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黒衣の孤影  作者: 双鶴


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153/156

第153話 家光の祈り

 日光の山道を越え、

 一行はついに東照宮の建設地へと到着した。


 山の気は江戸とはまるで違い、

 空気は澄み、

 風は静かで、

 木々は深い呼吸をしているようだった。


 ここは、

 確かに“天の気”が降りる地だった。


---


「天海。

 ここが……

 祖父上を祀る場所か」


 家光様がゆっくりと周囲を見渡した。


 まだ建設途中の柱や梁が並び、

 木の香りが濃く漂っていた。


「はい。

 家康殿の光を宿すにふさわしい地にございます」


 家光様は深く息を吸い込んだ。


「……不思議だな。

 胸が静かになる」


「それが山の気です。

 江戸の気とは異なり、

 人の心を“整える”力がございます」


---


 しばらくして、

 家光様は私に向き直った。


「天海。

 私は……

 ここで祈りたい」


 胸の奥が静かに揺れた。


「祈り、でございますか」


「ああ。

 祖父上のために。

 そして……

 江戸の未来のために」


 その言葉は、

 家光様が初めて“自分の祈り”を語った瞬間だった。


---


 家光様は建設途中の本殿の前に立ち、

 ゆっくりと目を閉じた。


 風が吹き、

 木々が揺れ、

 山の気が静かに流れる。


 その中で、

 家光様は静かに口を開いた。


「祖父上……

 私は、

 あなたの光を継ぎたい」


 その声は震えていなかった。

 迷いもなかった。


 ただ、

 まっすぐだった。


---


「私は……

 あなたのようにはなれぬ。

 だが、

 江戸を守りたい。

 人々を照らしたい。

 そのために生きたい」


 胸の奥に、

 静かな温度が広がった。


 家光様は続けた。


「天海は……

 私を導いてくれた。

 だが、

 これからは私が歩く番だ」


 その言葉を聞いた瞬間、

 胸の底に沈んでいた澱が

 ふっと形を失った。


---


 家光様はゆっくりと手を合わせた。


「祖父上。

 どうか……

 私に光をお与えください」


 その姿は、

 もはや“若き将軍”ではなかった。


 **ひとりの光を持つ人間**だった。


 私はその背中を見つめながら、

 静かに息を吸い込んだ。


 胸の奥にあった古い痛みは、

 もうどこにもなかった。


---


「天海」


 祈りを終えた家光様が振り返った。


「私は……

 これからの江戸を照らせるだろうか」


 私は迷わず答えた。


「すでに照らしておられます」


 家光様は目を見開いた。


「本当に……

 そう思うか」


「はい。

 家光様の光は、

 江戸の未来を導く光にございます」


 家光様はゆっくりと頷いた。


「ならば……

 私はその光を信じよう」


---


 風が吹き、

 山の木々がざわめいた。


 その音は、

 まるで家光様の祈りに応えるようだった。


 私は静かに目を閉じた。


 胸の底に沈んでいた澱は、

 完全に形を失っていた。


 長い旅路の果てに残ったものは、

 ただ静かな温度だけだった。


---


「天海」


 家光様が言った。


「お前がいてくれたから、

 私はここまで来られた」


「家光様。

 私は……

 あなたの光を見届けるために生きております」


「見届ける……」


「はい。

 それが、

 私の最後の役目にございます」


 家光様は深く頷いた。


「天海。

 これからも……

 共に歩もう」


「はい。

 家光様」


---


 山の気が静かに流れ、

 風が頬を撫でた。


 私は悟った。


 **家光様はもう、自分の光で歩ける。

 そして私は、その光を見届けるだけでよい。**


 日光の山々が、

 その決意を静かに包み込んでいた。


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