第66話 終焉
その日の京は、異様なほど静かだった。
冬の空は重く、
風は止み、
人々は皆、伏見城の方角を見つめていた。
──秀吉の容体が、ついに尽きる。
その噂は、もはや囁きではなく、
京全体を覆う“確信”になっていた。
私は寺の一室で、
僧衣の袖を整えていた。
密偵が駆け込んできたのは、その時だった。
「天海様……!
伏見城より急報!
秀吉様が……!」
私は立ち上がった。
「行く」
寺を出ると、
京の町は異様な沈黙に包まれていた。
誰もが息を潜め、
ただ伏見城の方角を見つめている。
伏見城に近づくと、
すでに多くの武士が集まっていた。
その中心に──
石田三成がいた。
顔色は蒼白。
目は血走り、
呼吸は荒い。
私は近づき、静かに言った。
「三成殿」
三成は振り返り、
震える声で言った。
「……天海殿。
秀吉様が……
ついに……」
その瞬間、
伏見城の奥から、
大きな鐘の音が響いた。
──ゴォォォン……
京の空気が震えた。
武士たちが息を呑み、
女たちが泣き崩れ、
町のどこかで子どもの泣き声が上がった。
鐘は、
豊臣秀吉の死を告げていた。
三成は膝をつき、
拳を握りしめた。
「秀吉様……!
なぜ……なぜこの時に……!」
その声は、
忠臣の叫びであり、
絶望の叫びでもあった。
私は静かに言った。
「三成殿。
殿下は、あなたに多くを託した」
三成は顔を上げた。
「……託された?
何をだ」
「秀頼殿を守ること。
そして──
豊臣の天下を守ること」
三成は震える声で言った。
「だが……
徳川が動く。
家康が……!」
私は首を振った。
「動くのは家康殿ではない。
“天下”です」
三成は息を呑んだ。
「……どういうことだ」
「秀吉殿下が作った天下は、
殿下の力で無理に押し固めたもの。
殿下がいなくなれば、
元の形に戻ろうとする」
三成は唇を噛んだ。
「元の形……
それは……」
「東と西。
徳川と豊臣。
そして──
あなたと家康殿」
三成は目を閉じた。
その表情は、
忠臣としての痛みと、
政治家としての恐れが混ざっていた。
「天海殿……
私は……どうすればよい」
私は静かに答えた。
「三成殿。
あなたは“守る者”だ。
秀頼殿を守り、
豊臣を守るために動く」
三成は震える声で言った。
「だが……
家康は強い。
徳川は……
天下を奪いに来る」
「奪いに来るのではない。
“流れが向かう”のです」
三成は拳を握りしめた。
「……天海殿。
あなたは敵か、味方か」
私は答えた。
「私は影です。
誰の味方でもない。
ただ、未来の形を見ているだけです」
三成は立ち上げった。
その目には、
決意と焦りが混ざっていた。
「……天海殿。
私は動く。
秀頼様のために」
「動くがよい。
だが、焦るな」
三成は頷き、
伏見城の奥へ走り去った。
私はその背を見送り、
静かに呟いた。
「……三成殿。
あなたは、まだ“見えていない”」
私は空を見上げた。
冬の雲が流れ、
その向こうに、
確かに“時代の裂け目”が見えた。
──秀吉が死んだ。
そして、
天下が動き始めた。
私は僧衣の裾を揺らし、
伏見城を後にした。
次に動くのは──
徳川家康だ。
そして、
その影として動くのは、
天海である私だ。




