていた姿とはまるで別人だ。目に見えて生気はなく、実際より何十歳も老けているように見える。ローブと上着を乱雑に脱ぎ捨てると、彼は足を引きずるように椅子に向かい、倒れ込むように腰を下ろした。
「あ、あの……。勝手に待たせてもらって申し訳な……」
「イザベルさん!?」
マクシミリアンは飛び上がる。
「帰ってきてくれたんですか……!?」
思わず顔を輝かせたマクシミリアンだったが、すぐに深刻な面持ちで顔をそむける。
「あなたの顔を見る資格が私にはありません。あなたには二度と傷付いてほしくなかったのに、ほかでもない私自身があなたを傷つけてしまった。私は……私を許せません」
マクシミリアンは握った拳を震わせる。
「全部私のせいです。私が暗殺者を見つけていればよかった。私が二十年の間に魔物を駆逐し終えていれば、あなたが騎士団に復帰する必要はそもそもなかった。全ては私の力が及ばないせいなのに、あなたのことを責めて……。本当に弱い人間です」
「そんなことない。マックスは今まで私のために十分すぎるくらいやってくれた。私の方こそ、それに気が付かなくて悪かった。謝るのは私の方だ」
「私のしたことを許してくれるんですか?」
「当たり前だろ。子供のしたことを許さない親がいるか」
マクシミリアンは言葉が見つからないように、口を開けて閉じてを繰り返した。
「……ありがとう、ございます」
安心したのか、マクシミリアンは大きく息を吐くと、両手で頭を抱え込むように身体を折る。
「君、大丈夫なのか? さっきから調子が悪そうだ」
「少し疲れただけです。申し訳ないのですが、薬を取ってくれませんか。上着の裏ポケットに入っているので」
いつも飲んでいた小瓶だ。蓋を開けると、強い臭気がつんと鼻を突く。生き物としての勘が、これはやばいと告げている。
「なあ、マックス。これ、気持ちを抑える薬なんかじゃないんだろ。もしかして何か病気なんじゃないのか」
マクシミリアンの顔色は真っ青だ。今気が付いたが、身体も小さく震えている。眼球も充血してまるで何日も寝ていないみたいだ。
「心配いりませんよ。だって私はもう大人で、強くなったんですから。イザベルさんのこと、ちゃんと守れるくらい……」
いつものようににこにこで立ち上がったマクシミリアンは、しかし次の一歩を踏み出そうとして、頭から床に倒れた。
*
「ついに来るべき日が来てしまったようですね」
診察を終えた医者は、部屋の外に立っていたイザベル、そして使用人たちにそう告げる。
「マクシミリアン卿はここ十数年間、人間の限界を超える働き方をされてきました。二十四時間稼働し続け、魔物の討伐任務、独自での裂け目の研究、そして貴族社会の付き合いをこなす。とっくに身体はぼろぼろです。この薬は鎮痛剤のようなもの。身体の悲鳴を押さえつけて、表に出てこないようにしてきました。しかし、もはや今、その限界に達したということです」
「どうしてここまで……」
「並大抵の努力ではないのです。一代で騎士団長、そして伯爵まで成り上がるというのは」
それに、と医者は言葉をつなぐ。
「間に合わなくなる、というのが卿の口癖でした。もたもたしていたら、魔界であなたが命を落とす。一刻も早く助けに行かなければならない。だから、自分の持てる時間全てをあなたのために使うのだ、と」
自分のせいだ。そう思うと、申し訳なさと悔しさで息ができない。
「マックスはどうなるんです……?」
「分かりません。我々にできることは、卿が回復するのをただ待つだけです。それもこれも卿の体力次第ですが」
医者が帰った後、屋敷は重く静まり返った。メイドたちの中には涙を流して崩れ落ちる者たちもあった。それを慰めながら、イザベルは自分にその資格がないことを知っていた。




