第三話 どうか私と結婚してください
「うそ、だろ……」
そんなはずがない。自分の知るマクシミリアンは小さな子供だ。こんな背丈の大きい大人じゃない。そもそも、こんな風に魔物を一撃で仕留められるような子じゃないのだ。そう思うのにーー
ああ、同じだ。笑った時に少し困り眉になるその顔が。湖のように静かで透き通った瞳が。目の前の彼が記憶の中のマクシミリアンと重なる。
「せっかくの再会ですが、残念なことにゆっくりしている時間はなさそうです」
「え?」
「裂け目が閉じる前に元の世界に戻らなければ」
マクシミリアンの指し示す方向を見れば、上空に裂け目が出現している。
「でも、どうやって上に……」
「まあ、任せてくださいよ」
イザベルが台詞を言い終えるより早く、マクシミリアンは彼女の身体を抱き上げる。そして、死肉をついばみに降下してきた大鳥の背に飛び乗った。そこから素早い身のこなしで、鳥たちの背を次々に飛んでわたっていく。恐ろしく高い身体能力だ。
そして二人は裂け目に飛び込んだ。瞬間、爽やかな風がイザベルの頬をくすぐる。魔界の薄暗さに慣れた瞳に、夕暮れの橙色の光が突き刺さる。
「戻られたぞ!」
裂け目の向こう側には、騎士や魔導士と見られる人々が大勢控えていた。討伐後なのだろう。あたりにはおびただしい魔物の死体が転がっている。
「そちらの方は、まさか……?」
イザベルに気が付いた魔導士が目を見開く。
「ああ、ついに見つけたのだ。私の悲願が実現した」
マクシミリアンの台詞に、集まった人々がどよっとざわめくのが分かる。
「この方は私が屋敷にお連れする。上への報告はその後だ。君たちはその旨を伝えてくれ」
そう宣言するや、興奮冷めやらぬ様子の人々を置き去りに、彼はポケットから転移魔石を取り出す。あっという間に足元には魔法陣が広がり、次に目を開けるとそこは巨大なエントランスホールだった。頭の上にはクリスタルのシャンデリアが眩いばかりに輝いている。
「「おかえりなさいませ、旦那様」」
現れた使用人たちがマクシミリアンをそう呼ぶ。どうやら彼はこの家の主らしい。
「帰ってきてそうそうですまないが、さっそく仕事を頼まれてくれ。ついに彼女を魔界から救出したのだ。まずは身体を清め、その後医者にみせる。くれぐれも丁重に扱ってくれよ」
主の指示に使用人たちはさっそく行動を開始した。ようやく横抱きから解放されたイザベルは、メイドたちに引き渡されそうになる。
「心遣いはありがたいが、そんなことより状況を説明してくれないか!? さっきから私は君についていけていないんだが!」
イザベルはマクシミリアンに掴みかからん勢いで問いかける。
「不安にならなくて大丈夫ですよ。私がついてるんですから」
「いや、その不安の最たる要素が君なんだよ!」
「そういうことで、後でまた会いましょうね、イザベルさん」
そう言って、マクシミリアンは強引にイザベルをメイドに引き渡す。引っ張って行かれるイザベルに、マクシミリアンがにこにこで手を振っている。だめだ、この人間話が通じない……。
かくして、いやいやというていで湯浴み場に連れていかれたイザベルだったがーー。
極楽だ……。温かいお湯、足を延ばせるくらい広い湯殿、そこはかとなく漂ういい香り。おまけにメイドたちが付き添いで世話をしてくれて。まさに至れり尽くせりだ。
風呂から上がれば、着替えと医師による診断が一緒に行われる。ちょっとした切り傷などを手当てされた後、ワンピースのような寝巻を着せてもらう。
うん、あれだな。悪く……ないな。イザベルは久々の現世を堪能した。
「このお部屋をお使いください」
屋敷の一室に通されれば、そこにはどこぞやのご令嬢が暮らしていそうな部屋が広がっていた。品のいい調度品に、こまごまとした小物。おまけに天蓋付きのベッドまで備わっている。
なんだか懐かしい。子供の頃はこんな生活をしていたっけ。ちょっとした感傷に浸っていたイザベルは、扉をノックする音にびくりと飛び上がる。
「部屋は気に入っていただけましたか?」
扉を開けて入ってきたのは屋敷の主、自称マクシミリアンだ。
「いつかあなたを迎えられるよう、整えておいたかいがありました。何か足りないものがあれば、どうか遠慮なく……」
「そうだ! そんなことより説明だ!」
イザベルは本題を思い出す。
「一体全体何が起きてる? なんで君はそんなに大きくなって、おまけにばかみたいに強くて……。というか、そもそも君は本物のマックスなのか?」
「まいったなあ、本物ですよ」
疑いの目を向けられ、マクシミリアンは両手を軽く上げる。
「もしも証明が必要なら、そうだ。ケルベロス討伐後の打ち上げで、イザベルさんが酔った勢いでやった一発芸を再現……」
「しなくていい!」
黒歴史を蒸し返され、イザベルは震えた。
「どうやら君は本物のマックスらしい。だったら次は、どうしてそんな姿になってるのかを説明してくれ。まさか、変な魔術にでもかかったのか……!? 誰にやられた!? 私がぶん殴ってきてやる!」
鼻息を荒くするイザベルを、どうどう、とマクシミリアンは落ち着かせる。
「そうですよね。何から説明するのがいいでしょうか」
少し考えこんだ後、
「ときにイザベルさん。あなたの体感として、魔界で過ごした期間はどれくらいですか?」
と、マクシミリアンは聞いてくる。
「数か月ほどだ」
「やはりそうですか」
マクシミリアンは頷いた後、言葉を続ける。
「私は長年魔界の研究をしているのですが、その中で面白いことが判明していましてね。魔界と現世では、どうやら時の流れのスピードが異なっているらしいのです。裂け目が開いている間は、その差はほとんど存在しない。しかし一度閉じたら最後、その差は加速する。つまりーー」
イザベルの背中をいやな汗が流れる。
「あなたが魔界で数か月を過ごしている間、こちらの世界では二十年が経過しています」
信じられない言葉にイザベルは息を止める。しかし、マクシミリアンは噓を言っていない。育ての親だからこそ、そのことは誰よりも実感できた。
「私は二十年後、二十八になったマクシミリアンです」
そう言って、マクシミリアンはふっと笑った。
「マックスが……二十八……」
気持ちの整理がつかないまま、イザベルは改めてマクシミリアンの姿を観察する。
人形のように整った顔立ちは昔と変わらない。しかし、身長はあの頃と比較にならないほどぐんと伸び、今では並の男性より頭一つは抜けている。身体つきはすらりとしているが、服の上からもしっかり筋肉がついていることがうかがえる。そして何より、その自信ありげな表情というのだろうか。
子供の頃はかわいい系統だったはずなのだが……。イザベルは首をひねる。てっきり深窓の貴公子様タイプに進化すると思いきや、こっち方面に進化するとは予想外だ。
「驚いたなあ。こんな……うん、随分いい男になったじゃないか。世の女性が放っておかなさそうだ。さては、もてるな?」
動揺を隠しつつ、イザベルは親指を立てて頷く。一応はほめたわけだが、どういうわけかマクシミリアンは唇を尖らせる。
「世の女性じゃなくて、イザベルさん自身がどう思うのかが知りたいです。イザベルさんは私を放っておかないでくれますか?」
「はあ? どういうことだ?」
「私のことを好きだと言ってほしいんです、男として」
「おとことして……」
一瞬、音の意味が分からなかったイザベルだったが、ひとたび理解した瞬間、心臓が大バク転を決めた。
「男としてとか、いきなり何言ってるんだよ、マックス。君は子供みたいなもので、そういう風なことを思うわけないじゃ……」
「あなたはずっとそう思っていたかもしれません。でも、私は一度としてそう思ったことはありません。二十年前からずっと、一人の女性としてあなたを愛しています。だから、あなたにも私を男として好いてほしいんです」
「いやいやいやいや……。流石に十五も下の子供に手を出すのは許されないだろ。私を犯罪者にさせないでくれ」
イザベルは無意識に身体を後ずらさせる。
「言ったでしょう。今の私は二十八で、あなたより五つも年上なくらいですよ」
マクシミリアンはイザベルの手を掴み、身体を引き寄せる。
「二十年がたったことは、私にとっては皮肉にも都合がいい展開となりました。親子ほど年が離れたままでは、あなたはきっと私のことなど相手にしてはくれなかったから。でも、今は違う。あなたに守られる子供でなく、一人の男として向き合い、そして愛を伝えられる」
マクシミリアンはイザベルの手をとったまま、おもむろに床に膝をつく。それはまるで騎士が主君に永遠の忠誠を誓うかのように厳かだった。
「愛しています。どうか私と結婚してください」
瞬間、頭の中が真っ白になってーー
「じょ、冗談はよせ。こういう冗談は悪趣味だ!」
イザベルは顔を背けようとするが、その顎をマクシミリアンの指がとらえる。
「私は本気ですよ。何なら、今証明してみせましょうか」
そう言って、マクシミリアンが顔を近づける。やばい。これは、あれだ。口付けがくる……! イザベルが思わず目をつぶるとーー
「なんちゃって。どきどきしてくれましたか?」
こつん、と額をぶつけられ、目を開ければにぱっと笑うマクシミリアンの顔がそこにある。
「な、なんて真似するんだ! こんな、センシティブな!」
からかわれたのだ。そう気付いたイザベルは、頭から湯気を出す。
「どうしちゃったんだよ、まったく……。昔はあんなにかわいいいい子だったのに」
マクシミリアンの変貌ぶりに、イザベルはおろおろとする。いきなり大人になっているだけでも仰天ものなのに、こうも性格が変わっているなんて思考のキャパオーバーだ。
「私は昔からこうですよ。ずっとイザベルさんのことが大好きで、私だけのものにしたくてたまらなかった。変わったのは、覚悟を決めたことだけです。二十年前、あなたを失った絶望の中で、私は決めたんです。必ずあなたを取り戻し、今度こそ私のものにする。そのためにはどんなことだってするって」
天使のような顔で微笑むマクシミリアン。しかし、彼はもうあの時のかわいい少年ではないのである。
「もう絶対に離しませんから。これからはずっと一緒にいましょうね、イザベルさん」




