第68話 誤算
秀吉の死から三日。
京の空は、まだ喪に沈んでいた。
だが──
その静けさの奥で、確実に何かが動いていた。
伏見城の周囲には武士が集まり、
町の人々は怯えたように空を見上げ、
重臣たちは互いの顔色を伺っている。
──豊臣の天下が揺れている。
私は僧衣の裾を揺らし、
京の裏道を歩いていた。
天海としての潜入は二度目だが、
京の空気は前回よりもはるかに重い。
その時、
密偵が駆け寄ってきた。
「天海様……!
三成殿が、重臣たちを集めています!」
私は目を細めた。
「またか」
「はい。
“徳川を抑えよ”という声が強まっているようです」
私は静かに言った。
「三成殿は焦っている。
焦りは誤算を生む」
密偵は息を呑んだ。
「誤算……?」
「行くぞ」
私は伏見城へ向かった。
城の近くには、
すでに多くの武士が集まっていた。
その中心に──
石田三成がいた。
顔色は蒼白。
目は血走り、
呼吸は荒い。
私は近づき、静かに声をかけた。
「三成殿」
三成は振り返り、
鋭い目で私を見た。
「……天海殿。
また京を歩いておられるのか」
「死者の声を聞くためです」
三成は鼻で笑った。
「死者より、生者の方が騒がしい」
その言葉は、
自嘲にも聞こえた。
私は一歩近づいた。
「三成殿。
あなたは焦っている」
三成の目が鋭く光った。
「……何を根拠に」
「あなたの声が震えている。
歩き方が乱れている。
そして──
“豊臣内部の亀裂”を見落としている」
三成は息を呑んだ。
「亀裂……?」
「そうだ。
あなたは徳川ばかりを見ている。
だが、危険なのは“内側”だ」
三成は眉をひそめた。
「内側……?」
「加藤清正、福島正則、黒田長政。
彼らはあなたを支持していない」
三成の顔色が変わった。
「……何を言う」
「彼らは“武断派”。
あなたは“文治派”。
秀吉殿下が生きていたからこそ、
その対立は抑えられていた」
私は続けた。
「だが、秀吉殿下が死んだ今──
その対立は、必ず表に出る」
三成は唇を噛んだ。
「……天海殿。
あなたは、何を見ている」
「“誤算”です」
三成の目が揺れた。
「誤算……?」
「あなたは徳川を敵と見ている。
だが、本当の敵は“豊臣内部の分裂”だ」
三成は沈黙した。
その沈黙は、
恐れと怒りと焦りが混ざった沈黙だった。
私は続けた。
「清正と正則は、
あなたの指示に従わない。
むしろ、あなたを排除しようとしている」
三成は震える声で言った。
「……そんなはずは……」
「ある」
私は断言した。
「彼らは“武の天下”を望んでいる。
あなたの“文の天下”とは相容れない」
三成は拳を握りしめた。
「……天海殿。
私はどうすればよい」
「まずは、敵を見誤るな。
徳川ではない。
豊臣の内部だ」
三成は目を閉じた。
その表情は、
初めて“弱さ”を見せていた。
「……天海殿。
私は……間違っていたのか」
「間違ってはいない。
ただ、見えていなかっただけだ」
三成はゆっくりと息を吐いた。
「天海殿……
あなたは敵か、味方か」
私は静かに答えた。
「私は影です。
誰の味方でもない。
ただ、未来の形を見ているだけです」
三成は立ち上がった。
その目には、
決意と迷いが混ざっていた。
「……天海殿。
私は動く。
秀頼様のために」
「動くがよい。
だが、焦るな」
三成は頷き、
伏見城の奥へ走り去った。
私はその背を見送り、
静かに呟いた。
「……三成殿。
あなたの誤算は、まだ終わらない」
私は空を見上げた。
冬の雲が流れ、
その向こうに、
確かに“時代の裂け目”が見えた。
──次は、豊臣内部の亀裂を読む番だ。




