第18話 黒い陣羽織の影
小田原の城下を離れ、北へ向かう細道に入った。
大道寺政繁が示した地図の線──
黒い陣羽織の連中が通ったとされる道筋は、
城下の喧騒とは別の、湿った静けさを帯びていた。
宗易として歩きながら、私は周囲の気配を探った。
風が止まり、鳥の声が消える。
こういう時は、必ず“何か”が潜んでいる。
やがて、道の先に廃寺が見えた。
屋根は崩れ、柱は傾き、
だが──人の気配がある。
私は足を止め、息を潜めた。
廃寺の裏手から、低い声が聞こえる。
「……次は、三日後だ。
小田原の北門を揺らせ。
混乱が生まれれば、それでいい」
私は胸の奥が冷えるのを感じた。
──北条の城門を揺らす。
ただの略奪ではない。
明確な“目的”がある。
別の声が答えた。
「頭領、例の“東の殿”はどう動く」
「動く必要はない。
我らが荒らせば、勝手に道が開く」
“東の殿”。
誰のことかは言わない。
だが、宗易としての私は、
その名を口にする必要はなかった。
私は廃寺の影に身を寄せ、
声の主たちの姿をうかがった。
三人。
全員が黒い陣羽織をまとい、
腰には刀ではなく槍を帯びている。
動きに迷いがなく、
ただの浪人ではない。
そのうち一人──
中央に立つ男が、明らかに“頭”だった。
背は高くない。
だが、立ち姿に隙がない。
目が鋭く、周囲を常に警戒している。
私は息を殺し、
その男の顔を記憶に刻んだ。
その瞬間だった。
「……誰だ」
頭領の目が、まっすぐこちらを向いた。
私は反射的に身を引いたが遅かった。
廃寺の裏手から二人の黒陣羽織が飛び出し、
私の左右を塞いだ。
「動くな」
槍の穂先が、喉元に突きつけられる。
私はゆっくりと両手を上げた。
宗易としての旅は、
ここで終わるかもしれない。
頭領が歩み寄り、私を見下ろした。
「……旅人にしては、足音が軽いな」
私は答えなかった。
「名は」
「宗易だ」
頭領は目を細めた。
「聞かぬ名だ。
だが、名などどうでもよい。
問題は──」
頭領は私の足元を見た。
「お前が“ここにいる理由”だ」
私は静かに息を吸った。
「道に迷っただけだ」
「迷った者は、廃寺の裏に回らぬ」
槍の穂先が喉に触れた。
そのとき──
遠くから馬の蹄の音が響いた。
黒陣羽織の一人が振り返る。
「頭領、北条の巡回です!」
頭領は舌打ちした。
「ちっ……今日はここまでだ。
こいつは連れていく」
私は腕を掴まれ、引きずられそうになった。
だが──
その瞬間、廃寺の屋根の上から石が落ちた。
黒陣羽織たちが一瞬だけ視線を上げる。
私はその隙を逃さなかった。
地面の砂を掴み、
頭領の顔へ投げつけた。
「っ……!」
頭領が目を覆う。
私は槍の柄を蹴り、
体をひねって廃寺の影へ飛び込んだ。
「追え!」
怒号が響く。
私は廃寺の裏の斜面を転がり落ち、
土と草にまみれながら必死に走った。
背後で槍が木に突き刺さる音がする。
だが、追手は深追いしなかった。
北条の巡回が近づいているのだ。
私は息を切らしながら、
森の中でようやく足を止めた。
喉が焼けるように痛い。
だが、胸の奥には別の熱があった。
──黒い陣羽織の“頭”。
あの男は、ただの荒くれではない。
組織されている。
目的がある。
そして、その背後に“誰か”がいる。
私は森の木に手をつき、
静かに息を整えた。
宗易としての旅は、
もう後戻りできないところまで来ている。
──影は、敵を知った。




