第19話 城内のざわめき
森を抜け、小田原の城下へ戻った頃には、日が傾き始めていた。
喉の痛みはまだ残っている。
黒い陣羽織の槍が触れた場所が、じんじんと熱を帯びていた。
だが、戻らねばならない。
大道寺政繁に報告するために。
城下の空気は、朝よりもさらに重くなっていた。
兵の数が増え、街道には検問が設けられ、
人々は怯えたように家の中へ急いでいる。
──黒い陣羽織の噂が、すでに広まっている。
私は大道寺の屋敷へ向かった。
門番が私を見るなり、すぐに通した。
政繁が待っているのだろう。
部屋に入ると、大道寺政繁は地図の前に立っていた。
その顔には、疲れと苛立ちが混じっている。
「宗易殿。
戻られましたか」
「はい」
「……その喉の傷。
敵と接触したのですね」
「黒い陣羽織の連中に囲まれました。
頭領らしき男もいました」
大道寺の目が鋭くなった。
「詳しく聞かせてください」
私は廃寺での出来事を、順を追って話した。
黒い陣羽織の人数、動き、言葉、
そして──“三日後に北門を揺らす”という計画。
大道寺は黙って聞いていたが、
私が話し終えると、深く息を吐いた。
「……やはり、ただの浪人ではない」
政繁は地図の一点を指差した。
「宗易殿。
あなたが聞いた“北門”という言葉──
ここです」
地図には、北条の城下を守る要所が記されていた。
北門は、城下の中でも最も防備が薄い場所だ。
「北門を揺らせば、城下は混乱します。
その混乱に乗じて、何かを仕掛けるつもりでしょう」
「何を」
大道寺は答えず、代わりに別の地図を広げた。
「宗易殿。
黒い陣羽織の連中は、
“ある者”のために動いていると見ています」
私は地図を覗き込んだ。
そこには、北条領の外──
東国の広い範囲が描かれていた。
「このあたりの村が、
次々と襲われています。
だが、略奪の跡は少ない。
むしろ、村人を“動かしている”」
「動かす……?」
「ええ。
村人を追い出し、
別の場所へ集めている形跡がある」
私は息を呑んだ。
「兵を……作っているのか」
「その可能性が高い」
大道寺は地図を指でなぞった。
「北条に敵対する勢力が、
東国の荒れを利用して兵を集めている。
黒い陣羽織は、その“手足”だ」
私は静かに言った。
「……黒幕がいる」
「います。
そして、その者は北条だけでなく、
東国全体を揺るがすつもりでしょう」
大道寺は私の目を見た。
「宗易殿。
あなたに頼みたいことがあります」
「何でしょう」
「黒い陣羽織の“頭”──
その男の正体を探ってほしい」
私は頷いた。
「廃寺で見た男ですね」
「ええ。
北条の兵では追えません。
彼らは、我らの目を避ける術を心得ている」
大道寺は続けた。
「ですが──
あなたなら追える。
あなたは、我らとは違う“目”を持っている」
私は黙った。
宗易として歩き始めてから、
私は“見届ける者”だった。
だが今、
私は“追う者”になろうとしている。
「……わかりました」
大道寺は深く頭を下げた。
「宗易殿。
あなたは、北条の家臣ではない。
だが、我らはあなたを信じます」
私は立ち上がった。
「黒い陣羽織の頭を追います。
そして、その背後にいる者も」
大道寺は言った。
「宗易殿。
どうか、気をつけて。
あなたが追う相手は──
“ただの敵”ではありません」
私は屋敷を出た。
夕暮れの空は赤く染まり、
小田原の城壁が影を落としていた。
──影は、敵の名を知りに行く。




