第16話 灰の底に残るもの
火は夜明けとともに弱まり、村には静寂だけが残った。
焼け落ちた家々は黒い骨のように立ち並び、風が吹くたび灰が舞い上がる。
その灰は、昨夜までここにあった生活の名残だった。
私は焼け跡の前に立ち、しばらく動けなかった。
宗易として歩き始めてから、これほど胸を締めつけられる光景はなかった。
──この火は、偶然ではない。
昨夜、炎の向こうで見た“荒れた者たち”の目。
飢えと怒りと、行き場のない憎しみ。
それは戦の余波が生んだ影であり、
光秀としての私がかつて見落としてきたものでもあった。
そのとき、背後から足音がした。
「……宗易殿」
寺で会った黒衣の男が立っていた。
炎の赤ではなく、灰色の朝の光を背負っている。
「見届けてくださったのですね」
「見届けただけだ。
何も変えられなかった」
男は首を振った。
「変える必要はありません。
影は、火を消す者ではない」
「では何だ」
「火の“根”を見る者です」
私は眉をひそめた。
「根……?」
「昨夜の火を起こした者たちは、
ただの盗賊ではありません。
彼らを束ねる“声”がある」
男は焼け跡を見つめたまま続けた。
「東国の荒れは、いま一つの形になりつつある。
その形が、いずれ大きなうねりとなる」
私は胸の奥がざわつくのを感じた。
「宗易殿。
あなたが見届けるべきは、
“火”ではなく“声”です」
私は焼け跡の中を歩いた。
倒れた梁、崩れた壁、黒く焦げた畳。
そのすべてが、昨夜まで“生活”だった。
そのとき、瓦礫の下から微かな音がした。
私は駆け寄り、瓦礫をどけた。
中から、若い男が現れた。
腕に深い傷を負い、顔は煤で黒くなっている。
「……母が……」
男は震える声で言った。
「火が出たとき、
“逃げろ”と言って……
自分は……」
私は瓦礫をさらにどけた。
だが、そこに人影はなかった。
焦げた布だけが残っていた。
男は崩れ落ち、声を上げて泣いた。
私は何も言えなかった。
宗易としての言葉も、光秀としての言葉も、
この男を救うことはできない。
黒衣の男が静かに近づいた。
「宗易殿。
あなたは“火の結果”を見た。
だが、影が見るべきは“火の行方”です」
「行方……?」
「昨夜の者たちは、北へ向かいました。
“ある者”のもとへ」
私は顔を上げた。
「その者は、
東国の荒れを束ねようとしている。
戦の余波を力に変え、
混乱を糧に勢力を広げている」
男は私の目を見た。
「宗易殿。
あなたが見届けるべきは、
“火を起こす者”です」
私は拳を握った。
「……私は、何者でもない」
「だからこそ、影になれるのです。
名を捨てた者だけが、
名を持つ者の“盲点”を見られる」
男は懐から小さな紙片を取り出した。
「宗易殿。
“火の行方”が示す場所です」
紙片には、地名が一つだけ書かれていた。
──小田原。
私は息を呑んだ。
北条の地。
東国の要。
そして、戦の余波が最も集まりやすい場所。
男は静かに言った。
「宗易殿。
影として歩むなら、
次は“声”を聞きに行くべきです」
私は紙片を見つめた。
その文字は、灰色の朝の光の中で、
まるで燃え残りのように揺れていた。
──影は、選ばれるだけではない。
影は、選ぶ。
私は静かに立ち上がった。
「……行こう。
小田原へ」
男は深く頷いた。
「宗易殿。
影の道は、さらに深くなります」
私は焼け跡を背にし、
東国の風の中へ歩き出した。
灰の底には、まだ熱が残っていた。




