第30話 北条家の動揺
三島から戻った私は、
すぐに大道寺政繁の屋敷へ向かった。
政繁は地図を広げ、
箱根の地形を見つめていた。
「宗易殿。
葛山は動いたのですね」
「はい。
次の狙いは箱根です。
北条の喉を押さえるつもりです」
政繁は深く息を吐いた。
「……最悪の場所だ」
そのとき、屋敷の外が騒がしくなった。
「政繁様!
氏政様がお呼びです!」
政繁は眉をひそめた。
「この時に、か……」
私たちは急ぎ小田原城へ向かった。
城内は落ち着きがなく、
兵たちが慌ただしく走り回っている。
政繁が小声で言った。
「宗易殿。
今日は“家中の会議”だ。
あなたも同席してほしい」
「私が……?」
「葛山の動きを知る者は、あなたしかいない」
政繁に案内され、
私は北条家の重臣たちが集まる広間へ入った。
そこには──
氏政、松田憲秀、江雪斎、そして重臣たちが並んでいた。
氏政が苛立った声で言った。
「葛山十兵衛が三島に現れたと聞いた。
だが、所詮は裏切り者の浪人だ。
大した脅威ではあるまい」
政繁が一歩前に出る。
「氏政様。
葛山は浪人ではありません。
軍を持っています。
しかも、背後に“徳川の家臣”がいます」
広間がざわめいた。
松田憲秀が口を挟む。
「徳川だと?
証拠はあるのか」
政繁は私を見た。
「宗易殿。
話していただけますか」
私は前に出た。
「葛山は三島で徳川の家臣と会っていました。
箱根を押さえろという指示を受けていました」
憲秀が鼻で笑った。
「そんな話、誰が信じる。
徳川が北条を攻める理由がない」
江雪斎が静かに言った。
「憲秀殿。
徳川は“理由があれば動く”のです。
その理由を作るために、葛山を使っている可能性がある」
憲秀の顔が険しくなる。
「江雪斎殿は、徳川が北条を裏切ると言いたいのか」
「裏切る、ではなく──
“利用する”と言っているのです」
氏政が苛立った声で言った。
「もうよい!
徳川が動くはずがない。
宗易とやらの話は、どこまで信用できるのだ」
私は氏政を見た。
「信用するかどうかは、北条の判断です。
ただ──
葛山は箱根へ向かっています。
それだけは確かです」
氏政は黙り込んだ。
政繁が続けた。
「氏政様。
箱根を押さえられれば、
北条は東国で孤立します。
兵糧も援軍も動かせません」
憲秀が言う。
「ではどうする。
箱根に兵を出すのか」
「出すべきです」
政繁は即答した。
「葛山を放置すれば、
北条は“動けぬ家”になります」
氏政は腕を組み、
しばらく沈黙した。
その沈黙の重さに、
広間の空気が張り詰める。
やがて氏政は言った。
「……箱根へ兵を出せ。
だが、少数でよい。
大軍を動かす必要はない」
政繁の表情がわずかに曇った。
「少数では、葛山の軍に対抗できません」
「うるさい。
北条は大軍を動かす余裕がないのだ」
江雪斎が静かに言った。
「氏政様。
今は“余裕があるかどうか”ではなく、
“動かなければならぬ時”です」
氏政は江雪斎を睨んだ。
「江雪斎。
お前は黙っておれ」
広間が凍りついた。
江雪斎は何も言わず、
ただ深く頭を下げた。
政繁が私に小声で言った。
「……北条は揺れている。
この揺れが、いずれ“崩れ”になる」
私は広間を見渡した。
葛山十兵衛が狙っているのは、
北条の喉──箱根。
だが、
本当に危ういのは、
北条の“内部”なのかもしれない。
会議が終わり、
私は政繁と共に広間を出た。
「宗易殿。
あなたには、箱根へ向かっていただきたい」
「葛山を追うためですね」
「ええ。
北条の兵は少ない。
あなたの“目”が必要です」
私は頷いた。
──葛山十兵衛。
──徳川の影。
──揺れる北条家。
箱根は、
そのすべてがぶつかる場所になる。




