第35話 葛山軍の集結
箱根へ向かう山道は、昨日よりもさらに冷えていた。
風が強く、木々の枝が折れる音が響く。
私は大道寺政繁と共に、箱根の麓へ向かっていた。
「宗易殿。
敗走した兵の話が本当なら……
葛山の軍は、我らの想定を超えている」
「ええ。
葛山は“軍を持っている”と考えるべきです」
政繁は険しい顔で頷いた。
「徳川の家臣が背後にいるなら、
兵を集めるのは容易い。
だが……」
「だが?」
「葛山は、ただ兵を集めただけではない。
“鍛えている”」
政繁の声には、武将としての直感が滲んでいた。
山道を抜けると、視界が開けた。
そこは、箱根の麓にある広い谷だった。
普段は旅人が休むだけの静かな場所だ。
だが──
今日は違った。
黒い陣羽織の兵が、
谷一面に広がっていた。
槍を持つ者、弓を構える者、鉄砲を手入れする者。
その数、ざっと見ただけで三百はいる。
ただの浪人の寄せ集めではない。
動きが揃っている。
隊列が乱れない。
指示が通っている。
政繁が息を呑んだ。
「……これは、北条の一城を落とせる規模だ」
私は谷を見渡した。
兵たちの中心に、
黒い陣羽織を着た男が立っていた。
葛山十兵衛。
葛山は腕を組み、
兵の動きを一つひとつ確認している。
その目は鋭く、
まるで自分の軍を“育てている”かのようだった。
「宗易殿……見ろ」
政繁が指差した先に、
馬に乗った武士がいた。
黒い笠を深くかぶり、
顔は見えない。
だが、
その立ち姿、
馬の扱い、
周囲への目配り──
ただ者ではない。
「徳川の……」
「家臣だろうな」
政繁の声が低くなる。
「葛山の背後にいる者は、
“軍を動かせる立場”にある。
あの男は、葛山の軍を監督している」
私はその武士を観察した。
葛山が近づくと、
武士はわずかに顎を上げた。
葛山は頭を下げる。
──葛山は、あの男に従っている。
その事実が、
谷の冷たい空気よりも重く感じられた。
「宗易殿」
政繁が言った。
「葛山は、ただの反乱者ではない。
“徳川の影”として動いている」
「ええ。
しかも、家康本人ではない」
「家康の名を使える家臣……
誰だ」
「まだわかりません」
政繁は拳を握った。
「北条は……
この軍に耐えられぬかもしれん」
その言葉は、
北条家の未来を暗く照らすものだった。
谷の中央で、葛山が声を上げた。
「箱根を押さえる!
北条を動けぬ家にする!」
兵たちが一斉に槍を掲げた。
その声は、
谷を震わせるほどの迫力だった。
政繁が私に言った。
「宗易殿。
あなたは、葛山の動きを追い続けてください。
北条の兵は少ない。
あなたの“目”が必要です」
「わかりました」
私は谷を見つめた。
葛山十兵衛。
徳川の影。
そして、北条の崩れ。
箱根は、
すべてがぶつかる場所になる。
私は政繁と共に谷を離れた。
背後で、葛山の軍が動き始める音がした。
槍が揃い、
足音が響き、
黒い陣羽織が波のように揺れる。
──葛山十兵衛は、戦を始めるつもりだ。
私は歩きながら、
葛山の言葉を思い返した。
“次に会う時は、命を取りに行く”
その言葉は、
谷の冷たい風よりも鋭く胸に刺さった。
──影は、戦の匂いを嗅ぎ取る。




