第74話 胎動
安芸の山々を抜け、
私は再び東へ向かった。
三成は毛利を頼った。
それは、豊臣の残り火を守るためであり、
同時に徳川への“牽制”でもあった。
──だが、それは同時に
“戦の始まり”を意味していた。
冬の街道を急ぎ、
駿府に着いたのは夕刻だった。
城内は静かだったが、
その静けさは“嵐の前”の静けさだった。
私は家康の居室へ通された。
襖を開けると、
家康は地図の前に座っていた。
その目は、
すでに“次の時代”を見据えている。
「戻ったか、天海」
「はい。
三成殿は……毛利を頼りました」
家康は目を閉じ、
ゆっくりと息を吐いた。
「やはりか」
その声には、
驚きも怒りもなかった。
ただ、
“時が来た”という確信だけがあった。
「毛利は三成を匿う。
だが、兵は出さぬ」
「その通りです。
吉川広家は、
“生き残り”を選びました」
家康は笑った。
「広家は賢い。
毛利は、豊臣にも徳川にも賭けぬ。
ただ、時代の流れに身を置く」
私は静かに言った。
「三成殿は……戦う気です」
「だろうな」
家康は地図を指で叩いた。
「天海。
豊臣は内部から崩れた。
三成は孤立した。
だが──
“孤立した者ほど、戦を起こしやすい”」
私は息を呑んだ。
「……戦を」
「そうだ。
三成は戦を起こす。
それが、あの男の唯一の道だ」
家康は立ち上がった。
「天海。
お前に新たな密命を与える」
私は姿勢を正した。
「承知しました」
家康の声は低く、
だが揺るぎなかった。
「西国の動きを見よ。
毛利、宇喜多、小早川……
誰が三成につき、
誰が徳川につくか」
私は深く頭を下げた。
「……必ず」
家康は続けた。
「戦は避けられぬ。
だが、戦の形は選べる」
その言葉は、
まるで未来を見通しているようだった。
「天海。
わしは上洛する」
私は目を見開いた。
「上洛……!」
「そうだ。
豊臣の残り火を鎮め、
天下の形を整えるためだ」
家康は地図を広げた。
「三成が毛利を頼った以上、
西国は必ず動く。
その動きが“戦”となる前に、
わしが京を押さえる」
私は静かに言った。
「……関東と西国がぶつかるのですか」
「ぶつかる。
だが、ぶつかる場所は──
“わしが選ぶ”」
家康の目が鋭く光った。
「天海。
お前は影として動け。
西国の心を読み、
戦の形を整えよ」
私は深く頭を下げた。
「承知しました」
家康は満足げに頷いた。
「天海。
戦はまだ始まっておらぬ。
だが──
“胎動”は始まった」
私は居室を出た。
冬の空は重く、
風は冷たい。
だが、
その向こうに、
確かに“戦の影”が見えた。
──三成は西へ。
家康は上洛へ。
その二つの流れが、
やがて一つの場所へ収束する。
私は僧衣の裾を揺らし、
駿府城を後にした。
次は、西国の心を読む番だ。
そしてその先に──
“関ヶ原”が待っている。




