第2話 なだらかな道
途中で休憩を挟みながら、馬車の旅路は続いていく。
時折遠くに望む村々の柵からは、人々が手を振っているのが見える。
話を聞いた村人が、聖女や教主の乗る馬車を一目見ようと集まっているのだ。
思い思いに祈りを捧げたり、手を振ったりしている姿に、聖女は思わず手を振り返してしまう。
しかしどう考えても無意味だと気が付いたのか、振り終えてからしょんぼりと肩を落とすのだった。
そんな静かで穏やかな道のりの中で、教主がふと呟いた。
「モーラ」
「えっ?……あー、はい」
「なになに急に手なんか握ってどうし───」
ピリリリリリ──────!
ころころとした甲高い音が車外から響き渡る。
それを皮切りに外から重い物が落ちるような音や、荒々しい怒号が続けざまに響き渡る。
伝わり聞こえる物々しい雰囲気に聖女が体を強張らせると、その肩に教主がそっとケープを被せ微笑んだ。
「大丈夫です。この規模なら20分もかからないでしょう」
「あ、あの、外で一体何が……?」
「魔物が出たのです」
聖女の顔色は、ものの一瞬で蒼白に染まる。
脳裏には先日の光景が鮮明に浮かびあがり、ありもしない鉄の香りが鼻先をくすぐった。
魔物とは、人類の敵である。
何の変哲もない動物から変化し、人類への攻撃に特化した不合理な形態へと身体を作り替える。
なぜ人間だけを狙うのか、どのように体を作り替えているのか、何が魔物と動物の境となるのか、全ては研究中とされている。
教会はその脅威から身を守るべく、神から賜った奇跡の力で結界を貼り、魔物と生存区域を明確に隔てていた。
そして馬車で結界の外を移動する場合は、このように必ず護教騎士の同伴が必須であると定めたのだ。
「規模2!あれは鳥か……?やけに足の長い……」
「距離を取って脚が届かないようにしろ!畳んでる爪がかなりデカいぞ!」
「取り巻きはこっちで引きつけます!そっちは任せました!」
随伴する馬車から飛び出した騎士たちが、淀みなく戦線を構築し対処に当たる。
盾を構えた騎士が注意を引き、その裏で奇跡を行使する騎士が牽制しながら必殺の瞬間を狙う。
今回同伴している騎士団は、聖女の護衛だけあって精鋭が揃っている。
相手が変異の著しい固有種だとしても、遅れを取ることはない。
一方で、騎士にも関わらず車内に留まっている者もいる。
「むぅ~~~~~~~~~~」
「討伐中ずっと唸ってるつもり?」
「じゃあ手離して」
「ダメ。あんたが本気になったらあたしじゃ追い付けないから」
ケイシアも、子供ながらに護教騎士の一員である。
魔物討伐にも参加経験があり、本人の交戦的な気質もあって危なっかしいとはいえ人並み以上に働いていた。
しかし、今回彼女は魔物との交戦を許可されていない。
それは単に聖女の護衛役であるというだけが理由ではなかった。
「ケイシア。気分はどうだ」
「魔物の気配でむずむずするけど……別に我慢できないほどじゃないし……」
「ケイシアさんがどうかされたのですか?」
「先日の事件で意識が無いまま魔物と戦っていた、ということで、今回はその経過観察も含めているのです」
「ああ、なるほど……」
時間が経って幾分か落ち着いた聖女が、傷ましい記憶を思い起こす。
結界が破られ、魔物と直接対面することになったあの瞬間の少し前に、一人の少女がバリケードを飛び出したという報告だけを彼女は聞いていた。
そして結局、いつの間にか保護され、いつの間にか復活していたということしか聖女は聞かされていない。
「ねえ教主様~!本当になんともないから戦ってきちゃダメ?」
「なんともないかは私が決める」
「ケチ!あとモーラ手汗ヤバい」
「あっそ」
「あああああ手首が折れる!!!!」
繋がれた手を押さえて顔を白黒させる姿に、聖女は思わず吹き出してしまう。
緊張した雰囲気もどこへやら、話題は当時の何でもない思い出話へと移っていく。
外では文字通り命がけの戦闘が行われており、傍から見れば違和感を覚える光景に見えるだろう。
教主は外の様子に耳を立てながら、中の微笑ましい様子に目を細める。
少なくとも彼にとっては、この状態は全く望ましくないものではなかった。
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甲高く不気味な断末魔が響いたかと思うと、全身血みどろとなった騎士が窓の外に立っていた。
教主が聖女の視界を塞ぐように、中腰になって応対する。
「終わりました。損害はゼロです」
「ご苦労。後処理に戻ってくれ」
「はっ」
血が散らないよう静かに敬礼を返し、騎士は去っていく。
それを見送った教主は、足元の荷物から一冊の分厚い本を取り出すと、ゆっくりと馬車の外へと出た。
「教主様?どちらへ……」
「後片付けの手伝いです。ケイシアも、来たければ来ていい」
「……いや~魔物の死体なんか見たらまたおかしくなっちゃいそうだなぁ~」
「……行ってきます」
わざとらしく目を逸らしたケイシアをほっといて、教主は『後片付け』に参加していった。
本当は聖女も付いていこうかと思っていたが、扉の外から嫌な臭いがしてきたのでさっさと扉を閉めることにした。
「都合のいいことで」
「だってアレめんどくさいんだもん」
「教主様もおっしゃっておられましたが、後片付けとは……?」
「そんなん死た……えーっと、飛び散った血とか掃除するよ。うん」
面と向かって『死体』というのは憚られたらしい。
しどろもどろと話すケイシアに溜息をついて、モーラがつらつらと説明を始めた。
「魔物だって生き物だから、倒したら勝手に消えるとかないんだよ。だから血も骨も肉も片付けないと、ずっと残ったままで汚いから」
「なるほど……」
「まあ、基本的に全部袋に放り込んで、教会に渡して終わりなんだけどね。血は地面とか掘って埋めちゃうかな」
「ねちゃねちゃしてるし掴みにくいし集めると意外と重いし……片付けしたその日はお肉が食べられなくなるんだよね……」
「変な想像させない」
「いて」
じゃれあう二人に聖女が苦笑を漏らす。
ふと人影を感じて窓の外を見ると、確かに大きな袋を抱えて騎士が馬車と馬車の前方を往復していた。
しかし、その姿に聖女は違和感を覚えた。
腕を大きく広げ、垂れる袋が揺れないようにえっちらおっちらと運んでいる。
それ自体はおかしいことではない。
外側にべっとりとこびりついた血の汚れが体に付かないように慎重になっているだけなのだから。
だが、彼女は先ほどの騎士の恰好を思い出す。
全身血まみれで報告にやって来た彼と、今視界を横切る彼とでは体の汚れ方が全く違う。
違うと言うのもおかしなもので、運び手の彼はまるで戦闘も後片付けも無かったかのような、真っ新な出で立ちだった。
「どったの聖女様。……ああ、あの人は浄化の奇跡使ってもらったんだね」
「浄化の奇跡、ですか?」
「うん。あたしも使えるよん。簡単なやつだからね」
「へえ……」
「見に行く?"運び"やってるならもうグロいのは残ってないでしょ」
こくりと小さな頷きを皮切りに、少女が三人、馬車を降りた。
まだ生臭い匂いが漂っており、聖女は鼻に袖を当てる。
そうしてこっそり、客室の影から後片付けの様子をのぞき込む。
すぐ隣で、避難スペースから這い出してきた御者が三人を一瞥し、どこかへ出かけて行った。
「στρώμα ένα συντεταγμένη ονομασία Ηχογραφημένη Γραφή───」
「なにあれ?」
「奇跡……だと思うけど……」
少女らが目にしたのは、少々奇妙な光景だった。
教主は先ほどの本を片手に、眉間に皺を寄せながらもう片手を跪く騎士の頭上に掲げている。
ぶつぶつと聞き取れない言葉を口にしていたかと思うと、掌から何かがこぼれ落ちる。
それが騎士に触れたかまでは見えなかったが、その体にこびりついていた汚れはみるみるうちに消えていった。
最後に教主は拳を握り、騎士の頭上を一度大きく掃う。
それを期に施しを受けていた騎士は立ち上がり、お礼を言って去っていった。
そしてまた、次の騎士が教主の下で跪く。
「あれのどこが簡単なのさ」
「いやいやいや……ちょっと行ってくる」
訝しむケイシアと目の前の光景に見惚れていた聖女を置いて、モーラは教主の元へ駆け寄った。
呼吸を整えていた彼の裾を思い切り引っ張り、何事かと詰め寄る。
「お、おいお嬢ちゃん……いくらなんでも無礼だろ……」
「構わない。どうした、モーラ」
「いやどうしたじゃなくて……これ、浄化の奇跡だよね……?」
「……モーラ。お前は浄化の奇跡が使えるのか?」
「え、いや、うん……ちょっと待って」
突然の状況が飲み込めていない騎士に向かって、紫髪の少女は手を握る。
そのまま聖句を唱え、一度軽く掃って見せた。
「権限神聖───勇士に水と白布を」
彼女の手からきらめく粒が舞い散り、その様子を見ていた騎士へと降りかかる。
すると先ほどの教主の時と同じように、彼の体に纏わりついていた血汚れを掃い去り、涼やかな後味だけを残した。
「……あ、合ってる?しょーじき最近覚えたばっかだからぶっつけ怖いっていうか……」
「おお……助かるよお嬢ちゃん!うちの隊はあんまり奇跡使わないからさ。浄化は教主様にやってもらおうと思ってたんだ」
軽快に去っていく騎士を見送ると、モーラは肩を縮めて手をこすり合わせる。
そこへ、一部始終を見ていた教主が声をかけた。
「ふむ。いつの間にか奇跡の習得を始めていたとはな」
「まあ……それより、あのペースで全員やろうとしてたの?」
「ああ。私はあれくらいしないと、初歩的な行使すらままならない」
「できないできないとは聞いてたけどここまで……?えぇ……」
リリアル邦の教主が魔術も奇跡も使えないのは有名な話である。
卓越した知識と体力、そして審美眼によって、普段はあまりその不利が目立つことはない。
しかしいざこうして同じ土俵に立つと、彼の技量は最近習得を始めた素人にも劣る。
それを目の当たりにしたモーラは、理由の分からない喪失感を味わっていた。
「……それって、事件で受けた傷とか関係ある?」
「全くない。いつであれ、私が奇跡を使うとすれば今のようになる」
「はー……」
「それよりも」
教主は、徐に後ろを振り返る。
モーラもそれに倣って、彼の後ろをのぞき込んだ。
「げ」
そこには、二人の話し合いが終わるのを今か今かと待つ騎士の列が、ぞろりと連なっていた。
「今の出来ならこの人数もすぐ終わるだろう。私は運搬作業を手伝ってくる」
「ちょっ、え、待っ、えぇ~~~~~?」
断る間もなく去った大きな背中、並び立つ血みどろの期待の視線。
二つに挟まれた彼女はやけくそになって聖句を告ぎ、右手を振り回し始めた。




