第5話 魔女流の入浴
結局、吹き付けられた液体はボディソープだったことが分かり、彼女らは互いに体を洗ってから一番近い湯舟へと浸かった。
心地よい温度が血管の奥へ染みわたる感覚に、思わず三人の呼吸が合う。
黄金色に満ちるお湯からは花の香りが漂い、疲れた体を癒していく。
光の球は相変わらずあちこちに浮いているが、これ以上何かしてくる様子も無かった。
「なんだろうね、アレ……」
「もう何も分からん……」
「気持ちいいですね……」
「気に入ってもらえたようで嬉しいわ。ふふっ♪」
ごく自然に歓談に混じる声に続き、何かが水に浸かる音がした。
我に返った三人が慌てて音のした方を向けば、そこには先ほど出会ったばかりの魔女が当然のように座り、足を湯に浸けていた。
ドレスも装飾具も全て外した一糸まとわぬ状態で、ではあるが。
「そんなに慌てなくても、わたくしは人を食べる感じの魔女じゃないわよ♪」
「ど、どどどどうしてここに……じゃなくて、こちらに?」
「わたくしの作ったお風呂にわたくしが入ったらダメかしら。それとも……こんなおばあちゃんと一緒にお風呂は、イヤ?」
いたずらっぽく笑う表情に、老いは一片も感じられない。
それどころかこの場の誰よりも活き活きとして、まるで自身がこの世界の中心であることに疑いが無いように思えた。
水に濡れた肌は少女らと遜色ないハリに大人らしい色香を兼ね備え、同性でもなかなか直視できない。
そんな彼女らの混乱を他所に、魔女はゆっくりと自身も全身を湯に浸けた。
引き気味の雰囲気など見て見ぬふりして近寄る魔女に、最初に捕まったのはケイシアだった。
「ケイシアちゃんはお肌がちょっと荒れ気味かしら。忙しくてもちゃんとスキンケアはしないと後に響くわよ?」
「は、はい……」
「モーラちゃんはその点合格ね。ぷにぷにで可愛らしいわ♪」
「褒められてるのか……?」
「そ・し・てぇ……」
少女二人の品評を終え、魔女は本日の主役に照準を定める。
さながら蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった聖女の肩を、魔女はしっかりと捕まえた。
「さっきぶりね。ここのお風呂は気に入ってもらえた?」
「は、はい……あ、でもさっき皆さんが泡だらけに……」
「妖精のことね。あの子たちはいたずら好きなのよ」
「妖精……」
聖女は顔を上げ、周囲に漂う光の球を眺める。
ふわふわと、あるいはふらふらと、当て所なく彷徨う姿は確かに妖精と言われてみればそう見える。
そのうち一つがふわりと魔女の肩に止まると、首筋にくっついて震え始めた。
「この子はまだ生まれたてね。甘えん坊さんなんだから」
「……っこれ、一つ一つが、あの妖精なんですか!?」
「"あの"妖精かは知らないけどね。いたずら好きで、気まぐれで、人間が大好きな、貴方たちの友人よ」
「じゃあ、あの泡噴射もいたずら?」
「そうよ~。勝手に体も洗えるし、いいアイデアでしょ?」
「あんたかい……」
小声で呟いた紫の頭をぽかんと叩くのを他所に、魔女は聖女の体を隅々まで眺めていた。
「うんうん……血色よし、コンディションよし、健康でかわいくて非の打ちどころ無しね。さっすが、教主の愛娘ってところかしら」
「お、お褒めに預かり……恐縮、です……」
湯に束ねて艶やかな髪の一房を手に取り、煙に火照る小さな肩を抱き、剥いた卵よりも丸い頬に指を這わす。
為されるがままの少女からすれば、触診以外でこのように体に触れられたことはない。
加えて眼前には魔女の美貌が迫り、まつ毛の先の水滴や笑みにたわむ豊かな唇のつや一つまでよく見えてしまう。
なんだか無性に恥ずかしく、かといって振り払うわけにもいかず、ただただ為されるがまま。
幸いにも、身も心ものぼせ上がる前に魔女は満足したようで、聖女との間にぱっと涼しい空気が舞い込んできた。
「はい!じゃあのぼせる前に次に行きましょう!」
「つぎ?」
「あら、もしかしてこ~んなに沢山お風呂があるのに、ここだけ入って終わるつもりだった?」
「普通お風呂ってハシゴしないんですよ」
「はしご?」
「あたしもよく知らない」
元気よく湯舟から上がり、水滴を振り落としながら歩いていく魔女に続いて少女らが濡れた床を歩く。
軽やかな足取りで泉質を吟味し、どれに招こうかと長い指を重ねて彼女は思案に耽る。
ようやく一つ決めたところを紹介しようと振り返ったが、いつの間にか少女らははるか後方にいた。
少女らから見ると、目を疑うような光景がこうも短時間に連続するものかと呆気に取られるばかりの時間だった。
濡れた床を滑るように歩き、段差を踏み切っては遥か頭上に浮かぶ水泡の近くでふわふわと浮遊し、何かの様子を確かめる。
そこから見えない滑り台に乗って勢いよく地上へ降り立ち、腕を組んで考え事をしながら背中から前に進んでいく。
もはや魔女が全裸でいることなど気にする余裕はなく、縦横無尽に飛び回る彼女を目で追うのが精一杯だった。
聖女が軽く目を回し、追い付こうと駆けだしたケイシアがバランスを崩して前のめりになったところで、その体がふわりと宙に浮いた。
「あらあら、お風呂場で走ると危ないわよ」
「いや、いやいやいや……」
「おろしてー」
「はい。今度はゆっくり歩くのよ」
「はーい」
「さて、次のお風呂……の前に、ちょっとプレゼントをあげるわね」
魔女が軽やかに指を振ると、少女らの体が一瞬光に包まれる。
次の瞬間にはもうその光は弾け、彼女らの体には乳白色のワンピースが纏われていた。
背中には羽のような飾りが付いており、無意味にぱたぱたとはためいている。
「これは……」
「入浴用のドレス……と言っても、見た目だけなんだけどね。でも、すっぽんぽんでいるよりはかわいいと思わない?」
「はいっ、ありがとうございます!」
「ねえねえ魔女様。この羽で魔女様みたいに飛べない?」
「空が飛びたいの?じゃあ……」
魔女がまたも指を振る。
指の軌跡を輝く粒子が追い、それが彼女の爪先を離れるとふわふわと漂ってケイシアへと絡みつく。
まるで遊びまわる猫のように、それがしばらくくるくると回っていたかと思うと、ぱっと弾けて雪のようにあたりへと降り注ぐ。
次の瞬間、少女の体は見えない手に脇を抱え上げられるかのように浮かび上がった。
「う、おああああ!?」
「ケイシアさんっ!」
「うわ、まる見え」
「見んなバカっ!!!」
「なんとなーくのイメージで飛べるわよ~」
「なんとなーくって……こう?」
動きの悪いマリオネットのように空中でしばらく藻掻いていたケイシアだったが、動きが徐々に定まり、ゆっくりとではあるが立体的に動くことができるようになっていた。
空中に浮かぶ大きな水泡に頭から突っ込んだり、光る球体と列を成して飛んでみたり、上空から大きな浴槽目掛け飛び込んでみたり、彼女は早くも順応し、夢の一時を楽しんでいた。
それを下から目を輝かせながら眺めていた聖女に向けて、魔女は軽く指を鳴らす。
キョトンとした顔のまま同じように小さな体が浮かび上がり、縦横無尽にはしゃぐ先客の方へと勢いよく飛ばされていった。
残ったのは二人。
子供たちがはしゃぐ様子を見ている魔女と、先ほどからそわそわしているモーラである。
魔女は彼女も同じように空へ撃ち上げようと、指先を遊ばせながら後ずさる少女ににじりよる。
「モーラちゃんは、こういうの苦手?」
「あっ、いえ、そうじゃなくて……」
「……ああ、もしかして」
魔女は振り返り、天井付近を見上げる。
二人の少女が光の球と一緒に、十分遠い位置で戯れていることを確認すると、そっとモーラへ耳打ちした。
「胸の辺り、サイズ間違えちゃった?」
「っ……!あ、これ仕様だったんですね……」
彼女も他の二人と同様に乳白色のドレスを身に纏っている。
即席で魔力を纏わせているだけのそれに実態はなく、見た目だけというのは文字通りの意味だった。
しかし、モーラに纏わせたそれに限っては少し違う。
胸部を下から持ち上げるように魔力で編んだ帯を添わせており、彼女の肩に負担がかからないように細工がしてあった。
当人からしてみれば、触れもしない何かに勝手に胸を持ち上げられて不気味極まりなかっただろうが、それも魔女なりの配慮だったというわけである。
「暴れないように押さえてあるから、飛んでも大丈夫よ♪」
「飛ぶのはあんまり興味ないかな……それより、もっとお話を───」
その言葉を遮るように、彼女の両肩が持ち上げられる。
慌てて振り返った背後には、悪戯に微笑むケイシアの姿。
「捕まえた!いくぞピカピカーズ!!」
「ピカピカーズって何っ、ちょ、うわああああああ───……」
すっかり飛行魔法を乗りこなしたケイシアによって、哀れにも連れ去られていく少女モーラ。
上空へ遠ざかっていくその姿を見て、魔女は嬉しそうに微笑むのだった。




