第47話 小田原の気配
江雪斎と別れた翌朝、
私は駿府へ戻る道を急いだ。
冬の山風は冷たく、
僧衣の裾を鋭く揺らす。
だが、その冷たさはむしろ心を澄ませた。
──北条は滅びる。
だが、北条の魂は滅びぬ。
江雪斎の言葉が胸の奥で静かに響いていた。
駿府に戻ると、
家康の側近がすぐに私を迎えた。
「天海様。
殿がお待ちです」
私は頷き、
家康の居室へ向かった。
襖を開けると、
家康は地図を広げていた。
その目は、すでに“戦の先”を見据えている。
「戻ったか、天海」
「はい。
江雪斎殿と会って参りました」
家康は地図から目を離さずに言った。
「どうであった」
「北条は……救えません。
しかし、江雪斎殿は北条の兵を徳川のもとへ送ると決めました」
家康は静かに頷いた。
「そうか。
江雪斎は、最後まで理を捨てぬ男だ」
私は続けた。
「北条の忠義は、まだ死んでいません。
その忠義を、東国の柱に変えることができます」
家康は地図を閉じ、
私の方へ向き直った。
「天海。
お前の働きは見事だ。
北条の魂を拾い集めたこと、
必ず東国の力となる」
私は深く頭を下げた。
「しかし──」
家康の声が低くなった。
「秀吉が動き始めた」
私は息を呑んだ。
「動いた……?」
「うむ。
京より使者が来た。
“北条が従わぬなら、討つ”と」
家康は静かに言った。
「小田原征伐が始まる」
その言葉は、
冬の空気よりも冷たく胸に落ちた。
家康は続けた。
「天海。
北条はもはや避けられぬ。
だが、北条の滅び方はまだ選べる」
「……どういうことです」
「北条が完全に滅びれば、
関東は秀吉のものになる。
だが、北条の家臣たちが徳川に集えば──
関東は徳川の地となる」
私は息を呑んだ。
「北条の滅びを、
徳川の未来に変える……」
「そうだ」
家康は私を見つめた。
「天海。
お前の役目は、北条を救うことではない。
北条の“未来”を救うことだ」
私は深く頷いた。
「承知しました」
家康は立ち上がり、
窓の外の冬空を見上げた。
「天海よ。
北条は戦うだろう。
氏政は迷い、憲秀は裏切り、
江雪斎は静かに死を選ぶ」
その言葉は、
まるで未来を見ているかのようだった。
「だが──
北条の魂は、お前が拾え」
私は胸に手を当てた。
「必ず」
家康は振り返り、
静かに言った。
「天海。
お前は光秀ではない。
宗易でもない。
今日からは、
“徳川の影”として生きよ」
私は深く頭を下げた。
「……はい」
家康は最後に言った。
「小田原へ向かえ。
北条の滅びを見届け、
北条の魂を拾い集めよ」
私は僧衣の袖を整え、
静かに立ち上がった。
光秀としての罪も、
宗易としての迷いも、
すべてこの僧衣の下に沈んでいく。
天海としての使命が、
いよいよ本格的に動き始めた。
──小田原の空気が、
遠くで震えている。




