第3話 ラミアルス邦
「はぁ……さむさむ」
紫髪の少女は、顔を青くして肩を縮め、手を股の内でこすり合わせている。
肩には毛布がかけられており、更に暖を取るために赤髪の少女を引きずり込んで体を寄せていた。
しかし、聖女はその様子に首を傾げる。
窓の外からは心地よい陽光が降り注ぎ、馬車の室内はむしろ暖かいといってもいいくらいだ。
釈然としない様子に対して、教主が口を差し挟む。
「一度に何度も奇跡を行使したため、普段の行いで補いきれない分が降りかかっているのです」
「普段の行い……?」
「神は無条件で力を貸すわけではありません。普段の働き、気まぐれの善行、魔が差した悪行、全てひっくるめて総合的に評価し、使える奇跡の量を一人一人見定めているのです」
「もしケイがあんだけ浄化の奇跡を使ってたら、きっと体が氷漬けになってただろうね」
「ねえあたし暑いんだけど」
「反動は必ずしも同一ではありませんが……今回は、『服を洗う』という行為に照らして体温が下がっているのでしょうね」
「なるほど……」
手を濡らさずに服を綺麗に洗うことができない以上、そこには必ず体温の低下が伴う。
通常の選択なら手が冷えたら温まるまで小休止するという選択ができる。
しかし、奇跡を行使して無理やり大量の洗濯を行った場合、その小休止するという過程は無視される。
モーラの場合は極端としても、実のところ教主も、ある程度体の冷えを感じていた。
「単に便利に扱うだけなら、魔術を習得する方がよっぽど楽でしょうね。あれはあれで才能至上主義なところはありますが」
「ねーセンセー、魔術って奇跡とどう違うの?これから行くラミアルシュって魔術の邦なんでしょ」
「噛んだね」
「うっさい」
掛けられた問いに、教主は少しの間思案する。
聖女のみが見守る中、内容をかみ砕き終えた彼が口を開く。
「大して変わらない」
「はぁ?」
取っ組み合いの最中に、二人の顔だけが正面へ向く。
素っ頓狂な返事を意に介すことなく、彼は続ける。
「魔術は魔力を利用して現象を起こし、奇跡は神の力によって現象を起こす。異なるのは発生過程のみで、起きる結果に大した差は生まれない」
「そんなことないでしょ。都市を守る結界とか、魔術で再現するのはムリってママ言ってたし」
「選んだ対象のみを通さない壁を作ることは魔術でも可能だ。都市全体を覆う大きさを維持するのは非常に困難だが」
「じゃあやっぱり違うじゃん。神様にしかできないなら、それが魔術と奇跡の差でしょ?」
「いや……」
教主は言葉尻を濁し、窓の外へと目を向けた。
日は傾き始め、空は少しずつ赤らみ、暮れていく。
その赤を鮮やかに映し出す雲のスクリーンを眺めながら、つぶやくように彼は言った。
「ラミアルスに行けば自ずと分かるだろう。私の言葉なんかよりも、な」
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馬車は道程の最中でいくつかの都市に停泊する。
あらかじめ話を通していた宿の厩を借り、長旅と戦闘の疲れを引きずって騎士たちはぞろぞろと食事を取りに出かけて行く。
教主一行は別行動で、教会で食事と睡眠を取ることになっていた。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
「センセー。もう部屋行ってもいい?」
「えー。ちょっと外走ろうよー」
「あんたと違って日誌付けないといけないの」
一足先に部屋へ戻っていった侍従の二人を見送った後、教主と聖女は現地のシスターが出してくれたお茶を味わっていた。
砂糖と香辛料の効いた独特の味わいに初めは面食らった聖女だったが、すぐに顔がほころんでカップを両手で握りしめるようになっていた。
真面目そうな印象のシスターは、かけた丸い眼鏡を直しながら整然と話し始める。
「この後、余暇時間を一時間挟んだ後に就寝となります。明日の起床時間は朝6時。これはここの教会の習慣なので、ご了承ください」
「問題ない。普段通りだ」
「寝室は二階となります。鍵に部屋番号があるので、そちらをご覧ください。それでは、おやすみなさいませ」
必要な事項の伝達を終えたシスターは、さっさと食堂を後にした。
残った教主と聖女は、しばらくの間、静かに香辛料の香りに身を委ねていた。
「なんだか体がぽかぽかしてきました」
「生姜も入っているようですね。血行を良くする作用があります」
「そうなのですね。甘いお茶なんて初めて飲みました。なんだか悪いことをしている気分です」
「就寝前の歯磨きは念入りにしましょうね」
「はい」
空いたカップを職員へ渡し、二人は暗い階段を上っていく。
すっかり昇った月明かりが、窓辺を通りがかった聖女を誘う。
「今宵も、良い月が出ていますね」
「そうですね。今日の月はなんだか広々している感じがします。ラミアルス邦だからでしょうか?」
「外壁が無いから景色に解放感があるのでしょう。そういう意味では、ラミアルスの都市特有と言えるかもしれませんね」
「ふうん……あら?」
聖女は首を傾げ、反射的に言葉を返した。
「都市なのですか?村ではなく」
「はい。ここはれっきとした都市ですよ」
「でも、壁が……」
聖女は再び、窓の外へ目を向けた。
広々とした平地の只中に、人々の暮らす家や仕事のための工房が並んでいる。
かのシスターのように整然と並べられた建物の様子を見ていると、確かにここは都市なのだと直感させられる。
しかし、その向こうに見える青々とした草原は、普通なら都市の中から見ることは叶わない。
通常の都市は、魔物の進行を防ぐために外壁で全周を覆うことになっているためだ。
「村は規模が小さいから、シスターの貼る結界だけで十分だとは聞いたことがありますが……」
「はい。現に彼女の信心では、この範囲を覆うのは難しいでしょう。すぐに突破される脆い結界がせいぜいかと」
「でしたら……」
「昼間、こんな話をしましたよね」
『選んだ対象のみを通さない壁を作ることは魔術でも可能だ。都市全体を覆う大きさを維持するのは非常に困難だが』
聖女は昼間の記憶を呼び起こす。
なんでもない話のように思えたが、このラミアルスという邦を端的に表す一言だったのかもしれないと朧げに思い至った。
そして、それを実現できそうな人物にも心当たりがある。
「魔女……」
「正解です。この都市の結界は魔女殿によって強化されています。それこそ、物理的に石を積み重ねるよりも遥かに強固に」
「そ、そんなにですか……?」
「『あんな狭苦しい壁の中に民を閉じ込めるなんて耐えられない』と、ラミアルスの中では都市の外壁を建てることを禁じたのです」
「と、都市全部にですか!?」
「はい」
ラミアルス邦は決して狭い邦ではない。
面積でいえば4つある邦の3番目、うち2番目はほとんどが人の居住に適さないため、人の住む面積で言えば実質リリアル邦に次ぐ広さを誇っていた。
そこに建立する全ての都市に、あの巨大な石の壁と同等の結界を常時貼り続ける、その偉業の壮大さを、聖女は正しく想像できない。
もちろん、想像できないなりに規格外であることが分かれば十分である。
「もちろん限界はあるので、連邦全体にその力を及ばすことはできません。あくまで手の届く範囲で、ということですね」
「そ、それでも、とんでもないことなのではないのですか……!?」
「はい。……ご覧ください」
教主は聖女の肩に手を置き、窓の外を指差した。
聖女の目に入って来るのは先ほどと変わらない、世界そのものの広々とした光景。
きっと日が昇れば、また違った色を以て鮮やかに窓の外を彩るのだろう。
「魔女殿は"美しさ"を愛しています。自然の中に根差す人の営みも、その一つ」
「"美しさ"……」
「これこそが、ラミアルスという邦。レディ・マジョラムという人の生き方そのものでございます」
たった数行の言葉を添えるだけで、何の変哲の無い夜景が絵画のように息づき始める。
眠らぬ人の灯りの一つ一つは、夜空の星にも負けぬ輝きを放つ。
月に照らされた暗闇はただの黒から極彩の重ね合わせへ、耳に届くのは静寂ではなく風の奏でる子守歌へ。
今まで何気なく見つめていた景色からなだれ込む情報量に、彼女の脳は圧倒される。
だが、それが心地いい。
見たい、知りたい、意味付けたい。
高次の欲求を燃料に回る脳は下垂体から甘露を染み出させ、それは先ほど飲んだミルクよりもはるかに美味に感じられた。
「聖女様」
「……はい」
「良い、月でしょう?」
聖女は黙って頷いた。




