第87話 残火
関ヶ原の戦が終わった翌日、
私は京へ向かっていた。
街道には、
戦の匂いがまだ残っている。
折れた槍、
焦げた草、
逃げ惑った兵の足跡。
だが──
京はまだ何も知らない。
私は馬を進め、
夕刻、京の町へ入った。
町は静かだった。
だが、その静けさは“平穏”ではない。
人々は落ち着かず、
噂だけが風のように流れている。
「西軍が勝ったらしい」
「いや、徳川が押していると聞いた」
「三成が大坂へ戻ったとか……」
──誰も真実を知らない。
私は町を抜け、
豊臣家の本拠・伏見へ向かった。
伏見城は、
夕陽に照らされて赤く染まっていた。
その赤は、
まるで“残り火”のようだった。
城門の前で、
豊臣家の家臣が私を見つけて駆け寄った。
「天海様……!
関ヶ原は……どうなったのですか!」
私は静かに答えた。
「戦は……終わりました」
家臣の顔が強張った。
「勝ったのは……
どちらなのです……」
「徳川です」
その瞬間、
家臣の肩が落ちた。
「……では……
豊臣は……」
「まだ終わってはいません」
私は伏見城へ入り、
奥へ進んだ。
そこには、
豊臣家の重臣たちが集まっていた。
皆、顔色が悪い。
誰も口を開かない。
その中心に、
秀頼の乳母・大蔵卿局がいた。
彼女は私を見ると、
すぐに近づいてきた。
「天海殿……
関ヶ原は……」
「徳川の勝利です」
大蔵卿局は目を閉じた。
「……そうですか」
その声には、
恐れも怒りもなかった。
ただ、
“覚悟”だけがあった。
「秀頼様は……
どうなるのでしょう」
「家康殿は、
秀頼様をすぐには討ちません」
「なぜです」
「豊臣の名は、
まだ“時代の象徴”だからです」
大蔵卿局は息を呑んだ。
「……では、
まだ……生き残れるのですか」
「はい。
ただし──
“残り火”としてです」
私は伏見城の天守へ向かった。
夕陽が差し込み、
城の壁が赤く染まっている。
その赤は、
まるで燃え尽きる寸前の炎のようだった。
私は天守から京の町を見下ろした。
人々は動き、
灯りがともり、
夜が始まろうとしている。
だが──
その下で、
時代が静かに変わろうとしていた。
「……豊臣の時代は、
まだ消えてはいない」
私は呟いた。
「だが、
“江戸の時代”が動き始めている」
その時、
背後から声がした。
「天海殿」
振り返ると、
片桐且元が立っていた。
豊臣家の柱の一人。
だが、その顔には深い影があった。
「家康殿は……
我らをどう扱うつもりなのです」
「利用します。
そして、
いずれ切り捨てます」
且元は息を呑んだ。
「……では、
我らは……」
「“残り火”です。
燃え尽きるまで、
まだ少し時間がある」
私は天守を降り、
伏見城を後にした。
夜の京は静かだった。
だが、その静けさの奥で──
確かに“時代の胎動”が響いていた。
「……次は、大坂だ」
私は馬に乗り、
闇の中へ進んだ。
豊臣の残り火が、
どれほど持つのかを確かめるために。




