第28話 葛山十兵衛の行方
三島宿は、朝から妙な緊張に包まれていた。
旅人の声はあるのに、どこか沈んでいる。
宿場の端には徳川の兵が立ち、
北条の密偵も紛れ込んでいる。
──葛山十兵衛は、この町にいる。
徳川の密偵から渡された紙片には、
三島宿の外れにある古い寺の名が記されていた。
寺は荒れていた。
屋根は崩れ、庭の草は伸び放題。
だが、門の前に立つと、微かな人の気配がした。
そのとき、寺の奥から声が聞こえた。
「……葛山様、こちらへ」
私は息を呑んだ。
葛山十兵衛が現れた。
背は高くない。
だが、歩き方に迷いがない。
周囲を常に警戒し、
目は鋭く光っている。
葛山の後ろには、
黒い陣羽織の側近が二人ついている。
葛山が低い声で言った。
「“あの方”は来ているのか」
「はい。
本堂でお待ちです」
葛山は頷き、寺の奥へ進んだ。
私は本堂の裏手へ回り、
板壁に耳を当てた。
「葛山。
よく来たな」
落ち着いた声。
武士の声だ。
葛山が言う。
「“東の殿”のご意向は」
「北条を揺らせ。
それだけだ」
私は背筋が冷えた。
──徳川の家臣だ。
葛山が続ける。
「宗易という男が動いています。
北条の者ではありません。
だが、厄介です」
「宗易……?」
家臣の声が低くなる。
「その男は放っておくな。
必要なら──消せ」
私は拳を握った。
葛山が答える。
「承知しました。
次に会えば、必ず仕留めます」
その瞬間、
本堂の裏で小枝が折れた。
私は反射的に身を引いた。
「誰だ!」
側近の一人が裏へ回り込んでくる。
私は逃げなかった。
むしろ、堂々と姿を見せた。
「……宗易!」
側近が槍を構える。
私は静かに言った。
「葛山十兵衛に伝えろ。
“東の殿の名を聞いた”と」
側近の動きが止まる。
「……何だと?」
「殺す気なら、ここでやれ。
だが、葛山はそれを望まないはずだ」
側近は息を呑んだ。
「貴様……何者だ」
「名を知っても意味はない。
だが、お前たちの主の名は──
東国を揺らす」
側近は槍を構えたまま、
葛山のいる本堂の方を一瞬だけ見た。
その迷いを、私は逃さなかった。
「どうする。
ここで斬るか。
それとも葛山の前へ連れていくか」
側近は歯を食いしばり、
槍を下ろした。
「……ついて来い。
葛山様が決める」
私は頷き、側近の後を歩いた。
本堂の扉が開き、
葛山十兵衛が姿を現した。
葛山は私を見て、
わずかに口元を歪めた。
「宗易……
お前は、逃げぬ男か」
「逃げる理由がない」
「ほう。
“東の殿”の名を聞いたと、
わざわざ俺に伝えに来たか」
「お前の背後にいる者を知りたいだけだ」
葛山は笑った。
「知ってどうする。
北条に告げ口でもするか」
「しない。
私は北条の者ではない」
「では徳川か」
「違う」
「ならば何者だ」
「必要なら、いずれ話す」
葛山はしばらく私を見つめ、
やがて低く言った。
「……面白い。
だが、今は殺さぬ」
「理由は」
「お前の目が、まだ“使える”からだ」
葛山は背を向け、
本堂へ戻りながら言った。
「宗易。
次に会う時は──
どちらかが死ぬ」
側近が私を睨む。
「行け。
今日は見逃す」
私は寺を出た。
逃げたのではない。
追われたのでもない。
葛山十兵衛と“対等に”向き合ったのだ。
寺を離れたところで、
私は静かに息を吐いた。
──葛山は私を“敵”として認めた。
──黒幕は徳川の家臣。
──家康本人はまだ動いていない。
風が冷たく吹き抜けた。
──影は、ついに“敵の目”を正面から受けた。




