第7話 大人の時間
ランタンを片手に教主は暗い廊下を歩いていた。
子供も大人も寝静まった夜に、オレンジ色の光が孤独に揺らめく。
廊下から尖塔へ入り、長い階段を一人昇る。
頂点まで登りつけた彼は、木製の古風な扉を静かに開いた。
「いらっしゃい」
満天の月を背に、魔女は頬杖を突き、小さなテーブルに体を預けていた。
目も口も細めて笑う姿は悪戯好きの子供の様で、幾百年を生きた長命の威厳は感じられない。
教主は灯りを消し、静かに彼女の対面に腰かけた。
その前に、小皿が一つ置かれる。
白米の握り飯が乗った小さな皿を。
「お夜食よ。どうぞ」
「……相変わらず、節操のないチョイスですね」
教主は微笑みながら、一つ取って齧る。
白い大理石に彫刻を施したテーブルと握り飯は、確かに合う選択とは言えない。
だが、久しぶりに食べる好物が、それを見越して湯気の立つ竹弼と格闘していただろう彼女の姿が、彼にとっては染みるほど嬉しいものだった。
澱粉の甘みに塩の味が合わさり生まれる素朴な美味しさ。
水田は、現状ラミアルス邦にしか存在していない。
「ケーキ、上手く焼けてたじゃない。みんな大喜びだったわよ」
「ですがかなり時間をかけてしまいました。出来上がったのも、用意していただいた材料からすれば小さすぎる……」
「いいのよ。少しずつ慣らしていけばいいんだから。ハンカチも上手く縫えていたし、ね?」
「……恐縮です」
教主の表情は、再び重く沈み込む。
そこに普段のような厳めしさはなく、むしろ失敗を重ねる若者の様。
握り飯を食べる手も止めて黙り込んでしまった彼の手を、魔女はそっと包み込む。
「わたくしこそ、ごめんなさい。いつも貴方の大切な時に傍にいてあげられない……」
「貴女の気に病むことではありません。今回のことも、元を辿れば私の瑕疵でした」
「いいえ。いくら恨みを持っていたとしても、ただの子供が貴方に手を焼かせることなんてないわ。たとえ魔法が使えたとしてもね」
「それは……」
「貴方も疑っているのでしょう、裏で糸を引いている誰かの存在を。だから、リリアルを空けてわたくしの招待に応じた。逃げ延びた獣人の足跡は、こっちに向かっていたから」
「……はい」
「でもね、わたくしは手がかり探しの為に招いたわけではないわ」
魔女が毅然と言い放った言葉に、教主は訝し気に顔を上げた。
彼女の双眸は冷たい月の光を映し、先ほどの無邪気さを全く感じさせない。
頬杖を突いた姿勢は変わらないのに、一瞬でその雰囲気だけが真逆に転じていた。
「わたくしのシティ・マジョラムには獣人も暮らしている。彼らは正当な手続きを踏んで移住してきた疑われる謂れの無い子たち。当然、リリアルへの入邦歴どころか、ラミアルスからの出邦歴もないわ」
「確認済みです。ですが……」
「勇者事件は既に連邦中の知る大事件よ。その当事者の貴方が都市を闊歩していたら、彼らは否応なく不安になるでしょうね」
「……」
「ここにいる限り、勝手な行動は慎んでもらいます。これは、ラミアルス統括としての命令です」
教主は、まだ判断しかねていた。
勇者事件を手引きできるのは、教会の指導者層のみ。
西のリリアル、南のラミアルス、北のアステラ、東のプロテア、連邦を構成する4つの邦にはそれぞれ一人ずつ統括者が存在する。
リリアル統括である教主を除けば、容疑者は三人。
しかし、その誰もに聖女を、あるいは教主自身を害す理由を見出すことが、彼にはできなかった。
現時点での手がかりは勇者とそれを操る黒づくめの少女、そして地下坑道で捕獲した獣人から得た情報のみ。
あまりに少ない手がかりでは、敬愛する魔女すら潔白と断定することができていない。
「だからこの三日間、抜け出したりせずちゃんとリハビリに努めること!いいわね?」
……しかし黒だと断じるには、魔女はあまりにも純粋であった。
「はぁ」
「はぁじゃありません!今自分の体がどうなってるのか本当に分かってるの!?」
「事件前後で年齢にして20ほどの衰えが生じたと聞いております」
「わたくしは老化とかよく分からないけど、それが人間換算でとんでもないのは分かってるからね!?」
彼の体は、現在様々な技術によって辛うじて維持されている状態である。
足りない筋肉の代わりにコルセットをあちこちに巻き、外骨格のように締め上げて体勢を保つ。
失った腕には義手を装備し、内臓も最低限の補修をして少量なら食事がとれるほどに回復させた。
数週間の休養期間を経た後の彼の姿は、以前のように完全復活したと思わせるに十分なものだった。
その裏にはあるのは機械的な部品を脳の自律部分に認識させるために行う涙ぐましいリハビリの数々。
今までの認識のまま体を使えば、柔軟性に欠く部品は力の大きさに耐えられず、反って体を傷つけてしまうだろう。
そのために教主の体が必要としていたのは、力を制御しながら動くための訓練だった。
「今でも気を抜くと制御が外れるのは分かったわ。ボウルが2つぺしゃんこになった甲斐はあったわね」
「……面目ありません」
「だーかーらー!それを今からもっと細かく調整しようって話でしょ!できないうちからしょげないで!」
もはやその場にムードらしいものはなく、あるのはただ説教する親とそれに項垂れる子供。
彼らの関係性は昔から変わらない。
互いに負い目があろうがなかろうが、言うべき時に言うべきことを言う、そんな関係である。
魔女は満足したのか椅子に座り直し、虚空で指を鳴らす。
するとどこからか妖精がふわふわとやって来て、テーブルにガラスの瓶を置いて去っていった。
魔女はそれを手に取り、また悪戯っぽく微笑んで見せた。
「少し飲みましょ。喉乾いちゃった」
「それは?」
「お水」
コルクの栓を抜き、グラスに澄んだ水を注ぎ入れる。
月光を溶かした白ワインのように、二人は乾杯を交わし、精製した雪解け水を楽しんだ。
「ところで、モニカ嬢は元気ですか。晩餐会では姿が見えませんでしたが」
「……元気よ。最近はあんまり上手く行っていないけれど」
「初耳ですね。相談してくれればよかったのに」
「貴方今そんな状況じゃないでしょ……。はあ、子育てって難しいのね……」
魔女に配偶者はおらず、出産経験も無い。
モニカとはは彼女が引き取った養子の名であり、教主とも面識がある。
慈愛に満ちている彼女にかかれば子育てなど容易と思われていたが、案外そうでもないようだ。
「あの子のこと、なんでも分かってるつもりだったんだけどな……」
「侍従で連れてきた二人と彼女は歳が近い、聞き出させてみますか?」
「逆に聞くけど、そういう建前の噛んだ関係をわたくしが望むと思う?」
「……すみません。出しゃばりました」
「いいわ。どのみちわたくしが向き合わないといけないもの……」
今度は魔女が、腹でも下したかのように重い面持ちに変わる。
慰めようにも初手で躓いたことで、教主も上手く言葉を紡げない。
雰囲気がすっかり暗くなってしまったところで、魔女が手を叩いて無理やり切り替えを付けてきた。
「とにかく!明日は朝7時から太極拳よ、寝坊しないでね」
「はい」
「何?わたくしのプランがおばあちゃんみたいとでもいいたげね」
「いえ」
「その後のことはうちの医療チームに任せてあるから、指示に従ってリハビリを続けてちょうだい」
「魔女殿はいかがなされますか?やはり祭りの準備でしょうか」
「わたくしの準備はとっくに終わらせてるわ!もちろんあの子たちと遊ぶのよ!」
「……そんなに楽しみだったのですか?」
「もちろんよ!もー聖女ちゃんったらめちゃんこかわいいんだから……貴方が溺愛するのも納得ね」
「恐縮です」
ころころと変幻自在に変わる魔女の顔色に、教主は呆れたように微笑みを返す。
どれだけ長く生きても彼女の感性は色褪せず、子供の様に無邪気でいる。
しかしながらそれは単なる未熟を意味せず、締めるべきときは年長者らしい決断を見せる。
元来人間でない彼女がこのような精神の成熟を見せるのはケースとして非常に稀である。
だからこそ、教主にとってのレディ・マジョラムはその一挙手一投足が宝石のように輝いて見える。
単に能力が優れているだけではない。
その魂に深く根付いていた愛が、人間との交流で理想的な昇華を果たしたことが、何よりも尊いと感じられるのだ。
「さあ、そろそろ寝る時間よ。歯を磨いて、お布団をちゃんと被って寝なさいね」
「ええ。おやすみなさい。魔女殿」
こうして、初日の夜は更けていく。
彼らの休日は、これから始まる。




