第96話 水の都
江戸に人が集まり始めてから、
町は急速に膨らんでいった。
だが──
その成長の速さに、
江戸はまだ追いついていなかった。
「天海様!
井戸が枯れました!」
「天海様!
水場の取り合いで争いが……!」
「天海様!
飲み水が足りませぬ!」
私は町人地の中央に立ち、
次々と届く報告を聞いていた。
江戸は湿地だ。
だが、湿地の水は“飲めない”。
川は多い。
だが、川の水は“濁っている”。
人が増えれば増えるほど、
江戸は“水”に苦しむ。
「……江戸は、水がなければ育たぬ」
私は地図を広げ、
江戸の地形を見つめた。
湿地。
河川。
海。
そして、遠くの山々。
その全てが、
まだ“繋がっていない”。
その時、
普請奉行が駆け寄ってきた。
「天海様!
水不足は深刻です!
井戸を掘っても、
濁った水しか出ませぬ!」
「井戸では足りぬ。
江戸は“水を運ぶ町”にせねばならぬ」
普請奉行が息を呑んだ。
「水を……運ぶ……?」
「そうだ。
山の水を、江戸へ引くのだ」
私は地図に指を置いた。
「ここだ。
多摩の山々。
清らかな水が流れている」
「まさか……
あの遠さから水を……?」
「遠いからこそ、
江戸の命となる」
私は地図に線を引いた。
「山から水を引き、
江戸の中心へ流す。
川を整え、
水路を作り、
町の隅々まで水を届ける」
普請奉行は震える声で言った。
「天海様……
それはまるで──」
「“水の都”だ」
その時、
背後から声がした。
「天海。
よく気づいたな」
家康殿だった。
私は振り返り、
深く頭を下げた。
「家康殿。
江戸は水がなければ育ちません。
水を引き、
水を整え、
水を巡らせる必要があります」
「そうだ」
家康殿は地図を覗き込み、
満足げに頷いた。
「天海。
江戸は湿地だ。
だが、湿地は“変えられる”。
水は“導ける”。
町は“育てられる”」
「はい」
「江戸を大きくするには、
まず“水”を整えねばならぬ。
水は命だ。
水は町を育てる」
私は静かに言った。
「江戸は、
“水の都”になるのですね」
「そうだ」
家康殿は迷いなく言った。
「京は山の都。
大坂は商いの都。
だが江戸は──
“水の都”にする」
私は地図に新たな線を引いた。
「では──
江戸の水路を作ります。
町人地へ水を引き、
武家地へ水を巡らせ、
江戸全体を潤す水の道を」
家康殿は満足げに頷いた。
「天海。
江戸はまだ荒野だ。
だが、
“水の流れ”が決まれば、
町は必ず育つ」
私は造成地を見渡した。
湿地が光り、
川が流れ、
人が動き、
声が響く。
そのどれもが、
まだ未完成だ。
だが──
確かに“江戸の水”が動き始めていた。
「……ここから、
江戸は生きる」
私は僧衣の裾を揺らし、
水路の予定地へ向かった。
江戸の命を、
この手で形にするために。




