第二話 会いたかった……
「なあ、さっきから様子がおかしくないか? さっきアイスを買う列を抜かされたからか?」
城下町を一通り回り終え、噴水前広場にやってきたイザベルは、ベンチに腰掛けるどこかご機嫌斜めのマクシミリアンに戸惑っていた。好物のアイスクリームを買ってやったのに、それにも口をつけようとしない。あのマックスがアイスで喜ばないなんて、これは由々しき事態である。
「結婚……するんですか」
ふいにマクシミリアンはそうこぼした。
「え、ああ……。アドルフさんがなんか言ってたっけな。でも、それがどうか……」
「イザベルさんが他の男と結婚なんて、絶対に嫌です」
見れば、マクシミリアンは目にいっぱい涙をためていた。
「だってそんな奴より、絶対僕の方がイザベルさんのことが好きなのに。それなのに、僕のことを捨てて、そっちに行っちゃうなんて……」
「マックスのことを捨てるわけないじゃないか。それに結婚するつもりはないよ」
イザベルは指で涙を拭う。
「それでも……どうしても結婚しろと迫られたらどうするんですか」
「どうするかな……。ああ、決闘でもしてみようかな。もし私に勝ったら、その時は大人しく結婚しよう。まあ、そんなことはあり得ないだろうけど」
はは、と笑うイザベルだったが、対照的にマクシミリアンは真剣な表情をする。
「じゃ、じゃあですよ。もしも僕が……」
「もしもマックスが?」
そうイザベルに顔を覗き込まれ、
「……何でもないです」
と、マクシミリアンはぷいと顔をそむける。
「マックス坊やが私に隠し事か。なんだか寂しいな」
「そういうんじゃありません。あと、坊やはやめてください。僕、子供じゃないんですから」
マクシミリアンは唇を尖らせる。怒っているつもりなのだろうが、この顔がかわいくて、つい坊やとからかいたくなってしまう。
まさかこんな風になるとはな。イザベルは二年前――マクシミリアンを拾ったばかりの時を思い返す。
当初、マクシミリアンはまったく心を開こうとしなかった。何を話しかけても無反応で、死んだ目をして虚空を見つめるだけの子供だった。
自分は辛抱強く向き合ったと思う。食べ物を口に入れてやった。熱を出した時には付きっきりで看病した。同じベッドで一緒に眠った。それでもマクシミリアンの状態は一向に良くならず、完全にお手上げと言うしかなかった。
そんな中でのある日、イザベルはいつものように討伐に出かけた。マクシミリアンには次の日の昼には帰ると告げていた。しかし、討伐は思ったよりも長引き、おまけに戦闘の最中にイザベルは負傷してしまった。
大した傷ではないが、手当には時間がかかる。結果、彼女は一人遅れての引き上げとなった。
一人で家にいるマクシミリアンについては、大した問題はないだろう。最近は料理もできるようだし。むしろ私がいない方がいいくらいなのかもな。そんなことを考えて苦笑しつつ、イザベルは夜遅く家に戻った。弱り目に祟り目とでもいうのか、その日は夕方から雨が降り始めていた。
そしてようやく彼女が家に帰るとーー。いったいどうしてだ? イザベルは目を疑った。家の前にはとっくに寝ているはずのマクシミリアンが立っていたのだ。
イザベルを見つけたマクシミリアンは、雨の中を全速力でかけてきて、その身体に抱き着いた。
「……お帰りなさい」
絞り出すような小さな声。ああ、ずっと自分を待っていたのだ。心配していたのだ。
「ただいま」
イザベルは思わずマクシミリアンを抱きしめ返していた。震える小さな身体が愛おしくてたまらなかった。
これまで自分は憎しみだけを糧に、魔物を殲滅するために剣をふるってきた。魔物を殺すことだけが自分の全てで、それ以外のものは必要ないと思っていた。
イザベルは小さな男爵家の子供として生まれた。一人娘だった彼女は、蝶よ花よと育てられ、何不自由のない生活を送っていた。だけど、あの日。旅先で魔物に襲われた両親は、自分の目の前で命を落としてしまった。そのショックから立ち直れないでいる間に、家督は親戚のものとなり、気付けば邪魔者として家から追い出されていた。
あの時、自分の人生は決定的に変わってしまった。今ここにあった幸福も、未来で約束されていた幸福も、全てを奪われてしまった。
以来、魔物への復讐だけが彼女を生かしていた。ずっと一人で生きてきたし、これからも一人で生きていく。そのはずだったーー
そんな自分に誰かを愛おしいと思う感情があったなんて。今更ながら、イザベル自身が一番驚いている。
きっとこれが、普通の幸せの欠片のようなものなのだろう。アドルフの言うように、結婚して、騎士団はやめて、魔物のことを忘れて日々を送ることだってできるのかもしれない。
だけど……。ふと見れば、マクシミリアンは機嫌を直したのか、にこにこ顔でアイスを食べている。
「イザベルさんもどうぞ」
視線に気づいたマクシミリアンは、そう言ってアイスを差し出してくる。
この子を守りたい。この子にはーーこの子にだけは幸せでいてほしい。もう二度と魔物に脅かされず、奪われない人生を送ってほしい。そして普通の幸せを手に入れてほしいのだ。そのためなら、自分の人生を魔物討伐に捧げることなどどうってことない。
「マックスは優しいね。でも、いいよ。それは君一人で食べるといい」
そう断った後、イザベルはくしゃくしゃっとマクシミリアンの頭をなでる。
「君の幸せそうな顔が見られるのが私の一番の幸せなんだ」
*
王都近郊イェリング地方に「裂け目」が出現した。その情報が入ってすぐ、第七師団は出撃準備に取り掛かった。今回の裂け目は大きく、発生している魔物の数も多いという。
「どうしても……行かなきゃだめなんですか」
見送りにきたマクシミリアンは、これは毎回のことなのだが、大きな目いっぱいに涙をためる。
「あれ、また泣き虫マックス坊やか?」
「いっつもそんなに泣いて、涙がよく枯れないもんだ」
団員たちにからかわれるが、マクシミリアンはそれでも泣き止まない。
「約束だ。絶対帰る。だからそれまで待っててくれよ。マックスはいい子なんだから」
そしてイザベルがマクシミリアンの頭をなでる。これもまたいつものことだった。
そして第七師団は魔物の討伐へと出発した。討伐はいつも通り、イザベルの圧倒的なパワーで魔物を押し込んでいた。
だからこそーーそれは本当に一瞬の出来事だった。
数が減ってきた魔物に一息をついた新入り騎士。しかしそのすきをついた鳥型の魔物が、鋭いかぎ爪で彼に襲い掛かる。
「ぼやっとするな!」
新入りを突き飛ばしたイザベルは、代わりに爪の間にとらえられてしまう。だが、こんな状況には慣れている。魔物の指を切って、適当に脱出すれば……。
しかし、予想外のことが次の瞬間に起きた。魔物は何を思ったのか、イザベルを掴んだまま上空に飛び上がったのだ。向かう先は閉じかけていた時空の裂け目でーー
「イザベル!」
アドルフの叫びもむなしく、イザベルの身体は裂け目に消え、同時に裂け目は霧散してしまった。
*
全身を襲う鈍い痛みの中、目を開けると、上空を旋回する鳥の群れが目に入る。そうだ、自分は鳥にさらわれて……。おそらく上空から落とされたのだろう。
空には二つの月が浮かび、地表には怪しげな水晶が光り輝く。そして何より周囲の魔素の濃さ。ここがーー魔界か。
人間が魔界に行くことは禁忌とされている。よって、助けが来る可能性はゼロと言っていい。裂け目が閉じてしまった以上、同じ道のりで帰ることもできない。
状況はどこまでも絶望的。しかし、イザベルは立ち上がった。希望を捨ててはいけない。裂け目は再びどこかに現れる。それまで生き延びて、絶対に元の世界に戻るのだ。
それからというもの、イザベルは魔物を殺してまわりながら、あてもなく魔界をさまよった。魔界の環境は過酷だ。地面にはわずかな草が生えるばかりで、食べ物らしい食べ物は自生していない。その上、昼夜を問わず魔物たちに襲撃される。心の休まる時など一瞬もない。
常人であればとっくに発狂して死んでいたことだろう。しかし、魔物の血肉をすすってまでイザベルは生き延びていた。彼女を生かしていたのは、ただひとえにマクシミリアンとの約束だった。あの子に会うまで自分は死ぬわけにはいかない。
それから何か月がたっただろうか。相変わらず脱出の糸口はない。気力ももはや限界だ。砂漠の真ん中でイザベルは膝をつく。
しかし、それがいけなかった。そこは魔物の狩場だったのだ。突如として砂の中から姿を現した巨大な生物は、イザベルを捕食対象としてその大きな口を開く。たちこめる生臭い死のにおい。きっと他の魔物たちもこいつに食われたのだ。
抵抗しなければ。そう思うのに、もはや剣を握る手に力が入らない。これが私の死か。イザベルはうつろな笑みを浮かべる。
ごめん、マックス。必ず帰ると言ったのに、約束を守れなくて。だから、自分のことなど忘れてどうか幸せに生きてほしい。最後にイザベルは願う。
しかし、その時。目の前に迫っていた頭部が、ざんっ、と切り落とされた。降り注ぐ鮮血にぽかんとしていれば、魔物の巨大な身体が勢いよく倒れ、周囲に土煙が立ち込める。
煙の中に映る一つの影――人間だ! 国から助けがやってきたのだ!
まとっている服装から見るに、彼も同じ王国騎士団の一員らしい。年齢は二十代後半程。夜空のような藍色の髪の毛は、後ろで一つに束ねられている。くっきりした平行の眉に、すっと通った鼻筋。薄い唇に尖った顎。あまりにきれいなものだから、一瞬天使がお迎えに来たのかと錯覚してしまった。
剣を鞘にしまうや、騎士はイザベルに駆け寄ってくる。そしてーー
「会いたかった……」
次の瞬間、ぎゅっとイザベルの身体を抱きしめていた。
「ずっと、ずっと探していました。どれだけこの時を……あなたと再び会えるこの時を夢見ていたか。良かった、あなたが生きていてくれて。無事でいてくれて、本当に良かった……」
え、ええと? これは、つまりどういう状況なのだろうか? 自分を抱きしめて身体を震わせる騎士に、イザベルは激しく動揺していた。
心当たりが全くない。こんな美丈夫の知り合いなど自分にはないし、抱きしめられる筋合いはなおさらない。まさか、ナンパ師……? 魔界に?
「すまないが、私は貴殿と面識があっただろうか。いや、もしも忘れていたのであれば、失敬というしかないのだが……」
おずおず顔を上げれば、透き通った湖のような色の瞳が見つめ返してくる。この瞳を知っている。でも、そんな、まさかーー
「私です。マクシミリアンですよ、イザベルさん」
男はそう言って、愛おしそうな顔をして笑った。




