第72話 西へ
京を離れ、西国街道へ入った瞬間、
空気が変わった。
冬の冷気は同じはずなのに、
どこか湿り気を帯び、
山々の影が深く迫ってくる。
──西国は、東国とは違う。
その違いを、
天海としての私は敏感に感じ取っていた。
馬を進めながら、
昨夜の三成の行動を思い返す。
京を脱出した三成は、
大坂を囮にし、
さらに西へ向かった。
その先にあるのは──
毛利。
私は僧衣の裾を揺らし、
街道を進んだ。
やがて、
山間の宿場町に着いた。
人影は少なく、
冬の風が軒先の鈴を揺らしている。
私は茶屋に入り、
温い茶を頼んだ。
店主が茶を置きながら、
小声で言った。
「……あんた、京の方から来たんだろう」
「そうだ」
「なら、気をつけな。
昨夜、妙な一団が通った」
私は目を細めた。
「どんな者たちだ」
「僧の格好をした者が一人。
だが、歩き方が僧じゃねぇ。
武士の足取りだ」
──三成だ。
私は静かに言った。
「どちらへ向かった」
「西だ。
山陽道の方へ」
私は茶を飲み干し、
店主に礼を言って店を出た。
街道に出ると、
冬の風が僧衣を揺らした。
「……三成殿。
あなたは、まだ“戦う気”だな」
私は馬を走らせた。
山陽道に入ると、
空気がさらに変わった。
山の影が深く、
川の流れは速く、
どこか“戦の匂い”が漂っている。
その時、
前方に人影が見えた。
旅装束の男が、
道端で休んでいる。
私は馬を止め、
声をかけた。
「旅の方。
西へ向かう者を見なかったか」
男は驚いたように私を見た。
「見た。
昨夜、僧の格好をした男が一人。
だが、あれは僧じゃねぇ。
目が……戦の目だった」
私は頷いた。
「どちらへ」
「……安芸の方角だ」
安芸──
毛利の本拠。
私は確信した。
「三成殿は、毛利を頼るつもりだ」
男は首を傾げた。
「毛利は徳川を警戒してる。
だが、あの男を匿うほどの義理は……」
「義理ではない。
“理想”だ」
男は息を呑んだ。
「理想……?」
「三成殿は、秀吉殿下の理想を守ろうとしている。
毛利は、その理想に最も近い」
私は馬に乗り直した。
「ありがとう」
男は深く頭を下げた。
私は馬を走らせた。
山陽道を進むにつれ、
空気はさらに重くなった。
山の影が深く、
川の音が響き、
どこか“戦の前触れ”のような気配が漂っている。
やがて、
川沿いの小さな渡し場に着いた。
渡し守が、
私を見るなり言った。
「……あんた、遅かったな」
「何がだ」
「さっき、僧の格好をした男が渡った。
急いでた。
目が……死んでなかった」
私は息を呑んだ。
「どちらへ向かった」
「安芸だ。
“毛利の地へ行く”と言っていた」
──決まりだ。
三成は毛利を頼る。
それは、
豊臣の残された力を結集し、
徳川に対抗するための唯一の道。
私は渡し守に礼を言い、
馬を渡し舟に乗せた。
川を渡る間、
私は空を見上げた。
冬の雲が流れ、
その向こうに、
確かに“時代の裂け目”が見えた。
「……三成殿。
あなたの行き先は読めた」
私は呟いた。
「だが、そこに待つのは“救い”ではない。
“戦”だ」
舟が岸に着いた。
私は馬に乗り、
安芸へ向かう街道へ踏み出した。
──次は、毛利の影を読む番だ。
豊臣の崩れの先に、
徳川の時代が待っている。




