第4話 シティ・マジョラム
更に馬車を走らせること丸一日。
旅の疲れに船を漕ぐ聖女の肩を教主が揺すった。
小さな手で目をこすりながら顔を上げる聖女に、彼は優しい声で呟く。
「そろそろ到着します。魔女殿に謁見する準備をしましょう」
「ふぁい……」
手鏡と櫛で軽く髪を整えていると、窓の外がにわかに騒がしくなる。
小さなガラスで区切られた外を覗くと、道行く人たちが手を振っているのが見える。
それ自体は聖女に取って珍しいものではない。
だから彼女の目を引くのは別にあった。
「教主様。どうしてここのお店はどこもボロボロなのですか?」
「ボロボロ……?……ああ」
「屋根が骨組みだけで、物を売る台に何も乗っていません……」
忙しなく人が行きかう中で、確かに並ぶのは店の骨組みばかり。
少し遠くを見るだけで中枢都市らしい華やかな街並みが広がることもあり、この通りだけがやけに貧相に見えるのも仕方がなかった。
「……そういえば豊作謝肉祭の時期か。あれはお祭りの屋台ですよ」
「屋台ですか?でも、戴冠式の時のはもっと立派でした」
「それはそうです。なにせ、あれはまだ準備中ですから」
「じゅんび……」
「あれに天幕を張ったり、看板を添えたりして、当日になったら台にいっぱい売り物を並べるのです」
「…………ああ!」
ぽんと手を打つ聖女に向かいの二人がやや冷ややかな視線を向ける中、御者の声が客室に響く。
慣性を最小限に、静かに馬車が止まったことを確認すると、まず教主が率先して外へ出た。
差し出された手を取り聖女が続き、最後に残りの二人が新天地の石畳を踏む。
「わぁっ……!」
暖色を基調とした街並みの中央に広がる大広場。
その正面には、大聖堂もかくやの豪華絢爛な城が建っていた。
二本の尖塔は空の果てを突くほどの高さで、壁に散りばめられた結晶が光を受け、まるで城そのものが宝石かのようにきらきらと輝かせる。
絵本の中からそのまま飛び出してきたような、誰もが一度は夢見る理想がそこにはあった。
「教主様!お城です、お城!」
「これが魔女殿の居城です。来年また改築を重ねるそうですね」
「ここからまだ大きくなるのですか……!?」
「建築技術の発展と共に……む」
途中で説明が途切れ、聖女は教主の方を振り返ろうとする。
しかしそれより先に教主が前へ歩み出て、広場の中央で空を仰ぎ見る姿勢を取った。
突然の出来事に聖女が混乱していると、どこからか声が青い空へと響き渡る。
「─────────っかえりぃーーーーーーーーーーー!!!」
聖女は、辛うじてそれを見た。
正面の城、その頂点から何か光る物が伸びた。
その根元から一つの点が飛び出すと、めちゃくちゃに伸びたくった光に沿ってもの凄い勢いで移動する。
大小様々な弧を描き徐々に近づいてきたそれが、ぱっと広場の上空から投げ出される。
逆光に目が眩みながら、それでもそれが何か睨み続けていると、それはとうとう教主の頭上へと落下した。
が、受け止めた彼はそれを勢いそのままに一回転し、再度直上へと投げ上げてしまった。
「ふん」
「教主様っ!?」
「きゃーーーーーーーーっ♪」
楽しそうな悲鳴を上げる人物が布をはためかせて再び落下する。
今度はきちんと受け止められると、その人物は教主の首へ腕を回し、顔へと顔を近づけた。
「なっ、なっ、なっ……」
聖女には後ろ姿しか見えなかったが、その光景が衝撃的なことには変わりない。
あの厳格堅物の彼とこんなに親し気に振舞える女性がいるのか、と。
「……お久しぶりです。魔女殿」
「本当よ、もう!ずーっと忙しい忙しいって顔出してくれなかったじゃない!」
「10年ほど前に大征伐の協力でお伺いしたかと」
「あんな楽しくない訪問はノーカンよノーカン!……まあ、この時期に再開できたことに免じて許してあげる♪」
「恐縮です」
「さて……」
長い脚を翻し、彼女が腕の中からひらりと降り立つ。
渾名の通り赤を基調としたドレスに、雪のように白い手足が映える。
無邪気な声とは裏腹に、見た目の印象は理想的な淑女そのもの。
しかしその華奢な風体にも関わらず、聖女は彼女の存在感に圧倒されていた。
教主が岩肌を剥き出しに聳え立つ山脈だとするのならば、彼女は陽だまりの中で瑞々しく命を見守る大樹のよう。
どうしてか、聖女はそんな感想を抱いた。
「あなたが噂の聖女様ね。お会いできて光栄だわ」
「ひゃっ、お、おひゃよう、ございましゅ……」
「うんうん。挨拶がちゃんとできて偉いわねぇ~♪」
緊張して舌の回らない少女へ魔女は微笑み、頭を撫でる。
教主とは違った優しい手つきで落ち着きを取り戻し、その屈託のない笑みを真っすぐ見つめかえす。
近くで見るとより子供っぽく、ともすれば後ろで控えている二人よりも幼い印象を抱くのが不思議だった。
魔女は聖女から離れると、広場の中央に立つ。
教主に呼ばれて傍へ控えた聖女の周りに騎士が控え、侍従役の二人もそれに倣う。
大して魔女の側には彼女一人だけ。
しかし、それでもその存在感は全く引けを取らない。
背後にある城すら一部として、聖女の前に君臨するように。
「初めまして。わたくしは、神よりこのラミアルス邦を預かる統括者。この邦の自然と芸術を庇護するもの───」
魔女はにこりと笑う。
先ほどの屈託のないそれとは違う、妖艶さを孕む笑みで。
「どうぞみなさん、レディ・マジョラムとお呼びください」
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「お城は大きかったけどさ、お風呂まででかすぎない?天井見えないんだけど」
「わあ……色んな色のお湯がありますよ!」
「入ったら体が溶けたりしないよね……?」
三人の少女の声が湯煙の中を木霊する。
彼女らが脚を踏み入れたのは先ほど目の当たりにした城の一角、中枢都市が誇る大浴場だった。
見渡す限りに広がる浴室内には、湯煙に混ざって光の球が浮かび漂っている。
湯舟の種類の豊富さもさることながら、より目を見張るのは壁に埋め込まれたショーウィンドウだろう。
絵画、彫像、陶器に刀剣、ここは彼女の蒐集品を展示するスペースの一つでもある。
教会を通して一般にも開放されており、城の近くに立ち寄る民の憩いの場所となっているが、今日は貸し切りとなっている。
「ああいうのって湿気てダメになるんじゃないの……?」
「魔女様の魔法でどうにかしてるんでしょ。あっ、あたしこの一番熱そうなやつに入ろっかな!」
「ケイシアさん!先に体を洗わないと!」
「……そうなの?」
「いや知らん……」
「え、えぇ……?」
入浴習慣の違いに三人が顔を見合わせていると、周囲に漂う光の球がふよふよと近づいてきた。
それに気づいたケイシアが掴もうと手を伸ばすも、手の甲をすり抜けてその場に浮かび続けている。
「なにこれ?」
「だから知らんって」
二人の顔が怪訝に歪む。
そこへ、声のような透き通る音が聞こえた。
─────────
「……聖女様?」
「違いま───」
聖女が返答する間もなく、光の球から白い液体がケイシアへ向けて勢いよく噴射される。
顔面でしかと受け止めてなおも噴射は止まらず、もこもこと彼女の体が白い泡に呑まれていく。
「ぶぶぶぶぶ」
「ケイシアさん!?」
「こいつッ……!」
モーラが近くにあった桶を掴み、噴射される液体を防ごうと立ちはだかる。
しかし桶を構えた瞬間噴射が止み、逆方向にいた別の球体から、今度はモーラの背中へと液体の噴射が始まった。
「ぬわーっ!」
「モーラさんまで、って……」
同じように泡だるまになるモーラへ駆け寄ろうとした聖女は気づく。
───自らも既に、光る球体に包囲されていることに。
「……た、助け───」
懇願もむなしく、三方向から浴びせられる液体によって、聖女の全身は瞬く間に泡で包まれていった。




