第27話 東の殿の影
三島へ向かう街道は、朝の霧に包まれていた。
昨夜の砦での出来事が頭から離れない。
──葛山十兵衛は三島へ向かった。
──“あの方”と会うために。
その「あの方」が誰なのか。
それを掴むため、私は三島宿へ入った。
三島宿は旅人で賑わっているが、
その中に妙な緊張が漂っていた。
兵の姿が多い。
北条の兵ではない。
槍の持ち方、歩き方が違う。
──徳川の兵だ。
私は宿場の茶屋に入り、
湯を頼んで席についた。
そのとき、背後から声がした。
「……宗易殿」
振り返ると、
黒い羽織を着た男が立っていた。
年の頃は三十前後。
目が鋭く、動きに無駄がない。
「あなたを探していました」
「誰だ」
「徳川の者です」
私は湯飲みを置いた。
「徳川が、私を?」
「ええ。
葛山十兵衛を追っていると聞きましたので」
男は私の前に座り、声を潜めた。
「葛山は、三島に来ています。
“東の殿”と会うために」
私は息を呑んだ。
「東の殿……?」
「宗易殿。
あなたも薄々気づいているでしょう」
男は周囲を確認し、さらに声を落とした。
「“東の殿”とは──
徳川家康様のことです」
茶屋の空気が一瞬止まったように感じた。
私は静かに言った。
「家康が、葛山を動かしているのか」
「それは違います」
男は首を振った。
「葛山を動かしているのは、
“家康様の家臣”です。
家康様ご自身ではない」
私は眉をひそめた。
「家臣……誰だ」
「名は申し上げられません。
ですが──
葛山はその者の命で動いています」
男は続けた。
「宗易殿。
葛山は三島の“本陣”にいます。
そこには徳川の者も出入りしている。
あなたが追うべきは、葛山だけではない」
「……黒幕か」
「ええ。
葛山の背後にいる“本当の指揮者”です」
私は湯を飲み干し、立ち上がった。
「案内してもらえるか」
「できません。
私はあなたに“情報”を渡すだけです。
徳川の者が動けば、
葛山はすぐに逃げます」
男は懐から紙片を取り出した。
「ここに、葛山の潜伏場所を書きました。
ただし──
そこにいるのは葛山だけではありません」
私は紙片を受け取った。
「宗易殿。
あなたは北条の者ではない。
徳川の者でもない。
だからこそ、動ける」
男は立ち上がり、
茶屋を出る前に振り返った。
「気をつけてください。
葛山の背後にいる者は、
“徳川の中でも特に危険な男”です」
私は紙片を開いた。
三島宿の外れ──
古い寺の名が書かれていた。
私は茶屋を出て、
寺へ向かう道を歩きながら考えた。
葛山十兵衛。
北条を恨み、
東国を荒らし、
軍を動かし、
そして──
“徳川の家臣”と繋がっている。
その家臣は、
家康の名を使い、
東国の勢力図を塗り替えようとしている。
だが、家康本人が動いているわけではない。
──家康の影が動いている。
寺が見えてきた。
門は閉じられているが、
中から人の気配がする。
私は門の前に立ち、
静かに息を吸った。
葛山十兵衛。
そして、その背後にいる“徳川の影”。
ここから先は、
もう後戻りできない。
──影は、ついに“徳川”へ踏み込む。




