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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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第36話 三島の戦い

 三島の町は、朝からざわついていた。

 行商人が荷をまとめ、農民が家に籠もり、子どもたちの姿はない。

 空気が重い。

 戦の匂いがする。


 私は大道寺政繁と共に、三島宿の外れにある丘へ登った。

 そこからは、三島の平地が一望できる。


 政繁が息を呑んだ。


「……来たな」


 黒い陣羽織の軍勢が、三島の東から押し寄せていた。

 槍、弓、鉄砲。

 隊列は乱れず、動きは揃っている。

 葛山十兵衛の軍だ。


 その数、三百を超える。


 対する北条軍は百五十ほど。

 政繁が率いる兵は精鋭だが、数が違いすぎた。


「宗易殿。

 あなたは後方から葛山の動きを見ていてください」


「前に出るつもりはありません。

 ただ──」


「ただ?」


「葛山は、私を探すでしょう」


 政繁は苦い顔をした。


「……あの男は、戦場でさえ“宗易殿”を狙うのか」


「ええ。

 あの男は、戦と私を同じ場所に置いている」


 政繁は短く頷き、兵に指示を飛ばした。


「構えよ!

 葛山軍、間もなく接触する!」


 北条軍が槍を構え、盾を前に出す。

 鉄砲隊が後方に並び、火縄に火をつける。


 そのとき──

 葛山軍の先頭が割れた。


 黒い陣羽織の中心に、

 葛山十兵衛が姿を現した。


 馬には乗らず、歩いている。

 刀は抜かず、ただ軍の先頭に立つ。


 その姿は、

 “戦場を歩く影”のようだった。


 葛山が手を上げる。


「撃て!」


 葛山軍の鉄砲が一斉に火を噴いた。

 轟音が三島の空気を裂き、

 北条軍の前列が崩れる。


「応射!」


 政繁の号令で、北条軍も鉄砲を撃ち返す。

 だが、数が違う。

 葛山軍の射撃は止まらない。


 葛山は前へ歩きながら、

 戦場を見渡していた。


 その目が、

 私を捉えた。


 葛山が叫んだ。


「宗易!

 聞こえるか!」


 戦場の喧騒の中でも、

 その声だけははっきり届いた。


 政繁が驚いた顔で私を見る。


「……宗易殿を呼んでいる」


「ええ。

 あの男は、戦場でさえ私を狙う」


 葛山が続けて叫ぶ。


「宗易!

 お前の背後にいる“あの方”に伝えろ!」


 私は眉をひそめた。


「何を伝える」


 葛山は笑った。

 戦場の真ん中で、笑った。


「東国は変わる!

 止められぬ!」


 その瞬間、葛山軍が突撃を開始した。


 黒い陣羽織が波のように押し寄せ、

 北条軍の槍がそれを受け止める。


 金属がぶつかる音、

 叫び声、

 血の匂い。


 戦場が一気に動き出した。


 政繁が叫ぶ。


「押し返せ!

 下がるな!」


 北条軍は必死に踏みとどまる。

 だが、葛山軍の勢いは止まらない。


 葛山は前線に立ち、

 兵を指揮しながら、

 時折こちらを見た。


 その目は、

 “宗易を探す目”だった。


 私は丘の上から戦場を見つめた。


 葛山十兵衛。

 あの男は、戦を“道具”として使っている。

 北条を揺らすためではない。

 徳川の影を広げるためでもない。


 ──宗易を揺らすためだ。


 葛山軍は一定の損害を出したところで、

 突然、撤退を始めた。


 政繁が叫ぶ。


「追うな!

 罠だ!」


 葛山は退きながら、

 こちらに向かって手を上げた。


「宗易!

 次は箱根で会おう!」


 黒い陣羽織が三島の東へ消えていく。


 戦は終わった。

 勝敗はついていない。

 だが──

 葛山の“宣告”だけが残った。


 政繁が私に言った。


「宗易殿……

 あの男は、あなたを戦場に引きずり込もうとしている」


「ええ。

 そして、私は行かねばならない」


「箱根へ?」


「葛山の次の狙いは、そこです」


 政繁は深く頷いた。


「宗易殿。

 あなたの“目”がなければ、北条は動けません。

 頼みます」


 私は戦場を見下ろした。


 血の匂いが風に乗って流れていく。


 葛山十兵衛。

 お前は戦を使い、

 私を呼んでいる。


 ──影は、戦の中に踏み込む。


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